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美術館 > その他 > その他 > 2021年度 美術館のアクセシビリティ向上推進事業 報告書オンライン版 2アクセス展寄稿

2021年 美術館のアクセシビリティ向上推進事業 報告書オンライン版 
2.「美術にアクセス!――多感覚鑑賞のすすめ」展

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寄稿 

軽やかであるために重くあること

小田久美子(エデュケーター)

 元永定正の色鮮やかな抽象絵画が展示されている様子


 「美術にアクセス!」展の最後の会場である元永定正の作品に囲まれた空間で、私はふわっと体が軽くなるような感覚になった。「オノマトペと共感覚」のテーマで選ばれた作品達がもつ造形要素がそうさせたのは言うまでもない。何より、それまでの展示室で指先など集中的に感覚を使い思考を促されてきたからこそ、全身で作品を味わう準備ができていて、一種の解放感に包まれたのだと思う。

 本稿の依頼を受けてから、この軽くなった感覚を出発点に考えを巡らせてきた。筆者は、本展担当学芸員の鈴村さんからの当初の依頼では、展覧会に係るワークショップや研修などを現場に通いながら一緒に作り上げる予定だった。しかし、コロナ禍や私自身の妊娠出産という個人的な事情によって、遠隔での助言…というには大いに心もとなく、鈴村さんの構想や事業進捗をお聞きし、自分自身の経験や考えを参考情報として提供する役割を担当させていただいた。新型コロナウィルスの感染者数が少し落ち着いたタイミングでの展覧会開幕だったので、今思えば奇跡的に三重県外から来場することが叶った。

 軽さあるいは軽やかさについて考える中でまず思い至ったのは、この展覧会へ向けての取り組みの1つ「ソーシャルガイド」だ。私もこのガイドの制作過程を共有していて少し意見を寄せたが、美術館とはなんと暗黙の了解という名のルールが多い施設であることか…と改めて実感した。それらを「良かれと思って」一つ一つ列挙していくことで、どんどん重たくなっていく情報量。例えば、傘など展示室で使用しない荷物を預けることが推奨されるのは、作品や他の来館者にぶつからないようにという理由もあるが、持ち歩く荷物は少なく身軽な状態で鑑賞した方が疲れないですよ、というメッセージでもある。美術館をよく利用する人にとっては、うっかり荷物を預け忘れてスタッフから声をかけられると「美術館あるある」をやっちゃったという感覚になるというと言い過ぎだろうか。
 本ソーシャルガイドでは、三重県自閉症協会のアドバイスにより、何か必要があればスタッフが声をかけるため、この点は記載はされていない。そのアドバイスを鈴村さんからお聞きした際に、相手の声を聞いていない「良かれと思って」とは、まさに自己満足にすぎないのだと気付かされた。こちらの要望を予め伝えきることよりも、何か双方にとって不都合なことが現場で起こっても声をかけ合いましょうという状態をつくり、コミュニケーションの回路を淡々とひらいておくことが必要なのだ。
 ソーシャルガイドには載っていない交通アクセスやより詳細な施設に関する情報は、美術館公式サイトの「はじめて来館する人へ」のコーナーで読むことができる。今回、0歳児連れで初訪問することになった私も活用したのだが、ぜひソーシャルガイドと比較して読んでみてほしい。

 また、以前私が美術館の職員として盲学校や特別支援学校の団体を対応した際に、ある先生が言っていたことも思い出された。障害のある生徒は、在学中に経験したことが卒業後の生活にも大きく影響するため、在学中に「余暇活動」という枠でカラオケやボーリングなどへ行くとのことだった。美術館への来館もその枠を利用していた。それを聞いた美術館のスタッフの中には「余暇」という言葉に「普段は必要のない余分なもの」という軽んじられたようなニュアンスを感じて、少々反発をおぼえている人もいた。ただ、私自身は美術館に来館することが余暇を過ごすための場所の候補とすら認識していない人は、障害の有無に関わらずきっと自分が想像しえないほど多いのだろうと途方もない気持ちになり、課題を大きくとらえ直した。
 
