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美術館 > 刊行物 > その他 > その他(報告書など) > 高橋由一「左官」「月下隅田川」修復報告 田中善明 2010.1

 

高橋由一「左官」「月下隅田川」修復報告   田中善明

はじめに

2008 (平成20)年4月26日から6月8日にかけて三重県立美術館で開催した「金刀比羅宮 書院の美展」では、同宮が所蔵する円山応挙の襖絵や伊藤若冲の障壁画から、同宮文化顧問で現代作家の田窪恭治氏の作品までを一堂に紹介し、大変好評を得た。この展覧会には「幕末最後の、明治最初の巨人」と評論家土方定一氏に言わしめた高橋由一の油絵も27点すべてを展示することができた。いうまでもなく、金刀比羅宮所蔵高橋由一の作品群は、この画家のもっとも高揚した時期に描かれたとても貴重なものである。拝借にあたり、梱包輸送時に絵具剥落の恐れが指摘された「貝図」と「本牧海岸」は、展覧会開催直前の3月27日と28日の両日、高橋由一館へ赴き、絵具浮き上がり部分の接着を行った。

しかし、制作後約130年を経過したこれらの作品は、当然のこと作品だけでなく額縁に至るまで傷みが進行し、応急処置のみでは対処しきれない段階にあるものが多く見受けられた。そのなかで、額縁の上端部が二箇所欠落し、傾斜部の板が外れていた「巻布」は、パリのギメ東洋美術館に出品される予定であったため、輸送上の安全を考慮し、額縁の修復を急きょ当館がおこなった。

その他の脆弱な作品は、当館が由一の油彩画を5年計画で毎年二点ずつ、その年度内に預かった作品を当館展示室で展示できることを条件に無償で修復をおこなうことを提言し、ご理解をいただいた金刀比羅宮と覚書を締結した。

三重県立美術館は、昭和57年9月に開館した。日本近代洋画を収集方針の柱のひとつとして、現在約5000点のコレクションを有しているが、肝心の高橋由一作品は一点もない。由一と関わりのあったイタリア人画家フォンタネージや、由一の一番弟子といってもよい安藤仲太郎の作品は所蔵していても主役が抜けた状態である。これは、当館に限ったことではなく、市場にほとんど出る機会のないこの画家の作品を持つ美術館は少ない。むしろ貴重な作品が今もまとまって由一ゆかりの金刀・范・{に残り、それらを観覧することができることを喜ぶべきであろう。

さて、今回の修復方針として留意したことは、

  1. 傷んだ作品を強固にし、制作当初の姿に近づけるのではなく、作品が急激に劣化するその速度を緩めることに努める。
  2. 経年変化し古色を帯びた現状を、作品の価値の一部として維持する。
  3. 必要最小限の処置、改変にとどめる。
  4. 無理な処置はしない。たとえば、かつての修復時に補彩され、鑑賞の妨げになっている箇所については、除去する際に由一が描いたオリジナルの絵具を溶かしてしまうなど、悪影響を及ぼすようであればそのままとする。

といった、作品の手入れ程度に限りなく近い「消極的」な処置を「積極的」に行うことであった。

なお、金刀比羅宮所蔵高橋由一作品については、歌田眞介氏を代表とされる綿密な調査がおこなわれ、その成果が『高橋由一油画の研究 明治前期油画基礎資料集成』として平成六年に刊行されている。今回の処置はこの調査結果を参考にせずには行えなかったが、両作品の修復処置をするにあたり、当館でもエックス線撮影と4×5インチフィルムによる現状撮影、赤外線テレビ画像での観察などを行った。

一.「左官」の修復

「左官」は、明治8~9年(1875~1876)頃に描かれたと推定されている。明治12年の琴平山博覧会に出品され、奉納された作品のうちの一点である。左官の仕事が今後廃れる文化のひとつだと、由一は予感したのであろうか。あたかも記録画を作成するかのように手桶や漆喰、土蔵の足場までもが小さな画面に詰め込まれ描かれている。東京藝術大学大学美術館所蔵の由一の写生帖には、同じポーズをした左官のスケッチが残っているが、左腕の処理が油絵では変更されるなどして、体の動きが少し固くなってしまっている。土蔵や、奥の黒っぽい塀は、写生帖にはなく、背景は想像によって描かれた可能性がある。

高橋由一「左官」 (修復前全体写真)

(修復前全体写真)

高橋由一「左官」 (修復前裏面写真)

(修復前裏面写真)

