抽象表現の展開
杉全直(1914-1994)の『コンポジションA』[43]では、いっさいをのみこもうとする渾沌と、それをくいとめんとする秩序が抗争している。渾沌とは、形のない青のひろがりで、砂粒などが混ぜられた絵具は、単なる色彩という以上に物質的な密度をもってうごめく。秩序は、縁に腕をのばしてふんばっているかのような、肋骨風の骨組み。画面の枠という、あらかじめ与えられた形式と関わっている点を考えれば、これを観念といいかえることができる。両者の抗争は短い直線状の波紋そして六角形のパターンを結実させ、同時に、青の微妙な変化、黒、黄のわずかな点が、光の脈動を暗示するだろう。
秩序と渾沌、観念と物質の相克とは、あらかじめ定められたイメージに向け材料を計画的に繰作して作品をしあげるという、予定調和的な制作の過程がもはや崩壊していることを意味する。観念の手綱をふりきって物質が自己主張しているのだ。もとより、かつて物質がいかなる発言権ももたなかったというのではない。いたずらに近代的な見方にひきよせるべきではないにせよ、ミケランジェロの一連の未完成作がしめすように、たとえば石なり木のもともと宿していたイメージを引きだしてはじめて作品が成立するという発想は、決して珍しいものではあるまい。
しかしこの間題が意識化され、しかも観念と物質の分裂の相においてあらわになったのは、二○世紀、なかんづく第二次世界大戦以後だろう。こうした点を論じたものとして、宮川淳(1933-77)の「アンフオルメル以後」がある(『美術手帖』、no.220、1963.5)。宮川の論文を、鶴岡政男(1907-1979)の「『事』は『物』でもって表現されなければならない」という発言(『美術批評』no.26、1954.2、p.17)と、1968年以降のいわゆる<もの派>をめぐる展開ではさんでみるなら、日本の戦後美術の、少なくともひとつの局面をたどることができるかもしれない。
鶴岡の『黒い行列』[38]や池田龍雄(1928- )の作品[44]などは、戦後のルポルタージュ絵画や密室の絵画といった、シュルレアリスムや表現主義の語彙を用いて社会性の強い主題を表わそうとした傾向に属するものだが、そこに登場するイメージを、物質の強い圧力に歪曲され、押しつぶされようとする人間像と見なすことができる。物質性の解放は、独立した存在の崩壊、廃墟化に導く。向井良吉(1918- )の『発掘した言葉』[145]や辻晉堂(1910-1981)の『ポケット地平線』にそうした相がうかがわれる。杉全や元永定正(1922- )[45]、白髪一雄(1924- )[46]ら、いわゆるアンフォルメルの動向と交わった作品では、物質は文字どおり主役だ。形態やイメージはもはや、物質以前に存在することはない。宇治山哲平(1910-1986)の『伊勢』[47]のように幾何学的抽象と分類できる作品すら、工芸的ともいえる、きわめて厚いマティエールをしめしている。地塗りを鋭い針状の線でけずることによって、地の柔らかい反応をひきだす浅野弥衛(1914-1996)の作品[48]にも、同様の特徴が認められる。
ただし、いわゆるもの派が、ものの無媒介的な現前以上に、ものともの、ものと場との関係を主題としていたように、物質が主役になるとすれば、それは、本来対をなすべき観念との調和が壊れてしまったからだ。観念の追放自体、裏返しの観念性以外ではない。宮川の論文はすでに、この点も指摘していた:アンフォルメルは「単なる表現の次元をこえて、なによりも表現論の次元における断絶でありえたのであり、あるべきであったのではないだろうか」(上掲書、p.94)。表現論の次元での転換とは、表現がもはや、自明なものとして自発的に生成しえず、おのれのあり方を観念的に対象化せざるをえない状況に根ざしている。そして表現は、物質と観念の裂け目において成立するだろう。
(石崎勝基)