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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 1996 > 常設展示1996年度第1期(1996.4-6)

常設展示1996年度【第1期展示】 1996年4月2日(火)~6月23日(日)

第1-2室:構想のいろいろ・意匠のさまざま

 画家、彫刻家、工芸家、デザイナー、建築家、あるいは造形の分野に限らず、作曲家にせよ、文筆家にせよ、何らかの創造の過程に携わる人々の手元には、多くの場合、創作の過程を窺わせる覚書や素描が残されているものである。それらはときには驚くほど膨大な数に上ることもある。造形芸術家の場合、ふとした拍子に突然眼前あるいは脳裏に浮かび上がったひらめき、着想を書き留めたもの、あるいは紙の上で様々にペンを走らせるうちに現れ出た原初的なイメージのメモなどから、個々のモティーフの探求や全体の構図、構成の検討、それらを経て次第に練り上げられた全体的な構想まで、素描の種類や性格は様々である。また特定の作品制作とは別に日常的に取り組まれる写生による素描などの場合も、作家にとっては、それ自体が目的というより、やがてはより大きな構想へとつながっていく基礎的な作業の過程である。

 現在では全く事情が異なっているが、本来、素描は人目に触れることのないものであった。いわば作品制作において黒子の役割を果たすものであり、制作の過程では欠かせないが、ひとたび作品が完成すれば用済みで、破棄されないまでも、どこか片隅にひっそりと人目につかぬまま放置される運命にある。たとえば、出品作品中の関根正二と村山槐多のスケッチや原稿は、いずれもノート大のごく小さな紙片に描かれ、恐らく本人たちはいつか人目に触れることなど予測もしなかったごく私的な性質のものであろう。未だ十代の彼らが、はっきりとした形になる以前の何かもやもやしたものを、必死に描き留めようとしている様を如実に伝え、あたかも彼らの内面の動きそのものに直接触れているような感を抱かせられる。素描のもつ魅力は、こうした構想以前の「想」のもつ原初性や創作の過程の生々しい臨場感にあるのであろう。完成作では姿を消してしまう着想の意外性、脈絡のなさ、直截さこそが観者を引きつける。とりわけ夭折の画家の代表とされる関根と村山の場合、素描に見て取れるひらめきの特異さ、新鮮さは、この二人が大正期を席巻した「天才としての芸術家」を体現していたことを証ししている。

 様々な素描のなかで、こうした小さな着想の覚書と特に対照的であるのは、近代の日本画の制作において、丹念な準備を経ていよいよ迎えた構想の最終段階を示す「大下絵」と呼ばれる下絵である。それは、本画とほぼ同じ大きさ、構図の下絵であり、部分のラフスケッチや写生、小下絵など、そこに至るまで、たくさんの小さな素描が描かれ、周到に準備された末に、その集大成として本画の直前に描かれる。近年、この大下絵と本画との関係に関心が寄せられるようになり、両者を比較する形の展覧会が各地で開催されている(当館でも1992年に「本画と下絵 宇田荻邨と近代日本画」展を開催)。と同時にそこから、近代の芸術観をめぐるきわめて興味深い問題が浮かび上がりつつある。

 大下絵も素描の一つとして決して表舞台に出るものではない。ところが、すでに関根と村山について触れたように、近代の芸術観では、むしろ原初的なひらめきや創造の過程を重視し、そこにこそ天才としての芸術家の才能を証しする創造の秘密が隠されているとみる傾向がある。大下絵は、構想の集大成であると同時に、作品生成の舞台であり、そこには幾重にも重なった描き直しの跡や勢いのある線が見て取れるのに対し、大下絵に基づいて描かれる本画では、そうした痕跡は一切姿を消し、均一な線やきわめて精緻に仕上げられた完璧な画面が見出されることになる。その結果、本画はしばしば「工芸的」「技巧的」と評される特質を帯びるが、近代的芸術観が浸透した現在では、そうした特質はむしろマイナスの要素と捉えられたり、場合によっては大下絵の方が優れているという見方も成立し得るのである。確かに、構想が意匠として完成し、固定化した本画より、刻々と変化するディナミズムをはらんだ大下絵の方が、創作の本質を開示してくれていると捉えられるかもしれない。その意味で大下絵は、本画よりも近代的な表現と感じられるのであろう。現代では、ティテュス=カルメルのように、素描的な表現を積極的に実践している作家も登場しているが、そこにも創作のプロセスそのものを重視する姿勢が見て取れる。

