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美術館 > その他 > その他 > 2021年度 美術館のアクセシビリティ向上推進事業 報告書オンライン版 むすびにかえて

2021年 美術館のアクセシビリティ向上推進事業 報告書オンライン版 
むすびにかえて

鈴村麻里子(三重県立美術館学芸員)

この報告書を編集している2022年の2月時点、私たちはまだ始まったばかりのアクセス向上の途上で、試行錯誤を繰り返している。今後も長く続いていくであろう道を「むすぶ」のは先送りして、ひとまずは「むすびにかえて」事業を振り返ってみたい。

今年度の事業では、報告書の構成からもお分かりいただけるように、何を措いてもアクセス展の開催が大きな位置を占めた。会期中のトークや過去に執筆した原稿と内容は一部重複するが、この展覧会で目指したことや、成果、課題を整理してみることとする。 
 

1.目標――対象を広げる

アクセシビリティ事業を支えているのは「障がいのある人向けの取組は、すべての人のためになる」という基本的な考え方である。この考えに基づき、アクセス展では、障がいのある人のニーズに応えるために開発された教材や鑑賞プログラムを、障がいの有無にかかわらず、すべての人が利用できるようにした。したがって、触地図や立体コピーをいわゆる「健常者」がさわることも可能であり、誰もがさわれる彫刻作品も展示した。障がいのある当事者だけでなく、すべての来館者が体験できる鑑賞プログラムを目指した背景には、次の二つのきっかけがあった。

佐藤忠良の彫刻作品《群馬の人》を生徒がさわっている様子


一つ目は、2016年度に、知的障がいのある児童生徒が通う特別支援学校で所蔵品の移動展示を行った時のこと。学校から「作品の認知のため、視覚だけでなく触覚も使って作品を鑑賞したい」というリクエストを受け、保存担当学芸員をはじめとする同僚の協力を得て、作品の固定方法等を検討した。当日、現場で目の当たりにしたのは、触覚の活用が文字通り鑑賞者と作品をつなぎ、能動的で充実した体験を促進できるということ。美術作品の触察は、あくまで目の見えない人の鑑賞の権利を保障するものだという先入観があったが、知的障がいや発達障がいのある人にも大いに有効だということを実感した。大きな可能性を秘めた触察を、いつかすべての人が体験できる機会を設けられないだろうか、という考えが漠然と頭の中に芽生えたのは、この時である。

二つ目の契機は、私自身が2019年に文化庁の在外派遣研修で米国に滞在した時に訪れた。米ニューヨークのミュージアムでは、さわれる教材は目の見えない/見えにくい人向けのプログラムに限らず、例えば自閉スペクトラム症や認知症のある人向けのプログラムでも活用されていた。プログラムを進行するエデュケーターの多くが、さまざまな障がいのある人向けのワークショップを担当しており、経験や知識は有機的かつ合理的に応用されていく。五感の活用はアクセス・プログラム(=主に障がいのある人向けのプログラム)で最も重視されるアクティビティの一つだが、派遣期間中には、障がいのある人のみならず、教員を対象とした研修にも多感覚の活動を採り入れるための検討が行われていた。アクセス・プログラムの持つ潜在力は、より広い対象のプログラム開発にも活用できるのではないか、と期待が膨らんだ。

対象の拡大には、他にも利点がある。例えば、目の見えない人が晴眼の友人や家族を同伴して来館したとする。触察できる人を当事者に限定すると、彼らは作品をさわる体験を共有できないかもしれない。さらに、今回の展覧会で対象の拡大にこだわった背景には、対象を限定すると「関係者」しか関心を持たないのではないかという危惧もあった。プログラムに参加できる対象を可能な限り広げ、誰もが「自分事」として楽しめる機会の提供が、最も理想的な形ではないだろうか。

そうはいっても、アクセス展の開幕直前には感染が拡大しており、やはり触察できる人を目の見えない/見えにくい人に限定すべきか、触察できる日時を限定すべきかという議論も館内で行われた。アルコール消毒できないブロンズ作品を不特定多数の人がさわることは、感染防止の観点からすれば、決して推奨されることではない。それでも、誰もがいつでもさわれる機会の確保に意義を見出し、検温・消毒の徹底や手袋の設置等の対策を考え、希望者ができるだけ安心して触察プログラムに参加できるよう準備を進めた。
 

2.検証――対象は広がったか?

