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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > “金刀比羅宮展”が残したもの 井上隆邦 友の会だより文集抄

“金刀比羅宮展”が残したもの

井上隆邦


先頃終了した“金刀比羅宮展”も、閉幕したその夜から撤収作業が始まり、お宮の書院などを再現した大がかりな展示会場も数日で、元の“がらん”とした空間へ早変わりしました。“がらん”とした空間を眺めていると、“金刀比羅宮展”が開催されたこと自体、遠い昔のことのように思えて来るから不思議です。

“金刀比羅宮展”開催の狙いは、いくつもありました。お宮が所蔵する応挙や若冲などの名品の数々を紹介することは当然として、それ以上に紹介したいと思ったのが“文化のパトロン”としてのお宮の姿勢です。一例が、今回の展覧会で紹介した近代洋画の先駆け、高橋由一とお宮との関係です。由一が油絵を日本に紹介した当時は、油絵は日本では全く馴染みがなく、由一の作品は今でいう“現代美術”の作品のように奇異に映った筈です。しかし、お宮の凄いところは、そうした作家であっても積極的に支援したことです。後日、由一が多数の作品をお宮に奉納したのも、お宮の支援に対する答礼の意味合いが大きかったのでしょう。また、お宮の一大事業として先ごろ完了した“金刀比羅山再生計画”も“文化のパトロン”ならではの企てでした。10年がかりで実現したこの計画は、広大な金刀比羅山に広がる“社殿ゾーン”や“文化ゾーン”などを現代的な視点から再整備する事業で、陣頭指揮を執ったのが、フランス・ノルマンディーの“リンゴの礼拝堂”でお馴染みの美術家、田窪恭冶でした。素晴らしいのは、お宮が田窪恭冶という一人のアーチストに大きな自由裁量を与え、一大プロジェクトを委ねたことです。

“文化のパトロン”としてのお宮の特徴は、いつの時代にあっても、伝統を大切にしつつも、それに安住することなく、常に革新の心意気に満ちていることです。“文化のパトロンとして”のお宮の真骨頂は、伝統と革新という対立概念を止揚しながら、新しい時代にふさわしい施策を大胆に展開していることではないでしょうか。

“金刀比羅宮展”の後日談を一つ。ご存知のように当館は日本の近代洋画の収集を一つの柱にしておりますが、残念なことに高橋由一の作品は所蔵しておりません。その欠落を埋めることが長年の夢だったのですが、このほど、“金刀比羅宮展”に出品された高橋由一の作品のうち、今後5年間に亘り、毎年2点ずつお宮から借用し、当館で展示することが決まりました。ただし、一方的に拝借するのは余りに不躾だと思い、傷んだ作品については当館でその補修を行うことでお宮と話が纏まりました。

今回の展覧会は最後の最後まで、“文化のパトロン”としてのお宮の心意気と懐の広さを感じさせる事業となりました。


友の会だより、no.78、2008年7月30日発行


 

 

年報2008

 

高橋由一「左官」「月下隅田川」修復報告(2010.1)

 

 


 

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