日本美術院の画家たち
日本美術院は、岡倉天心(1862-1913)を中心に1898年(明治31)に設立された美術研究団体。天心が考えた日本美術院とは、美術学校の上位に位置する大学院レベルの研究教育機関であり、構成員による製作活動と展覧会などを行うものであった。
天心の理想主義的芸術理念を掲げて、日本美術院は創設当初から展覧会の開催、機関誌『日本美術』発刊、絵画研究会の実施など旺盛な活動を展開した。しかし、当時としては先鋭的な団体であった美術院の歩みが平坦であるはずはなく、財政的行き詰まりもあって、1906年(明治39)には茨城県五浦に移転、苦汁をなめることとなった。
1913年(大正2)に岡倉天心がこの世を去ると、横山大観(1868-1958)らが中心となって翌1914年(大正3)天心一周忌の日に自由主義的な傾向を示す「日本美術院三則」を掲げて日本美術院は再出発を果たし、再興日本美術院として今日に至るまで日本画界を代表する団体の一つとして大きな役割を果たしてきた。
ところで、主題と表現、伝統と革新をめぐる問題は近代の日本画家たち共通の課題であったが、日本美術院の画家たちは天心の唱える美術思想を規範として様々な試みを展開し、大きな成果を残した。
日本美術院の画家で当館が所蔵するのは、菱田春草(1874-1911)[120]、横山大観(1868-1958)、平福百穂(1877-1933)、小川芋銭(1868-1938)[123]、小林古径(1883-1957)[121]、前田青邨(1885-1977)、安田靫彦(1884-1978)[122]、速水御舟(1894-1935)、中村岳陵(1890-1969)らで、再興院展期の作品が大部分を占めている。コレクションは、必ずしも各作家の代表作ばかりではないけれども、院展日本画の諸傾向をある程度窺うことができる内容になっている。
その中で昭和初期という時代背景を強く反映した中村岳陵の《都会女性職譜》は、主題と表現双方において日本画の新しい在り方を提示した作品ということができるだろう。
チンドンヤ〔114〕、エレベーターガール〔113〕、レビューガール〔116〕、女店員〔115〕、女給〔117〕、看護婦〔118〕、奇術師〔119〕の7点からなる《都会女性職譜》は、1933年(昭和8)開催の第20回院展出品作。岳陵は1969年(昭和44)に79歳で亡くなるまで半世紀以上にわたって活動したが、この《都会女性職譜》は岳陵の長い画歴の中でも代表作にあげられる一作である。
画家は当世風俗画をめざしたのではなく、社会進出しつつあった職業女性を絵画化することによって、彼女たちを励まそうという意図を持っていたという。登場する女性たちの職業は、デパート、カフェ、劇場など都市の文化と密接に結びついたものが過半数を占め、この作品が昭和初期東京の文化と密接に結びついて誕生したことを示している。
この作品が発表された当時、日本は戦争への道をひた走っていたが、東京では関東大震災で受けた被害も復興して、モダニズム文化が最後の花を開花させていた。そうした政治・社会面の危機と文化的成熟とが微妙な平衡状態にあった都市の姿をリアルに視覚化したのがこの《都会女性職譜》であった。
岳陵は1930年(昭和5)以降、福田平八郎(1892-1974)、洋画家の中川紀元(1892-1972)らとモダニズム絵画研究を行ったが、《都会女性職譜》は岳陵のモダニズム指向がどのようなものであったかを具体的に示している作品の一つでもある。
他方、《都会女性職譜》は主題面で中近世以降に数多く描かれた「職人尽絵」と関係があるとも言われる。職業人を主題とする点、近世の職人尽絵も都市の勃興、産業の発達、職業の分化等を背景にしている点を考慮すると、《都会女性職譜》は伝統的な職人尽絵と同じ趣向を持っている。岳陵に限らず、日本美術院の画家たちは新しい表現を創造する過程で古美術を熱心に研究し、その研究成果を盛り込んだ作品を多数発表している。この《都会女性職譜》の成立にも古画研究が大きく関与していたのである。
このように《都会女性職譜》には、モダニズムと古典という対極的ともいえる二つの方向に対する画家の指向が視覚化されており、そういう意味で再興日本美術院の画家たちの特徴的な在り方を検討する上で興味深い作品ということができる。
(毛利伊知郎)
[113]中村岳陵《都会女性職譜(エレベーターガール)》 1933(昭和8)年8月 [115]中村岳陵《都会女性職譜(女店員)》 1933(昭和8)年8月 [117]中村岳陵《都会女性職譜(女給》 1933(昭和8)年8月 [113]中村岳陵《都会女性職譜(奇術師)》 1933(昭和8)年9月 |
[114]中村岳陵《都会女性職譜(チンドン屋)》 1933(昭和8)年8月 [116]中村岳陵《都会女性職譜(レビューガール)》 1933(昭和8)年8月 [113]中村岳陵《都会女性職譜(看護婦)》 1933(昭和8)年9月 |