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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1993 > 用語解説 土田真紀・森本孝 伊勢型紙展図録 三重県立美術館

用語解説

藍染め(あいぞめ)

現在、藍染めには、蓼科の一年草である藍、すなわち天然藍を用いる場合と、化学染料としての人造藍を用いる場合、両者の混用という3つが行われているが、人造藍が19世紀の末頃にドイツから輸入されるまでは、もっぱら天然藍であった。藍は人類が最も古くから用いた染料といわれ、藍染めは日本でも古くから盛んに行われてきたが、近世に入り、木綿の生産が盛んになるにつれて、藍の栽培も本格化し、江戸時代後半には、木綿地に藍で染める中形の浴衣の流行をもたらした。藍染めが他の植物染料による染めと異なるのは、そのままでは水に溶けず、「藍建て(あいだて)」という方法をとらなければならない点である。まず約3カ月かけて藍の葉を独自の方法で発酵させ、「すくも」あるいは「藍玉」という染料をつくり、これに木灰、ふすま、水などを加え、ときには加温して発酵させる。藍で染めるには、この発酵した状態の液がはいった藍瓶に布や糸を浸さなければならない。藍瓶から引き上げた直後は緑色であるが、空気にしばらくさらすと、藍が酸化して藍色に変化する。また瓶につける回数に応じて、かめのぞき、水浅葱 (みずあさぎ)、水色、納戸色など、独特の色名で呼ばれる藍色のグラデーションが生まれる。

一枚突き(いちまいつき)

安全カミソリのような一枚の刃物によって一突きで彫る型紙の彫刻技法をいう。直線が一押しで彫れるので、三回押し突くと三角ができる。武田菱、麻の葉、あるいは格子など直線的で細かな文様を彫るのに適しているが、少し曲がった刃で青海波なども彫られていた。現在は道具彫りによって同じ柄を彫るようになった。

糸入れ(いといれ)

たとえば縞柄など、直線的に彫られた部分が長い場合、文様部分を安定させなければ型付できない。糸によって文様を安定させるための方法がこの方法。 彫刻前に上下2枚に剥して重ねて文様を彫る。型彫師は「つり」というが、2枚の型地紙が離れないように一部を彫り残して型地紙をつないだままにする。糸入れとは、下紙の上に糸を張り、柿渋を付けて上紙を文様部がずれないように最新の注意を払いながら正確に貼り合せ、乾いた後に型彫師が彫り残した「つり」を切って仕上がる。しかし、大正10年頃、富山県の井波義兵衛が、紗を漆で貼る「紗貼り」の技法を考案、以後糸入れは次第に姿を消し、極めて特殊な場合に限られて行われている状況である。

型地紙(かたじがみ)

型紙を彫刻するための紙を型地紙または地紙という。型地紙は、上質の楮の手漉紙を用いる。手漉の際、楮の繊維は縦に並ぶため、柿渋で2枚あるいは3枚貼り合わせることによって紙の繊維を縦横重なるようにする。小紋のように図柄の細かいものは薄紙2枚合せ、中形などは3枚合せが用いられることが多い。 なお、型紙の「型」の字は、江戸時代はすべて「形」を用いていたが、昭和に入った頃には「型」と「形」が併用され、以後徐々に「型」を用いることが多くなっていった。

型染(かたぞめ)

文様を彫った型紙によって布などに防染糊を置いて色染する方法を型染という。この型紙を用いる型染は、桃山時代に技法が完成している。 なお、正倉院の遺品に見られる蝋を防染剤として用いたろう纈(ろうけち)、文様を彫った2枚の板に布を挟んで染めるきょう纈(きょうけち)、あるいは鹿の韋(かわ)を用いた方法で平安時代後期から鎌倉時代に盛行がうかがえる絵韋(えがわ)なども型染と呼ぶ。また、木版・金属版等に・謔驍烽フや捺染など、型によるものを総称していう場合もある。

型付(かたつけ)

生地の上に型紙を置き、箆(へら)によって防染糊を置いていく作業をいう。「糊置き」ともいわれる。

裃小紋(かみしもこもん)

行儀、通し、鮫、胡麻など、近世の武士の裃に一色で染められた小紋柄をいう。江戸時代には各藩が繊細な文様を競い合い、非常に多くの模様が生み出されていった。各大名家で専用にした小紋柄があり、他に使用することを禁じた留柄(とめがら)も多い。なお、本展に出品された型紙では、胡麻(1-4、1-94)は鍋島藩、米寿格子(1-9)は島津家の裃の柄であり、にたり縞(1-97)は鍋島藩の留柄であった。

