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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.21-30) > ひる・ういんど 第21号 開館5周年を迎えて 陰里鐵郎

開館5周年を迎えて

陰里鐵郎

 

─このたびブラジルヘ行かれるということですが…

 

 この12月にまた、ブラジルへ出かけることになっているのですが、1982年に三重県立美術館の開館記念展のためにブラジルを訪問したことがあって、そしてサンパウロ美術館の収蔵品によるヨーロッパのルネサンスから20世紀までの作品による展覧会で開館した、とその当時のことをまた思い出すんですね。われわれはさまざまな問題に初めて直面して、そして館内の職員はもちろん、多くの方々のご支援を得て、あれから5年間何とかやってくることができたということについては、これまでこの美術館に協力して下さった方、また陰に陽に助けて下さった方、支援して下さった方々にここであらためてお礼を申し上げたいと思っています。

 

 開館時のルネサンスから20世紀までのヨーロッパ絵画の展覧会、続いて「日本近代の洋画家たち展」、さらに、「三重県アートフェスティバル」というものを開催し、そしてまた一方で「三重の美術・現代」という展覧会を開催してわれわれの美術館はスタートしたのですが、これら開館最初期の事業がその後5年間この美術館が展開してきた事業の内容というものをほとんど象徴的に示していたといま思えるのです。その後展覧会事業として試みてきたことは、出発の時にわれわれが立った問題点、それを発展させるあるいは検討するという形で進められてきたと言っていいでしょう。つまり三重県立美術館がこの三重県という地域社会に立って、そしてその中に根ざしながらこの地域社会の文化、あるいは美術文化というものを過去から現在あるいは未来のものとの関係で捉えようと試みたこと、もう一つは日本の近現代美術、さらには海外の美術も含めてわれわれの現代というもの、そこに立って近現代の美術というものをわれわれなりの視点で再検討するという試みを重ねてきたと思っているのです。

 

 展覧会事業だけじゃなくて、美術館の収蔵品というものも全く一点もない状態から始めて、そしていま、これまで述べてきたような視点に立って作品収集が進められ、現在では常設展示としてわれわれが意図したものがある程度は展示できるという状況になってきている。ただしコレクションというものには、終わりということは有り得ないのであって、絶えず新しい視点から過去また現代を捉え直していくということで、今後ともコレクションの集積は続けられていくだろう、また続けていかなければならないと考えています。

 

 また一方では開館の時から美術館が持っている大きな任務の一つとして社会教育的な側面、あるいは普及活動というものがあって、この点われわれも展覧会カタログや美術館ニュース「ひる・うぃんど」といった印刷物あるいは公開美術講座・講演会を試みてきました。

 

 こうしたものをひっくるめて、われわれがこれまで行なってきた事業をこれからどのように展開させていくかということになるんですけれども、現在世界各国あるいは日本国内でも様々な新しい試みが美術館で行なわれようとしています。それは従来までの狭い枠にとらわれた美術の捉え方ではなくて、造形というもの、さらにはジャンルを越えた様々な芸術活動といったもの、あるいはそれを包括したようなかたちでの美術館活動というものが試みられており、またわれわれもその種の試みを少しはやってきたと思っています。おそらくこの方向というのはこれからも持続されていくでしょうし、また基本的には最初話したような出発当時からの基本的な姿勢を保持して、これから後の5年間も多分その延長線上に展開されていくだろうと考えています。

 

 以上述べてきたようなことに、美術館活動というものはその基本に研究活動があって、その上に立ってなされていくことも付け加えておかなければならないでしょう。

 

 その他、日本のただいまの公立美術館というものが置かれている状況というものは決して満足すべきものではないと言っていいだろうと思われます。

従って美術館同士が手を取り合いあるいは意見を交換し討論し、そしてより良い活動を進めていかねばならないと考えますし、そのための美術館同士の協力ということもまた、これまで行なってきたし、おそらくこれからもそういうことがなされていくでしょう。たとえばこれまで神奈川県立近代美術館、福島県立美術館、あるいは近くは練馬区立美術館、まもなく京都国立近代美術館、目黒区美術館といった他館と共同で事業を行なっていくということがこれからも試みられていくはずです。この62年度には全国美術館会議総会を本館の担当で行なって、そして日本国内の多くの美術館の人たちに来ていただき、あらためてわれわれの美術館というものも知っていただいたのですが、さらにその面の事業も進めていきたいと考えています。

 

―最後に一言、この5年間を振り返って館長ご自身の感想というのは…

 

 あらためてこの5年間のことを考えて振り返ってみると、一つは多分われわれは極めて幸運だったんじゃないかという気もするわけですね。これは何が幸運だったかと言われると、細かく挙げるというのは難しいというか挙げにくいんだけれども、幸運だったなと何となくそういう気がするのです。少なくとも不運じゃなかった。幸運だったというのは、最初言ったようにわれわれはボランティア欅の会、美術館友の会、岡田文化財団など多くの理解ある協力者を得たということ、これらのおかげでわれわれの美術館が順調な活動を続けて来れたのだろうと思えることです。それから、多分予算面でも比較的理解を得てきたということ、さらに他の美術館関係の人たち、美術の専門家たち、そういう人たちの協力を受けることができたのもまた幸運だといえるだろうと思っています。

 

 また前のことと矛盾するかも知れないけれど、おそらくこれから社会の変化が当然ありうるだろうと予想されるんだけれども、もちろんそのなかで美術館も対応していかなきゃならない。さっき言ったように様々な面の活動というものが充分考えられるんですが、ただ見逃しちゃいけないだろうと思うことは、それでもやはり美術館の活動の本来の任務というものがある、それはやはり造形美術というものを基本に置いてゆく、しかもその、何というか文化としての造形美術というものを基本に置いてゆくということをしなきゃならない。つまり、いわゆるサブ・カルチャーといったものが盛んなのだけれども、そういうものだけではいけないと考えているのです。

 

(三重県立美術館館長談・石崎筆記)

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