表紙の作品解説
イー・イラン《スールー諸島の物語》
2005年 デジタルプリント 森美術館蔵
イー・イラン(1971年生まれ)は東南アジアの現代アートシーンでいま最も注目されるアーティストの一人で、映画の美術監督やキュレーターとしても活躍しています。彼女の作品にはおとぎ話の世界のように不思議で神秘的な雰囲気が漂いますが、その深部では常に東南アジアの社会構造や歴史に対する問いかけがなされています。
この作品の舞台となるスールー諸島はフィリピン南端のミンダナオ島とマレーシア、ブル内、インドネシアの3か国が領有するボルネオ島(インドネシア語ではカリマンタン)の間に連なり、15世紀から19世紀にかけてはイスラーム国のスールー王国が存在していました。太平洋戦争末期には日本軍と連合軍の戦闘が繰り広げられた場所でもあります。現在はフィリピン領ですが、反政府勢力や国際テロ組織の活動など危険で不穏な地域として知られ、外部からは立ち入ることができません。
作家自身もスールー諸島の中心地を訪れることができず、周辺を通って水平線をマレーシア側とフィリピン側から撮影し、そこに図書館で調べた古い資料や写真から採った人物や島のイメージ、スールー海で拾った貝殻などを重ねあわせてこの作品を制作しました。
歴史、文化、宗教、民族が複雑に絡まり合ったこの海に生きるものは国境を持たず、ただフィリピンとマレーシアの水平線の間にある海に生きるのです。古びたセメントの杭の間を自由に泳いで行き来するウミガメのように―。
この作品は境界の定まらない流動的な世界を鮮やかに提示し、現代社会を生きる私たちにさまざまな考えを巡らすときを与えてくれます。
(学芸員 原舞子 友の会だより no.91 2013.3)