修復前の状態

寸法

カンヴァス寸法:縦335mm、横443mm、厚み22mm
額寸法:縦512mm、横620mm、厚み88mm

カンヴァス

  • 古い釘穴が数箇所確認できる。カンヴァスが張り直されたことがわかる。
     
  • 木枠は4本で中桟はない。
     
  • 釘が錆びているが強度は問題ない。
     
  • 下辺周囲が大きく欠落していることは、エックス線画像でも確認される。裏面にみられる水性のしみ跡が過去の多湿な環境を物語っており、それが剥落の主な原因と考えられる。
     
  • 人物の右脇付近、天地方向に8mm程度のカンヴァス布破れがあり、周辺の地塗りおよび絵具が欠落している。
     

高橋由一「左官」
(やぶれ部分)

  • カンヴァス側面の布が短い。最も短い右下部では側面の布がない。

高橋由一「左官」
(側面布の欠落写真)

  • 裏面には過去にカビが繁殖した黒い斑点跡がある。
     
  • カンヴァス下側面に5mm大の蜘蛛の抜け殻、昆虫および昆虫の羽根が付着している。
     

絵具層

  • カンヴァス上部側面に絵柄が続いている。ヘラのようなものを使ってかき消されているが、現在の釘の周囲の絵具が十分にかき消されていないことから、 形状を変更(天地方向に短く)張り直されたのち、上部側面の絵具がかき消されたと推定される。側面と絵画表面との境目を観察すると、かき消された部分とそ うでない部分の境目がある。その境目がはっきりとしていることから、上部側面は何度も擦ってかき消されたのではなく、一気におこなわれていることがわか る。つまり、作品の完成後、まだ絵具が乾燥固化しきっていない時期に画面大きさの変更があった可能性が高い。また、画面右側には帯状に絵柄が継ぎ足され、 しかも画面右下隅には釘穴跡が見られることから右方向に図柄が比較的大きく引き伸ばされたと考えられる。一方で画面左側にも幅5mmほどの継ぎ足しと思わ れる補筆の帯がある。「奉献帖」の寸法によると、縦が一尺二寸、横が一尺四寸とあり(注1)、mmに換算するとおおよそ縦364mm、横424mm、現在 の寸法よりも縦が29mm長く、横が19mm短く記載されている。以上のことから、図柄の寸法の変更は、金刀比羅宮に奉納されてのちである可能性がある。

    (注1)歌田眞介編『高橋由一の研究 明治前期油画基礎資料集成』15頁 表1を参照した。
     
  • 表面に細かい亀裂が多数存在する。絵具の浮き上がりは、わずかである。
     
  • 過去の修復により、画面左下、キャンバスの欠損部には補強を目的に市販のキャンバス布が部分的に張られている。
     
  • 過去の修復による補彩が多数あり、一部はオリジナルの絵具の上にまで補彩絵具が覆う、いわゆるオーバーペインティングがある。
     
  • 補彩絵具の剥落が数箇所ある。
     

高橋由一「左官」

(上部側面)

高橋由一「左官」

(上部側面拡大)

高橋由一「左官」

(画面右側)

高橋由一「左官」      

(画面左側)

高橋由一「左官」

(赤色の部分は過去の補彩)

高橋由一「左官」

(白線より下が補彩部分・亀裂や剥落が多い)

ワニス層

  • あり。光沢は控めで厚くはない。画面左右の端にある補彩部分には艶がない。
     
  • 上辺と左辺には7mm幅ほどの光沢の帯があり、ワニスと思われるが、絵具の剥落部分にも光沢が確認できるので、上層部のワニスは高橋由一によるものではない。以前(歌田氏が指摘されるようにおそらく昭和10年前後)の修復の際に塗られたワニスであろう。額縁の「かかり」で遮蔽された部分は、その修復の際の艶が保護されている。経年により額縁で隠れたところ以外のワニスは艶が弱くなっている。表面にはカビの斑点が確認できる。
     

額縁

  • 構造自体のガタつきはない。
     
  • 下辺を中心に石膏地からの細かい剥落が多数ある。
     
  • 全体にほこり、汚れがある。
     

修復前方針(2009年4月29日時点)

  • カンヴァスの張りが緩くなっているが、照明の位置などを工夫すれば鑑賞上問題のない範囲であることと、張り直しによる絵具層や地塗り層のダメージを考慮し、張り直しはしない。
     
  • 絵画表面および裏面をエタノール水溶液に防かび剤(TBZ)を添加したもので軽くクリーニングする。
     
  • 高橋由一自身が描いたオリジナルの画面の上にまではみ出た補彩部分(オーバーペインティング)は、除去可能であれば、その部分だけ取り除く。カンヴァス布まで欠損している部分の補彩はそのまま残し、補彩絵具が浮き上がっているところは接着する。
     