 近代以前の制作現場では、浮世絵や工芸品の場合のように分業体制が取られることが多く、その場合には、実際の制作は、すでに完成した下絵なり意匠なりを、職人的手技によってそれぞれの素材の上に実現することであった。こうした伝統的な制作方法と創作を重視する近代的な芸術観との齟齬は、版画や工芸の分野でも、大正以降、次第に浮き彫りにされ、職人的制作を疑問視する版画家や工芸家が登場し、構想から制作まで、一貫して芸術的創造活動の中に位置づけようとする試みがなされ、新たな局面を迎えた。

 しかしながら逆に言えば、近代以前には、分業、あるいは構想と制作の分離のなかで、精緻な職人的技術が作品に存分に生かされると同時に、非常に洗練されたほとんど無限のヴァリエーションを有する意匠が生み出され、豊かな装飾の歴史が築かれてきたのも事実であろう。「意匠」は「心中にくふうを凝らして制作すること」であると同時に美術品、工芸品に応用するための「装飾的な考案」(『日本国語大辞典』)を指す言葉として、明治以降は「デザイン」の訳語としても用いられるようになった。近代以降も、洗練された装飾感覚が様々な形で新しい表現を獲得しながら生き続けている一方で、デザインという概念のもとでは、新たな分業体制による創造の領域が無限に拡大しつつある。

