山口泰弘 三重県立美術館では、昭和58年秋に開館一周年を記念する展覧会として「近代日本画の歩み展」を開催した。この展覧会はその前年、開館記念展のひとつとして開催した「日本近代の洋画家たち展」と同じように、明治以降の日本画の流れを体系的にたどることを目的として企画した展覧会であった。しかし、この展覧会では下限を第二次世界大戦前に置き、戦後の日本画の動向については後日に期することにしたのであった。つまり、このたぴの「日本画の現在をみる展」は、前展のいわば続編としての意味合いも持ち合わせていることになる。しかし今展は前展のように戦後40年の日本画の流れを体系的に、というかたちはとらなかった。その理由は、ひとつには、その流れが体系立てるにはあまりに複雑で多岐にわたっていて整序しがたいこと、そして私たちの生きている時代とほとんど同時代のことを対象としなければならないがためにいわば、森のなかにいて一本一本の木の表情を見るのはたやすいのにくらべて森全体を見渡すほどの里程を時間的にどうしても稼げない、といった点に一端を求めることができるかもしれない。 戦争あるいは政変といったカタストロフィーによって政治上社会経済史上の時代がたちまちのうちに急転してしまうのに比べると美術史上の時代の変化ははるかに緩斜面上をゆっくりとしかもかなりの時差をおいてあらわれてくるように思われる。江戸幕府の成立で桃山時代はあっけなく幕を閉じるが、美術史の桃山的要素が払拭されるにはそのあとさらに3・40年を要する、といったように歴史がそれを示してくれる。あるいは、日本の近代美術を代表する様式であるいわゆる洋画が明治維新を契機に突然成立したのではなく、江戸時代中期にまでさかのぼる長い前史の積み重ねの上に明治以降の展開が約束されたという事実もあげてしかるべきかも知れない。この二つの事例に比べると、第2次世界大戦という私たちに最も近く大きなカタストロフィーは、美術の流れをもそれ以前と以後に大きく隔てているように現代の私たちに感じさせている。それは戦後の40年が私たちの住んでいるまさにその時代であってまだ十分に歴史時代には入っていないがために微視的で主観的な視覚で捉えることにのみ慣らされているから、とあるいはいえるのかもしれなない。何十年という時差をへて、今後さらに大きな美術史上の転機が訪れる可能性は、何人も一概に否定はできないはずである。しかし、私たちの大多数がいまだ同時代と認識しているにちがいない戦後40年の美術は戦争を体験する以前の美術と大きく様がわりをしているということは間違いではないだろう。 第二次世界大戦というカタストロフィーは、美術とくに日本画の分野では因襲化し形骸化した明治以来の伝統から画家たちを解き放ち、考え方や行動・表現する自由を与える大さな契機をもたらしたとは確かにいえよう。工藤甲人は、『戦中世代の画家・戦争と私』というエッセイのなかで、「(昭和9年に上京して間もなくのころ)明治の大家達はそのころ既に確固たる様式を完成し、我々とは遠く離れた境地にいた。若い私達はそれに追随することが何の意味もない事をよく友人達と語り合い、そして外国の新しいフォーヴやシュールレアリスムの絵などをみては、驚さと希望に胸をときめかせていた。」あるいは、「当時は、フォーヴの全盛のころで、私は私なりにシュールにひかれるようになっていた。エルンストやタンギーやマグリットなどの絵をみては、全く今まで知らなかった不思議な世界がそこに展開されていて、限りない驚きと喜びを感じた」と記しているが、戦後顕在化する様相は、戦前、すでに両家の心に胚胎していたことをこの文章は明らかにしてくれる。非常に保守的な体質を堅持していた画壇は、こうした体質を逸脱するような試み、その結果としての作品の受け入れに決して寛容ではなかったのであり、それをつき崩したという意味でこのカタストロフィーはおおきな価値を持っているのだといえるのではないかと思う。 岡倉天心は、古来の芸術復興の特徴は一方に伝統を見直すこと、さらに他方新しい要素を取り入れることであると指摘している。ヨーロッパのルネサンスは古代のローマ美術を再発見することによって文字どおり芸術復興をなしとげたし、日本でも、江戸時代初期に、近世の装飾画様式を確立した俵屋宗達が模範としたのは平安時代後期のきわめて洗練された宮廷美術であったし、また、狩野探幽は雪舟に回帰することによって新しい江戸狩野派様式を確立したことなどを例示することができる。円山応挙が、西洋や中国からの新しい要素と宋元画や桃山時代の障壁画などの伝統とを融合して近代美術の基礎を作りあげたことも挙げることができるかもしれない。加山又造や横山操の装飾画や水墨画を、天心のいう“伝統を見直すこと”の成果と受け止めることはできないだろうか。また、上で引用した工藤甲人の言葉は、岡倉天心のいう“新しい要素”に対する若い作家の関心を示す言葉と受け止めることはできないだろうか。 このように、伝統をいかに見直し、新しい要素をいかに取り入れたか、そしていかなる成果をあげたかという視点から現代の日本画の一端を捉えなおそう、というのがこの「日本画の現在をみる」展の企画の趣旨である。本展に展観される作品が果して、日本画の芸術復興をなし、新しい伝統の出発点となりうるかどうか、この間いに答えるにはまだ時日を要するかもしれないが。 (やまぐち・やすひろ 学芸員) |
工藤甲人「蝶の階段」1967年
加山又造「七夕屏風」1968年
横山操「瀟湘八景・山市晴嵐」 1963年
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