  • 画面絵具層亀裂部に膠水を注入する。
     
  • 絵具の欠損部(旧補彩部のみ)に充てん材を入れ、その上から補彩する(九箇所)。
     
  • 側面部の地塗りの剥落を防止するため、膠で接着する。
     
  • 左官右脇部の破れおよび側面部布の破れ部分と欠落部のみを、新たな麻糸で補強する(BEVA樹脂を使用)。
     
  • キャンバス裏面を物理的衝撃から守り、輸送などの際の振動でキャンバス布が揺れるのを緩和するなどの目的で、ポリカーボネート複層板の裏板とポリエステルのクッションを取り付ける。
     
  • 額縁すべてをエタノール水溶液でクリーニングする。
     
  • 額縁表面の欠損部は、充てん剤で高さを調整したのち、補彩する。
     
  • 作品はT字金具で固定する。
     

修復報告

修復期間 2009年5月12日~2009年6月16日

 

作品調査

  • 目視による状態観察を行った。
     
  • 各種溶剤の耐溶剤テストを行った。
     

額縁のクリーニング

  • 額全体のホコリを刷毛や掃除機を用いて除去したのち、エタノール20%水溶液と重量比0.1%以下のTBZ(チア・ベンタゾール)の混合溶液を綿棒に浸し、汚れを取った。
     

額縁欠損部分の充填、補彩

額縁の金箔および地塗り欠損部に膠水で練った胡粉を充填し、その上からマイメリ社のレスタウロ(キシレンで希釈)、ラウニー社のゴールドフィンガー(テレピンで希釈)で補彩した。

高橋由一「左官」

(胡粉での充填後写真)

高橋由一「左官」

(額縁補彩後)

裏板の取り付け

ポリエステルのクッション固定は、接着剤を用いずに、タコ糸でポリカーボネート複層板に縛り付けた。この裏板はネジで額縁に固定した。

高橋由一「左官」

(裏板とポリエステルのクッション)

高橋由一「左官」

(裏板取付後)

絵画のクリーニング

上述のエタノール水溶液でクリーニングを行った。旧補彩(オーバーペインティング)の部分は、各種溶剤を組み合わせた試験を行ったが、オリジナルの絵具に影響がでるおそれがあったため、現段階での除去は諦めた。

絵具層、地塗り層の剥落止め

旧補彩部分の浮き上がりや、カンヴァス側面部の地塗り層のはく落の危険性がある箇所に、チョウザメの膠水による剥落止めを行い、一部コテで加温して絵具の変形を修正した。

高橋由一「左官」

(膠水の注入写真)

カンヴァス欠損部分の補修

カンヴァス側面部の欠損補修のため、新たな亜麻布を用意し、必要な大きさに切断したのち、BEVA371を用いて加温、接着した。右下角部分のやぶれた部分以外は、将来カンヴァス布の「ゆるみ」修正などに使用できるよう、新調した亜麻布を長めに残した。

高橋由一「左官」

(右下側面カンヴァスの欠損と新たに用意した亜麻布)

(新たなカンヴァス布の補てん後)

(右側面部布の補足途中)

画面人物右脇部のやぶれは、裏面から亜麻布の糸を左右方向に並べ、BEVA371を用いて加温、接着した。

(裏面麻糸接着後)

剥落部の充填、補彩

画面の下部、人物の足元周辺は油絵具によると思われる補彩が大きな範囲で塗りこめられている。その数箇所は補彩絵具が欠損し、鑑賞するうえで気にかかる部分でもあると判断したので、欠損部分の補彩を行った。充填材は額縁の処置と同じく胡粉で、補彩絵具にはマイメリ社のレスタウロをキシレンで溶解して使用した。オリジナルの絵具上への補彩は行っていない。

(補彩前)

(補彩後)

ワニス

ワニスの塗布は行っていない。

(修復後写真)

おわりに

「左官」の画面には、まだカンヴァスの弛みがある。しかしながら、張り直しをおこなうとなるとリスクが生じるため、今回は裏面にクッションを入れることで、その緩みを緩和する方法をとった。この作品が学芸参考館に展示されていた時代と比べ、現在の高橋由一館では作品の劣化の主たる原因である湿度変化は格段に改善され小さくなった。このこともあえて張り直しをしない決断を後押しした。