(土田真紀)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰 1922 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) 木陰 1922 絹本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 淀の水車 1926 淡彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
宇田 荻邨 (1896-1980) スケッチ帖      
安田 靫彦 (1884-1978) 天孫降臨画稿   紙本墨画  
速水 御舟 (1894-1935) 花の傍下絵 1932 紙本著色  
村山 槐多 (1896-1919) 着物の女と女の顔 1915 水彩・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 癩者と娘等 1915頃 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) しゃがんだ男 1915 水彩、インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 立っているピエロ 1918 鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 詩『死の遊び』 1919 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
村山 槐多 (1896-1919) 信州風景 1917 木炭・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 群像 1916 木炭・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 自画像 1918 インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 天使(部分) 1918頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 三人(野原)   インク・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) 『文章世界』表紙下絵 1918 墨、鉛筆・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) クレヨン画断片   クレヨン・紙 (財)岡田文化財団寄贈
関根 正二 (1899-1919) スケッチブック 1919頃 インク他・紙 (財)岡田文化財団寄贈
安井曾太郎 (1888-1927) 1907頃 鉛筆・紙  
安井曾太郎 (1888-1927) 農家の娘 1907頃 鉛筆・紙  
岸田 劉生 (1891-1929) 照子素描 1919 水彩、木炭・紙  
萬 鐵五郎 (1885-1927) 茅ケ崎風景 1924頃 コンテ・紙  
萬 鐵五郎 (1885-1927) ほほづゑの人 1926頃 鉛筆・紙  
佐伯 祐三 (1898-1936) 銀座風景 1926頃 インク・紙  
佐分  真 (1898-1936) 群像(習作)   鉛筆・紙  
野田 英夫 (1908-1939) 人物   インク・紙  
野田 英夫 (1908-1939) 風景 1932 水彩・紙  
瑛 九 (1911-1960) 人物 1935頃 インク・紙  
瑛 九 (1911-1960) 作品 1935頃 インク・紙  
靉 光 (1907-1946) 1937 墨・紙  
今西 中通 (1908-1947) 男二人 1941頃 コンテ・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 婦人像   墨・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 1947 インク・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 風景 1946 墨・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 風景 1948頃 墨・紙  
松本 竣介 (1912-1948) 建物 1945頃 油彩・板  
原 精一 (1908-1986) 椅子による少女   クレヨン・紙 原理一郎氏寄贈
林 武 (1896-1975) 無題 1967頃 コンテ・紙  
林 武 (1896-1975) 無題 1967頃 コンテ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 荒川B 1954 コンテ・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 大崎駅付近 1959 インク・紙  
麻生 三郎 (1913-   ) 1979 鉛筆・紙  
山口  薫 (1907-1968) 富永惣一著『美と感覚』表紙原画 1956 水彩・紙  
飯田 善國 (1923-   ) ストレインジャー 1961 鉛筆・マーカー・紙 作者寄贈
飯田 善國 (1923-   ) 生の花 1964 鉛筆、マーカー、ペン・紙 作者寄贈
若林  奮 (1936-   ) 大気中の緑色に属するもののためのデッサン 1982 鉛筆・紙  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題 1981 鉛筆、オイルパステル、アルミ箔、経木・紙  
湯原 和夫 (1930-   ) 無題87-1 1987 アクリル、墨汁、しゅろ縄・紙  
マックス・
ペヒシュタイン
(1881-1955) 船員 1919 水彩、コンテ・紙  
ベン・ニコルソン (1894-1982) 静物 1955 オイルウォッシュ、鉛筆・紙  
ベン・ニコルソン (1894-1982) パロスの木 1968 エッチング、アクアチント・紙  
アルベルト・
ジャコメッティ
(1901-1966) 正面向きの裸婦 1955 エッチング・紙  
アルベルト・
ジャコメッティ
(1901-1966) 1965 エッチング・紙  
G・カルテュス=
カルメル
(1942-   ) 四季・秋より Ⅳ 1989 アクリル・紙  
G・カルテュス=
カルメル
(1942-   ) 四季・秋より Ⅴ 1989 アクリル・紙  
新井 謹也 (1884-1966) 呉須絵花瓶 1929頃 陶磁器  
新井 謹也 (1884-1966) 呉須文字四方花瓶 1940頃 陶磁器  
川喜田半泥子 (1878-1963) 白掛茶碗 銘 たつた川   陶磁器 預かり品
川喜田半泥子 (1878-1963) 粉引茶碗 銘 雪の曙   陶磁器 預かり品
川喜田半泥子 (1878-1963) 茶碗 銘 雅茶子   陶磁器 預かり品
川喜田半泥子 (1878-1963) 伊賀耳付水指 銘 慾袋   陶磁器 預かり品
八木 一夫 (1918-1979) みんなさかさま 1968 陶磁器  
平田 自一 (1929-   ) なべたに山のものがたり 1951 型染・紙  
宮田 脩平 (1933-   ) ピラミッド 1981  
宮田 脩平 (1933-   ) おとぎの国 1981  
宮田 脩平 (1933-   ) 円柱・角柱 1981  
森  一蔵 (1945-   ) 7×7=49 1982 陶磁器  
元永 定正 (1922-   ) タピストリーNO.9 1977 毛織物  
磯崎  新 (1931-   ) モンロー・チェア 1974 樺・天然セダー皮・ラッカー  
剣持  勇 (1912-1971) 「柏戸」椅子 1961 秋田杉ブロック・集成材  
剣持デザイン研究所   ハイバック・チェア 1980 マコレ、ポリウレタン塗装、籐  
菊地 芳文 (1862-1918) 白菊図   紙本金地著色 寺岡富士氏寄贈
都路 華香 (1870-1931) 祇園団扇   紙本著色 寺岡富士氏寄贈
山元 春挙 (1871-1933) 夕顔(瓢)   絹本著色 寺岡富士氏寄贈
小林 古径 (1883-1957) 麦秋 1915頃 絹本著色  
安田 靫彦 (1884-1978) 小倉の山 1930頃 絹本著色  
前田 青邨 (1885-1977)   絹本著色  
中村 岳陵 (1890-1969) 都会女性職譜 1933 紙本著色  
宇田 荻邨 (1896-1980) 林泉 1935頃 絹本著色  
青木  繁 (1882-1911) 芙蓉図 1905 油彩・板 寄託品
宇治山哲平 (1910-1986) 伊勢 1976 油彩・キャンヴァス  
田中 一光 (1930-   ) 1974 シルクスクリーン・紙  
イサム・ノグチ (1904-1988) スレート 1945 ブロンズ  
堀内 正和 (1911-   ) 水平の円筒 1959 鉄・御影石  
堀内 正和 (1911-   ) 二つの円 1993 コラージュ・紙  
堀内 正和 (1911-   ) しろとくろ まるとしかく 1993 コラージュ・紙  
村井 正誠 (1905-   ) 1973 コンテ・紙 作者寄贈
村井 正誠 (1905-   ) 作品 1974 水彩、コンテ・紙 作者寄贈
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1981 鉛筆・紙 作者寄贈
浅野 弥衛 (1914-1996) 作品 1981 鉛筆・紙 作者寄贈
浜口 陽三 (1909-   ) 14のさくらんぼ 1965 カラーメゾチント・紙  
浜口 陽三 (1909-   ) 突堤 1966 カラーメゾチント・紙  
福井良之助 (1923-1986) かたつむりと葉 1964 シルクスクリーン・紙  
福井良之助 (1923-1986)   シルクスクリーン・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 合浦浜まい瑰華の柵 1955 木版・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 蒼原の柵 1956 木版・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 四季韻の柵 1958頃 木版・紙  
棟方 志功 (1903-1975) 安川加礼無題頌の柵 1958頃 木版・紙  
 

