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柳原義達記念館

柳原義達記念館の概要

 柳原義達記念館は、2003年11月1日、三重県立美術館のリニューアル開館にあわせてオープンしました。戦後日本の具象彫刻界を代表する柳原義達(1910-2004)の彫刻、デッサン、資料類の常設展示を行うほか、近年では彫刻を中心とした特集展示等を行っています。展示室は大小ふたつの空間で構成され、大きな展示室は自然光線を取り入れた照明システムにより明るく開放的な雰囲気を持ち、彫刻作品を鑑賞するのに適した空間となっています。
 柳原義達記念館が、彫刻という芸術表現をより身近に感じ、その魅力を発見していただく場となれば幸いです。

2024年度の展示

展示室A室+B室
さわって楽しむ柳原義達の作品+柳原義達の芸術 第1期展示 前期:2024年4月2日(火)~5月12日(日)/後期:5月14日(火)~7月21日(日)
特集展示 植松永次―土と火 2024年7月27日(土)~9月29日(日)
没後20年 柳原義達展―彫刻の道標― 2024年10月12日(金)~12月1日(日)

   

柳原義達記念館 これまでの展示

2003年11月の開館からこれまでの展示は別ページでご紹介しています。
 

彫刻家・柳原義達について 

 戦後間もなく作品の保管場所が火災に遭ったために、柳原の戦前作はほとんど焼失しました。《山本恪二さんの首》(1940年)が、唯一ともいえる現存作です。この像や戦後間もない頃の頭像は、誇張のない端正な表現を示しています。
 1953(昭和28)年に再出発を期して渡仏した柳原は、ロダンに始まるフランス近代彫刻の造形理念を尊重しつつ、日本人として独自の彫刻世界を確立しました。

 柳原の作品中、裸婦像は重要な位置を占めています。人間がある姿勢を取るとき、身体各部がどのように動いて、平衡状態が生じるか、重力とバランスを取りながら人体が示す自然の法則に迫りたいという作者の強い意図がこれらの作品には見られます。
 なお、《犬の唄》という題名には、敗戦後柳原が経験した屈辱、不満、自嘲、虚しさが託され、抵抗の精神を持ち続けようとした彫刻家としての姿勢が示されています。

 柳原が鴉をはじめて制作したのは、1966(昭和41)年です。動物愛護のモニュメント制作を機に、柳原は鴉に強い愛着を抱きます。
 鴉の像には柳原の心優しい思いが込められています。また、そこには自然の生物が持つたくましい生命力、彫刻本来が備えるべき塊量感を見ることができます。

 鳩の彫刻は、柳原義達を最も有名にした作品でもあります。長い間柳原は孔雀鳩を飼育して、この華麗な鳩に親しく接してきました。
 この世で生を同じくする鳩にこまやかな愛情を抱き、鳩の姿を表すことによって、同じ地球上で自然の法則に従って生きている自己の営みを柳原は確認し続けてきました。

 柳原の素描は膨大な量にのぼります。そこには、「彫刻は触覚空間の芸術」という柳原の空間認識の特質が見られます。
 繰り返し素描を描き、頭に完全にテーマが入ってから彫刻に取りかかると柳原は述べていますが、素描は自然の法則を把握するための訓練です。画面構成、細部描写といった絵画的要素は重要ではありません。柳原の素描は紙の上の彫刻ということもできるでしょう。
 

略年譜

1910(明治43)年 神戸市に生まれる。
1931(昭和6)年 東京美術学校彫刻科に入学。
1939(昭和14)年 新制作派協会彫刻部創設に参加。
1953(昭和28)年 パリに渡り、彫刻を基本から勉強し直す。
1957(昭和32)年 帰国。
1958(昭和33)年 1回高村光太郎賞受賞。
1970(昭和45)年 日本大学芸術学部教授となる。
1985(昭和60)年 美術論集『孤独なる彫刻』刊行。
1994(平成6)年 35回毎日芸術賞受賞。
1996(平成8)年 三重県立美術館で柳原義達展開催。文化功労者に選ばれる。
1999(平成11)年 三重県立美術館で柳原義達デッサン展開催。
2003(平成15)年 11月1日、三重県立美術館に柳原義達記念館開設。
2004(平成16)年 11月、94歳で死去。

 

作家別記事一覧/柳原義達

柳原義達記念館・展示室Bの特集展示 HILL WIND22(2009.7.31)

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