錐彫(きりぼり)

小さな円形の穴を連ねて文様を彫る技法。これに用いる錐は刃先が半円筒状で、半回転して円 形の穴をつくる。極限まで細かい文様は「極(ごく)」という言葉を使う。「極」に次ぐものを「にたり」と呼んでいる。

紺屋(こうや、こんや)

現在では染物屋一般を指すが、もともとは藍染め専門の染物屋の呼称で、紺掻屋(こんがきや、藍が底に沈まないように染液を掻きまぜながら染めたことに由来する)が略された語といわれる。

小紋(こもん)

大紋や中形に対して小さな柄のことを小紋といったが、今日では文様の大小にかかわらず絹地に型染した着尺のことを小紋、木綿地に染められた浴衣地のことを中形と呼んでいる。江戸小紋は型友禅と区別して、1955(昭和30)年2月、小宮康助を重要無形文化財保持者に認定するに際し、当時の文化財保護委員会が使用したことにはじまる名称である。

地白(じしろ)

伝統的な中形は、一色で染め上げるが、白地に文様が染め出されたものを「地白」、色の地に白の文様が染め抜かれたものを「地染(じぞまり)」と呼んで区別している。また地白のものは、柄の大小に応じて「大地白」、「小地白(こじしろ)」と呼び分けることもある。

縞彫(しまぼり)

今日における縞は一部例外を除いてすべて引彫による。江戸時代は突彫が多く、明治時代前期には一枚突きによる縞柄がかなりある。縞柄は、きまり筋・変わり筋・養老・立涌に大別され、また薩摩・子持・滝縞などといった名称もある。そして、いわゆる「きまり筋」には、約3cm 幅内に極二つ割 24本以上、二つ割 23本、似たり筋 21本、極毛万筋 20本、並毛万筋19本、極万筋 18本、間万筋 16~17本、上万筋  14-15本、万筋 12~13本、大名筋 10~11本という規格があるといわれている。

浸染(しんぜん、ひたしぞめ)

糸や布を染液のなかに浸して染める技法のことで、小紋が主として「引染(ひきぞめ)」の技法で染められるのに対し、もっぱら藍で染められる中形は、浸染が主である。これは藍の染料がそのままでは水に溶けないからである(「藍染め」の項を参照)。通常、片面だけ型付けする小紋に対し、中形の染めでは両面とも型付けするのは、浸染では裏も染まるため、表裏の模様を合わせて、鮮明な染めの効果をもたらすためである。

大黒屋(だいこくや)

群馬県前橋市で19代続いている紺屋。代々渋谷姓を名乗り、恐らく江戸初期から続く、この地方のかなり有力な紺屋であったと考えられる。ここで近年発見された大量の一枚小地白タイプの型紙は、中形の型紙としては、それ以前に例がないほど高い質を誇るものである。これらの型紙に捺された型屋印は、若干の不明のものを除いてすべて江戸の型屋のものであるが、その型屋名から、19世紀に入って直後から約30年にわたる型紙と推測されている。したがって、ちょうど伊勢から江戸への型屋の進出が本格化した時期のものといえよう。すなわち従来の伊勢型から分かれて、最大の消費地である江戸の好みを直接に反映した「江戸型」と呼ぶべきものの成立をこれらの型紙に見ることができるかもしれない。

中形(ちゅうがた)

中形という名称の由来ははっきりとしない。一般にいわれているのは、家紋などの大紋、また小紋に対して、文様の大きさが中ぐらいのものを中形と呼ぶという説である。しかしなぜ中紋ではなく中形なのかという疑問も残る。また1938年に書かれた高島精一著『染織史の研究』によると、元来型紙は大きさに応じて大型紙(鯨尺1尺-2尺)、中型紙(同3寸7分-7寸5分)、小型紙(同2寸5分-3寸7分)の3種を区別し、同時に染めた柄もこの名称で区別していたが、このうちもっぱら中型紙のみが用いられるようになり、これによって染められた模様を中形と呼ぶようになったという。 現在では、一般に文様の大小にかかわらず、絹の型染を小紋、木綿の浴衣染を中形として区別しているが、中形の型紙は浴衣以外の染めにも用いられる。

突彫(つきぼり)

細い小刀で文様を彫り出す技法で、細かい図柄を彫るのに適している。刃先を常に前方に向け、突きさすように動かして彫刻する。古い型紙ではこの突彫または錐彫で彫られている。