このようなプロセスを経て実現した、すべての来館者への触察機会の提供は、視覚に障がいのある人に限らず、晴眼者や、視覚以外の障がいを持つ来館者からも好評を得ることができたため、一定の成果はあったと言えるだろう。1月に筆者が聴講したシンポジウムにおいても、やはり知的障がい、発達障がいのある当事者にとって、さわれるものがあることは非常に重要、と複数のパネリストが口を揃えていた*1。柳原義達記念館という彫刻展示室を備える当館にとって、触察を含む彫刻の新しい鑑賞プログラムの検討は今後も継続する意義があると思われる。

また、1980年代に開館した当館では、現在も企画展は全事業の筆頭に挙げられ、すべてのスタッフが関わる全館的な事業である。つまり、スタッフ全員にとっても自ずとそれが「自分事」となる。開幕時には障がいのある人の作品鑑賞に立ち会ったことがないスタッフもいたが、関連プログラムの運営や触察の立会等を経て、多くのスタッフが経験を積むことができた。来館者はどうだろうか。来館者数は目標人数を大きく下回った上に、関係者然とした来場者の割合がいかに高かったか、【監視スタッフのアンケート】を見るとよく分かる。一部には、テーマを知らずに来館して美術の可能性を感じたという声もあったが、やはり小規模な所蔵品展だけではなく、多くの人が足を運ぶ展覧会においても当たり前にアクセシブルな展示を試みることが、共生社会推進のためには重要であるだろう。
 

3.課題――時間・空間を広げる

企画展は、会期中には全館的事業となる一方、一時的な事業でもある。展覧会閉幕から半年経った今痛感しているのは、アクセス向上の取組を継続する難しさである。会期中にも本事業の実行委員から、この取組をいかに継続させるか、という課題が挙げられていた。事業予算の大半をアクセス展で執行してしまったこともあり、下半期に同じペースで事業を企画運営することはできなかったが、感染拡大が落ち着いた秋には久々に他館での実地調査も叶った。また、冬には地域の認知症のある当事者や家族から話を伺う機会も得られ、今後の進むべき道や課題が明確化してきたように思う。

事業数こそ限られていたが、下半期の一番の成果は、当館としてはじめて、講演会のアーカイブ映像を字幕付で公開したことである。ここ2年の間、企画したイベントの中止や定員削減、参加自粛の呼びかけをするたびに、それぞれの担当者は苦汁をなめてきた。髙曽学芸員が取り組んだ2時間弱の講演会の文字起こしと映像編集の作業は、コロナ禍により講演会への参加を断念した人だけでなく、私たちが現時点では想像が及んでいない人たちにも広く利便性を提供できるのではないか、と期待している。

また、アクセス展会期中に担当者自身も気になりつつ解決できなかった課題として、アクセス向上を実践している場所が企画展示室という区画に限定されてしまったことが挙げられる。当館には階の異なる入口が二つあり、館内の構造が分かりにくいという指摘をたびたび受ける。会期中も企画展示室の外で、一部の来館者には不便を強いており、監視スタッフからも、館内設備の分かりやすい案内があると良いのではという提案が挙がっていた。

狭い視野で事業の企画や運営をしていると、どうしても参加者のその場、その時の活動にしか考えが及ばないが、「美術館体験」は複層的なものであり、決して会場内では完結しない。今後はより広い視野のもと、利用しづらさを感じるさまざまな人の意見を伺いながら、展示室の外の環境も整備する必要を感じている。
 

4.レガシー

入場者数という数字だけを見れば、アクセス展は明らかに失敗に終わっている。報告書の編集作業の過程で、来館者や参加者から寄せられたさまざまなメッセージを読み返しながら、この展覧会をどのように評価すべきか頭を抱えていた。そのようなときに偶然参加した講演会で事業評価に話が及んだ際、「参加者の体験や感想じたいに、いかに価値を付与できるか、意味を持たせることができるかが重要」という旨の発言があり、目を開かれる思いがした*2。自分には果たしてそのような視点があっただろうか。事業の正当性を確認するために、都合の良い解釈や引用をしていなかっただろうか。今回、来館者や参加者からアンケートを通していただいた多くの意見や感想もまた、小田久美子さんの言葉を借りれば、当館にとっての大きな「財産」だ(該当ページ)。そして、所蔵品やそれにまつわる教材を展示したアクセス展では、言わずもがな、当館のコレクションが結節点となって、多くの人をつないだと言えるだろう。これらの財産は今後も当館に残るものであり、次の行き先を示す道標でもある。遠方に足を運ぶ調査が叶わない今を、集めた財産に真摯に向き合う好機と捉えたいと思う。

 
*1 2022年1月20日(木)の古代体験研究フォーラム2021「知的障がい・発達障がいのある子どもも楽しめるワークショップデザイン」(主催:兵庫県立考古博物館)にて
*2 2022年2月6日(日)の公開レクチャー「アート×美術館×自閉症:イタリアの事例より」(主催:文化庁、一般社団法人アーツアライブ)のクリスティーナ・ブッチ氏の講演より


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このページは紙の事業報告書の19ページ-20ページ上部までに相当します。一部を改稿しています。
写真撮影は松原豊による。
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