 「幅広い人々に(まずは)気軽に来てほしい」とは、ミュージアムのスタッフの願いであり、そのために努力と工夫をしている館ばかりだ。専門家や愛好家、観光客だけでなく、学校団体や親子連れ、高齢者、昨今ではソーシャルインクルージョン(社会包摂)や地域共生の理念のもとに、障害者や外国人、ひきこもりなど社会的に生きづらさを抱えている人々をむかえる対応や協働に取り組んでいる館も増えてきた。法令が出たから、サービスが必要とされているから、インクルーシブデザインの考えのように、その分野にこれまで関わっていなかった多様な人々(当事者)と協働するとその分野にとっても新たな価値を創出でき、それは当事者以外にも有用な可能性があるからという点もある。しかし、インクルーシブミュージアム代表の安曽潤子さんの指摘のとおり、根本的にはあらゆる人々の人権に関わるからということを忘れてはならないと感じている。

 本展のような取り組みは、毎回の展覧会で万全に行いたくとも、予算や人員など限りがあり難しいのが正直なところで、これは多くの館が抱えるジレンマだろう。でも、一度でもアクセスについて実践した学芸員のみならず来場者と接するスタッフがいることは、機材の活用も含めコミュニケーションの技術の選択肢がそれだけあるということであり、財産だ。スタッフ一人一人の経験と知識が役に立つ時がきっと来る。
 多様な人々との協働や地域共生というと、自分も含めた誰もが心地よくいられるような幸福なイメージを漠然と抱くのではないだろうか。しかし、人と人が初めて出会うこと自体、往々にして緊張と齟齬が生まれる。人と美術、人と人の接点となる美術館に求められるのは、そこで問題が何か起こったとしても対話して合意形成をする意思であり、安全な議論の場であり続けることだ。もしかしたら、お互いの居心地の悪さを分け合う場面の方が多いのかもしれない。自分の想定の限界もあらわになり、簡単に分かり合えない状況では不安や葛藤は常に付きまとう。
 それでも、これまでの三重県立美術館の取り組みや本展によって美術館から発せられた「ようこそ美術館へ」、「こんな楽しみ方もありますよ」というウェルカムメッセージを受け取った人は、確実に増えたのではないだろうか。そして、来館するきっかけを作り、そこで過ごす時間を楽しむ工夫や準備をすることは、来館者と呼ばれる私たちにも美術館と共にできることであるはずだ。

 その思いと共に、軽やかさやそれを支える重さについての思考の旅の終わりに頭に浮かんだ風景は、エントランスに展示されていた宮田雪乃さんと金光男さんと参加者の皆さんによる「あなたとわたしのバランス」のワークショップで作られたやじろべえ達だ。参加者がぎゅっと粘土を握った力強く生々しい造形が、左右のバランスを繊細にとりながらふわりと空中に浮いている。一つのやじろべえでも、その両端についた粘土は他人同士。お互いが距離感を保ちながらバランスをとっているコロナ禍の世界がコンセプトとのことだが、一人一人が違いをもったまま一緒にそこにいることの可能性も軽やかに示していた。ちょうど私が鑑賞した時は、違うやじろべえの粘土同士がこつんとぶつかっていて、さらにその上にまた別のやじろべえの棒が重なっているところがあった。まだ見ぬ誰かにアクセスする/されるため、そこで行われているコミュニケーションはどんなものか、想像し考え続けたいと思わされたイメージである。

*安曽潤子「インクルージョンを行うことの「メリット」...を伝える際の葛藤」、ブログ「ゆるジオ」、2022年1月31日、http://slack-geo.blog.jp/archives/29579085.html
(2022年2月10日アクセス)

 

寄稿者紹介

小田久美子さんは、教育普及担当学芸員として2018年までアーツ前橋に勤務し、現在は群馬県前橋市を拠点とするフリーランスのエデュケーター。アーツ前橋在籍中から学校や福祉施設と協働する事業を担当し、2018年に開催された全国美術館会議の第32回学芸員研修会でも第4分科会「美術を通した共生」の運営に携わった。アクセシビリティ事業を立ち上げる前から相談に乗っていただいており、判断に迷う時には常に的確な助言や情報提供により道筋を示していただいている。
 

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このページは紙の事業報告書の10-11ページに相当します。写真撮影は松原豊による。
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