手拭中形(てぬぐいちゅうがた)

従来の長板中形の手法はたいへん手間がかかる ため、近代にはいって、より簡便な中形の技法がいろいろと工夫されるようになった。手拭中形もその一つで、手拭の長さを単位として型付けしながら生地を折り返して重ねていき、その上から染料を注いで染める技法である。手中(てちゅう)、折中(おりちゅう)、注染(ちゅうせん)、また大阪で始められたことから浪速中形、阪中(さかちゅう)とも呼ばれた。もともと手拭を染める方法であったが、明治の末頃からは浴衣染にも利用され、現在ではこの技法が中心となっている。手拭中形以外にも、籠付(かごづけ)、プリントによる捺染などの技法が工夫されている。

道具彫(どうぐぼり)

「ごっとり」ともいう。花卉1枚、楕円、三角など文様の一単位の形をした刃物をつくり、一突でその形を彫り抜く方法を道具彫という。道具彫に使う精密な刃物は、型彫師自らがつくる場合が通常である。

長板中形(ながいたちゅうがた)

伝統的な中形の手法で、長い貼り板(長さ約6.37m、幅約42cm、厚さ約2.5cmの縦板)に生地を貼って型付を行うためこう呼ばれる。板に張った生地に、順に型紙を送りながら糊を置き、染液に浸けて染める(「藍染め」、「浸染」の項参照)。生地の両面が染まるため、文様を鮮明に染め上げるには、糊も両面に置く必要があり、小紋以上に手間を要する。そのため、明治の末頃から手拭中形(この項参照)や籠付の技法が工夫されるようになり、次第に伝統的な手法に取って替わった。1943年、戦時中の物価統制により、従来の手法によるものを「長板中形本染」、それ以外を「中形」と呼ぶことになった。

二枚型(にまいがた)

型紙に文様を彫る場合、基本的には文様全体がつをがっている必要があり、つながりが少なければ型紙は不安定になる。糸入れによって文様を安定させることもできるが、たとえば、白地に点を散らす場合など、一枚の型紙で彫ることは不可能である。そのため、文様を2枚の型紙に彫り分ける「二枚型」が用いられる。この場合、通常、一つの文様を七分三分、あるいは六分四分に分けて彫る。「つり」と呼ばれる文様のつなぎを残し、文様が多く彫られた型紙を「主型(おもがた)」、主型の「つり」を消す2枚目の型を「消型(けしがた)」と呼ぶ。まず主型で糊を置き、その上から消型で糊を重ね置くことによって一つの文様が完成する。消型が主型を追っ掛けるという意味で、「追掛型(おっかけがた)」ともいわれる。

引彫(ひきぼり)

突彫が前方へと刃物を動かすのに対して、引彫は刀を手前に引いて彫る。もともと縞を彫るために発達した技法である。

防染糊(ぼうせんのり)

染料が布地に染まるのを防ぐための糊をいう。型付糊(かたつけのり)ともいう。もち米粉と石灰、糖が主成分で、特に日本では良質のもち米粉が得られることから紙を用いた型染が発達した。

室枯らし(むろがらし)

柿渋で貼り合せてできた紙は生紙(なまがみ)と呼ばれ、以前はかなりの期間、自然に柿渋が枯れるまで待ってから型彫りをしていたが、明治10年頃、北村治兵衛によって、室に入れ燻烟することによって柿渋を枯らす「室枯らし」の方法が考案され、以後ほとんど「室枯らし」によってつくられた型地紙を用いている。しかし、「室枯らし」による型地紙は、楮の繊維が脆いため、非常に細かい文様を彫るためには非常に上質の手漉紙でできた「自然枯らし」、の型地紙が必要となる。

伊勢型紙技術保存会

伝統的な伊勢型紙関係技術を保持し、その技術の向上と伝承を図ることを目的として1991年(平成3)11月28日に発足した。翌年4月、三重県の無形文化財の指定を受け、1993年(平成5)3月20日、国の文化財保護審議会が重要無形文化財保持団体(工芸技術)に指定するよう文部大臣に答申されている。会則によると、「伊勢型紙彫刻技術の調査・研究、伝統技術による伝承者養成、染色技術の研修による彫刻技術の向上、伊勢型紙に関する資料の収集及び技術の保存に必要な原材料の確保、その他伊勢型紙の発展に必要な事業」を行うことが記されている。

(土田真紀・森本孝 編)
「伝統と現代-日本の型染」展図録、『日本の染織6 江戸小紋』、『日本の染織8 中形』等を参照した。

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