さらに前述のとおり、本作品は完成後に大きさの変更がなされた。絵具がまだ十分に乾燥固化していない段階での、現在の額縁の大きさに合わせての変更であったとするならば、由一自身が横寸法を拡大した際に左右隅の補彩をおこなった可能性も否定できない。今回は、旧補彩部分のみを除去できる溶剤が見つからなかったこともあるが、今後本作品が再修理される際は、由一自身による補彩でないかどうかの調査が必要であろう。

付け加えて、現在「左官」の制作年代は明治8~9年とされているが、形状変更の際に絵具が十分に乾燥していなかったとするならば、その制作年代が明治10 年ないしは11年である可能性も考えられる。

二.「月下隅田川」の修復

 《月下隅田川》は、金刀比羅宮崇敬講社本部小座敷の袋戸の小襖として描かれた。制作時期としては、明治13年12月より明治14年1月にかけての由一琴平滞在中に描かれた作品とされてきたが、現在では依頼された時期が《貝図》と同じであると推定され、明治11年の作とされている。

 画面右隅に架かるのは両国橋であろうか。隅田川の水面に照らしだされた月明かりは、下の絵具がおおよそ乾いてから、擦れるようにその上に絵具を重ねるスカンブリングといわれる技法が使われている。画面全体が装飾的で色彩は抑制され、静けさを漂わせている。

(修復前全体写真)

(修復前裏面写真)

修復前の状態

カンヴァス寸法:(左右二面とも)縦235mm、横664mm、厚み17mm

額寸法:縦318mm(中央部分で322mm)、横1443mm、厚み47mm

カンヴァス

  • 化粧縁の剥落箇所から推測すると、かつては右の襖が手前の溝、左の襖が奥の溝を使った引き違いの地袋であったと思われるが、現在は細手の額に入っているため、嵌めごろしの状態である。
     
  • 手製格子状の桟に亜麻布が張り込んである。今回は解体修理を想定していないので、化粧縁を取り外すことはせず、カンヴァス布の側面の状態は観察しなかった。
     
  • 裏面保護のハトロン紙を除去すると、組子の下貼が虫食いなどによる破れた状態で確認できた。この紙には、人名や人数のほか、「出雲」「伊像」「美作」「土佐」などの地名が記載されている。地名が西日本に偏っていることから、この下貼は金刀比羅宮の「御師」(各地で布教し、参拝者の世話などをする人)の台帳であるかもしれないが、わからなかった。
     

(裏面・ハトロン紙を外した状態)

(朱書きによる「南」の文字、桟の上に蜘蛛の抜け殻)

  • 両端には引手板が見える。
     
  • 向って左側の襖絵(月が描かれている面)の裏面下貼には「南」と朱書きされている。化粧縁の右側面上部にも「南」の文字が線刻されている。また、同様に右側の襖絵にも裏面に朱書きの「北」、側面上部にも「北」の文字が線刻されている。これらの文字は建付けの指示書であると考えられることから、この作品は西側の壁に設置されていたことがわかる。
     

(化粧縁に線刻された「北」の文字)

  • 特に裏面にはホコリが多く、虫の死骸などが確認された。

絵具層

  • 亜麻布に白色の地塗りが施され、その上に絵具が塗り重ねられている。
     
  • 絵具層には多くの亀裂と浮き上がりがあり、細かい剥落が多数ある。柔らかい筆で、絵具表面に触れただけでも剥落する、たいへん危険な状態である。
     

(作品表面の亀裂と剥落)

ワニス層

  • 不明。存在したとしても、極薄い塗りである全体に絵具がチョーキング(粉状化)をおこしており、当初の状態よりも艶が引いている。

額縁

  • 木に褐色の漆塗りで、背面は黒色。所々に擦れ跡、キズが見られる。画面保護のガラスや裏板はない。作品は片方あたり化粧縁に鉄製の金具1点と額の小さな金具2点を平紐で結わえ、針金および丸紐で吊る仕組みとなっている。作品と額とは角材で固定されているが、作品前後にガタつきがある。さらに、額の縦寸法は両端よりも中央部分が4mm長く、額の「かかり」に作品がきっちりとおさまっていない、ずれた状態となっている。梱包用のビニル紐で中央部分を固定していたのも、そのガタつきを緩和しようとしたものと推測されるが、すでに緩んでいた。

(裏面左上角の部分写真)

(金具、紐等の取り外し途中写真)

修復前方針(2009年6月11日時点)