第3室:ドーミエと19世紀の版画

 ルネサンス以降の西ヨーロッパの社会では、芸術家という職業が単なる職人から区別され、格上げされるにいたるのだが、彼らによって作りだされた制作物に関しても、一点一点のできがどうこうという以前に、それらが属するジャンル自体に階級があると見なされていた。絵画や彫刻は、応用芸術としてのデザイン、工芸、装飾より上位に位置づけられていたし、たとえば絵画の内部でも、宗教や神話を題材にすることで人間の普遍的な理念を表現するとされる歴史画が最も高貴なものであり、風俗画、肖像画、風景画、静物画などは普遍性を欠く劣ったジャンルでしかない。こうしたヒエラルキアは社会的階級制の一環をなすわけだが、さらに、女性は多く父親が画家である場合にのみ同じ道を選ぶことができ、その場合でも、歴史画に必須の裸体研究の場からしめだされていたという点で性差の問題、また西欧の白人キリスト教以外の文化がはじめから度外視されているという点では人種の問題などとも無縁ではない。

 今日でいえば写真の役割に相当する、情報伝達を最大の機能とする版画もまた、フレスコやテンペラ、そして油彩と同等のものと受けとめられてはいなかった(複製できるからというわけだけでもないのは、人気を博した作品のレプリカ制作や模倣が常套だったことによる)。とはいえ、少なくとも現在の目から見れば、他のジャンル同様、この領域もすぐれた成果を残した作家を欠いてはいない。デューラー、レンブラント、ブレーク、ゴヤといった名前がただちに思いうかぶことだろう。その内ブレークは、古典主義的な規準からすれば滑らかとはいいがたいプリミティヴな線や構図によって、独自の神智説的宇宙史のヴィジョンにリアリティを与えた。ゴヤは、銅版画の硬質さに応じ、人間からいっさいの尊厳を奪う冷酷な描写によって、画面を宿命の戯れる時空たらしめる。とすると版画は、マイナーなジャンルであるがゆえに、高級芸術に対する批判的な機能をはたしえたと見なすことができるかもしれない。

 とはいえ、ブレークを別にして、上にあげた作家たちはいずれも、その主たる活動のメディアが油彩だった。これに対し、後に油彩や彫刻を手がけることになるとはいえ、近代市民社会のジャーナリズムから出発したのがドーミエである。その『古代史』はまさに、古典古代に範をとった歴史画に対するパロディにほかならない。そこでは、高貴であり理想化されるべき古代の神々や英雄たちが、徹底的に卑俗で現実的なものとして諷刺されている。たとえば『オイデイプースとスピンクス』はアングル(1808-25)、『サッポーの死』はグロ(1801)、『エンデュミオーン』はジロデ(1791)等と、新古典主義の同じ主題による具体的な作例が標的にされるにおさまらず、それらがよってたつ価値の理念そのものが、中産市民的猥雑さによって顛倒させられているのだ。

