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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 彫刻家の素描、版画 毛利伊知郎 三重県立美術館所蔵作品選集

彫刻家の素描、版画

当館では収集の基本方針として素描や下絵の収集を行っている。収集対象は画家の素描とは限らず、彫刻家の素描類も積極的に収集してきた。それは、素描を通して彫刻の制作背景を窺い知ることができるということはもちろん、おしなべて彫刻家の素描や平面作品には画家のそれとは異なる対象把握や表現、空間や形態に対する独特の意識を見て取ることができて、鑑賞の対象としても非常に興味深い場合が多いからである。

これまでに素描や平面作品がコレクションに加えられた彫刻家は、抽象作家では井上武吉(1930-1997)[143]、飯田善國(1923- )[142]、江口週(1932- )、清水九兵衞(1922- )[146]、保田春彦(1930- )[144]、湯原和夫(1930- )、若林奮(1936- )らがいる。また、具象作家では柳原義達(1910- )[137][140]、山本正道(1941- )、三重ゆかりの片山義郎(1908-1989)らの素描、橋本平八(1897-1935)の絵画作品がある。

素描というと、完成作の下絵・エスキース的性格を持つものが多数を占めると考えるのが一般的だろう。たとえば保田春彦の素描〔147〕は彫刻の構想を練る段階で描かれたもので、いわゆる作品として完結したものでもなく、また通常第三者の眼に触れるものではない。従って、こうした素描を公表することに慎重な立場を取る作家は珍しくないが、これらは作家の創造過程そのものということができ、作家のアイデアの源泉、試行錯誤の痕跡、立体ににまとめ上げていく過程など、彫刻制作のプロセスのかなりの部分がこれらの素描に視覚化されて残ることになる。彫刻だけでは知ることができなかった制作の意味、作者の意図等を見て取ることができるのもこうした素描の意義であるが、描かれた線や形そのものが持つ造形力も大きな魅力である。

一方、清水九兵衞〔151〕や湯原和夫〔148〕の平面作品はそうではない。分類する際には素描としているが、作品の内容は素描と呼ぶことを躊躇させる。言葉の矛盾はあるが、平面の彫刻ととらえうるものである。湯原和夫は自身の平面作品を"tableau en papier"と呼んでいるように、彫刻制作の準備としての素描ではなく、これ自体完成した作品である。アルミ箔、経木、和紙、棕櫚縄など多様な素材の質感と、強靱なタッチを伴う赤と黒が生む色彩効果が相まって、禁欲的とも言える彼の彫刻とはまた異なる、空間とフォルムに対するこの彫刻家の感性をみることができる。

また、詩人としても活動する飯田善國が留学先のウィーンで描いた人体をモチーフとする素描群〔149〕は、彫刻の習作的な性格を持っているが、そこには人間存在、生命、さらには現代社会についての飯田自身の洞察の跡をみることができよう。他方、1972年(昭和47)に飯田が西脇順三郎(1894-1982)と共作した版画集『クロマトポイエマ』〔150〕では、詩と色彩とが協働する独自の実験的世界を提示したが、この試みは後の色紐を持つ彫刻へと展開することになる。

具象彫刻家では、柳原義達が素描に独自の世界を提示している。柳原は彫刻家としての再出発を期して渡仏して以来、長年月にわたって素描を日課として自らに課した。体調を崩して彫刻制作から遠ざかってからも、アトリエでの素描制作は毎日続けられてきた。彫刻をつくるための準備として描かれた素描も数多くあるが、柳原にとって素描を描くという行為そのものが、自然の法則を捉えて、表現する行為でもあったといえる。フェルトペンを使って柳原が裸婦や鳩を描くとき〔152〕、彫刻家は対象を凝視し、その内的生命を把握して、あたかも手で触れることができるように紙面に定着するのである。こうして描かれた素描は下絵的な素描の域を越え、それ自体独立した表現世界を形成しているのである。

(毛利伊知郎)


[147]保田春彦《素描》1970-80年代
[149]飯田善國《牛頭人》1962(昭和37)年
[151]清水九兵衞《過程Ⅳ》1992(平成4)年
[148]湯原和夫《無題》1983(昭和58)年
[150]飯田善國《クロマトポイエマ》1972(昭和47)年
[152]柳原義達《座る裸婦》1980-90年代

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