  • 裏面に付着したホコリ等を刷毛と掃除機で除去し、可能な場所はエタノール水溶液に防かび剤(TBZ)を添加したもので軽くクリーニングする。
     
  • 絵具の亀裂部分を接着し、浮き上がり部分は熱を加えて抑える。
     
  • 地塗り層まで剥落した箇所で、特に目立つところは、充填剤を入れずに補彩する。
     
  • 裏面の下貼り紙はそのまま残す。
     
  • 輸送などの際の振動でキャンバス布が揺れるのを防ぐ目的、また湿度の変化を和らげ、裏面保護の目的で、ポリカーボネート複層板の裏板を取り付ける。額縁の強度を上げるため、裏面に板を3箇所取り付け、作品展示用の金具を新調する。
     
  • 黒色の化粧縁の剥落した部分を補彩する。
     

修復報告

修復期間 2009年6月12日~2009年8月19日

 

作品調査

  • 精製水、エタノール、キシレンによる耐溶剤テストを行った。
     

額縁等のクリーニング

  • 額全体のホコリを刷毛や掃除機を用いて除去したのち、エタノール20%水溶液と重量比0.1%以下のTBZの混合溶液を綿棒に浸し、汚れを取った。画面のクリーニングは危険が伴うことから、行っていない。

(刷毛で払ったホコリを掃除機で吸引)

(木の桟などはエタノールでクリーニング)

亀裂部分の接着等

絵具の亀裂部分すべてにBEVA371D-8を適宜精製水で薄めて注入した。浮き上がり部分はコテで加温しながら抑えることにしたが、裏面の下貼り紙を残すため、下からの「支え」のない状態での浮き上がり修正となり、圧力をほとんどかけなかった。

(接着剤注入作業中)

(接着剤注入後、浮き上がり止め前)

剥落部分の補彩

地塗り層から剥落した部分で、特に目立つ箇所はマイメリ社のレスタウロ(キシレンで希釈)で補彩した。オリジナルの絵具と肉眼で識別できるよう、充填材による充填をおこなわずに補彩した。また、黒色の化粧縁で剥落している部分にも同様にレスタウロで補彩した。かき傷などもあるが、オリジナルの絵具の上には補彩していない。

(補彩前の状態)

裏面下貼りの補修

虫食いなどで破れた下貼りは脆弱で、簡単に剥がれ落ちることから、散逸を防ぐため部分的に京花紙(極薄の楮紙)とメチルセルロースで補強した。

(和紙による補強途中写真)

裏板の取り付け

額縁に裏板としてポリカーボネート複層板を取り付け、両端、中央計三箇所に板を取り付けた。中央の板には、剥がれ落ちていた1964年神奈川県立近代美術館で開催の「高橋由一展」出品シールをBEVA371フィルムで貼り付けた。両側の板には新たに吊金具を取り付けた。

(処置後の裏面)

ワニス

ワニスの塗布は行っていない。

(修復後写真)

おわりに

「月下隅田川」を初年度の修復に選定した理由は、小襖仕立ての作品が、額から外れるのを防ぐためと、表面絵具の細かい剥落を抑えるためであった。裏面の下貼りをこの作品の価値のひとつと考えて残し、また白色紙に金箔張りの縁回しは擦り切れ一部で欠損していたが、破れていることによって縁回しの下にも絵柄が続いていることが鑑賞者に理解されるという利点もあり、やはり現状のまま修正は加えなかった。

表面から肉眼で確認できる亀裂部分すべてに接着剤を注入したが、亀裂周囲にはみ出した接着剤を除去する際にも、柔らかい筆による少しの接触でさえ絵具が剥落するといった危険な状態であった。そのため、余分な接着剤を完全にぬぐい去ることはできなかった。ワニスを全面に塗布すると、亀裂周囲の余分な接着剤の光沢を目立たなくす・驍アとは可能であるが、かつてワニスが塗布された形跡が見当たらなかったため、そのままとした。よって、本作品の移動には今後も細心の注意が必要である。

(たなか・よしあき 三重県立美術館学芸員)

 

※この報告書は『こと比ら』65号(2010年1月発行)に掲載されたものを金刀比羅宮の許可を得てWeb用に割り付けを変更し掲載しました。

高橋由一展図録 1994.8

田中善明「高橋由一作《光安守道像》と《丁髷姿の自画像》(研究ノート)」 ひるういんどno.74(2003.3)

金刀比羅宮と書院の美展図録 2008.4

田中善明「金刀比羅宮と高橋由一」HILL WIND 18(2008.3.15)

“金刀比羅宮展”が残したもの」井上隆邦 友の会だより、no.78、2008年7月30日

ミニ用語解説:修復

学芸員の仕事紹介[8] 保存修復

年報:収集資料の修復

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