 ただし、ドーミエの画面を単なる諷刺的意図の叙述にとどめていないのは、人物たちに吹きこまれた生気である。これは、柔らかく稠密なリトクレヨンを原板にあてる角度、圧力、速度、肥痩を緩急自在にあやつることによってえられた。顔の表情やからだの輪郭は、内側から湧きだす生命の圧力にしたがって決定される。他方図に対する地の部分も、からっぽのままではない。壁や空気、光と闇が、密度をもつものとして、人物たちを包みこんでいる。こうした形式上の特質と諷刺という主題が充全に調和している点で、ドーミエの版画は逆説的ながら、しばしば空虚に流れがちな新古典主義の作品やサロン絵画以上に、古典的な充溢の内にあるといえるだろう。

(石崎勝基)

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
バルトロメ・エルテバン・ムリリョ (1617-1682) アレクサンドリアの聖カタリナ 1645頃 油彩・キャンバス  
スルバラン派の画家   聖ロクス 17世紀 油彩・キャンバス 有川一三氏寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 騎兵アルベルト・フォラステール 1804 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746-1828) 戦争の惨禍 1810-20
(1863刊)
エッチング、アクアチント・紙  
ウィリアム・ブレーク (1757-1827) 『ヨブ記』挿絵 1825 エングレーヴィング・紙  
オノレ・ドーミエ (1808-1979) 古代史 1841-43 リトグラフ・紙  
ジョルジュ・ビゴー (1860-1927) 日本素描集 1886 エッチング・紙  
アレクサンドル・スタンラン (1859-1923) 『ジル・プラス』紙挿絵 1891-94 写真凸版・紙  
エドヴァルト・ムンク (1863-1944) アイアー=グレーフェ・ポートフェリオ 1895刊    
病める少女 1894 ドライポイント、ルーレット紙  
月光 1895 ドライポイント、アクアチント・紙  
クリスティアニア・ボヘームⅠ 1895 エッチング、ドライポイント・紙  
その翌朝 1895 ドライポイント、アクアチント・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ベアトリーチェ 1897 リトグラフ・紙  
オディロン・ルドン (1840-1916) ヨハネ黙示録 1899 リトグラフ・紙  
オーギュスト・ルノワール (1841-1919) 青い服を着た若い女 1876頃 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
クロード・モネ (1840-1926) ラ・ロシュブロンドの村 1889 油彩・キャンバス (財)岡田文化財団寄贈
オディロン・ルドン (1840-1916) アレゴリー 1905 油彩・キャンバス  
 

ギャラリー、ロビー

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
須知 鏡子 (1947-   ) person&personⅢ 1994 綿布、コラージュ  
オシップ・ザッキン (1890-1967) ヴィーナスの誕生 1930 ブロンズ 岡三証券寄贈
清水 九兵衞 (1922-   ) FIGURE-B 1986 アルミニウム  
飯田 善國 (1923-   ) Xのコンストラクション 1987 木、着色麻ロープ  
多田 美波 (1924-   ) 1982 テラコッタ、ステンレススティール  
江口 週 (1932-   ) ふたたび翔べるか 柱上の鳥 1963  
 

屋外彫刻

作家名 生没年 作品名 制作年 材質 備考
ジャコモ・マンズー (1908-1991) ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 1973 ブロンズ 百五銀行寄贈
番浦  有爾 (1935-   ) 1990 ブロンズ  
多田  美波 (1924-   ) 作品91 1991 ステンレススティール  
松本 薫 (1952-   ) Cycle-90° 1992 ステンレススティール  
湯原  和夫 (1930-   ) 無題 1982 鉄・ステンレススティール 井村屋製菓寄贈
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 82 1982 鉄・ステンレススティール  
井上  武吉 (1930-1997) my sky hole 85-6 1985  
田畑 進 (1944-   ) NOKOSARETA-KATACHI 1982 ステンレススティール・黒御影石  
八ツ木 のぶ (1946-   ) 象と人(異邦の夢) 1988 ステンレススティール・ウレタン塗装  
梶 滋 (1951-   ) 円柱とその周辺 1986 アルミニウム  
石原  秀雄 (1951-   ) 暗室の王 1994 白御影石  
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