常設展示1993年度【第1期展示】 1993年3月30日(火)~6月27日(日)
第1室:昭和の洋画、第二次世界大戦まで
昭和の初期は1941年(昭和16年)からはじまる第二次世界大戦の布石になる時代である、1923年(大正12年)の大震災と、それにひきつづく世界大恐慌は日本の経済におおきな衝撃をあたえ、そのはけ口を国外へもとめた結果、1931年(昭和6年)の満洲事変がおこった。これが理由で諸外国からは非難をうけ、国際連盟を脱退した日本は日中戦争を仕掛け、軍国主義の色彩を濃くしていった。すなわち、これまでの洋画史を振り返ってみても昭和戦前から戦中にかけての時代ほど、表現活動が政府の統制下に置かれた時代はない。しかし、今日の主要な団体展の多くが大正からこの時期に設立されているのを考えても、けっして美術界自体が沈滞していたわけではなかった。
世界に眼を向けると、この頃の芸術の中心はパリであった。各国の画家がこの地にあつまり、後期印象派、フォービスム、キュビスムや抽象主義などの運動を従来の写実表現とはちがった手法でつぎつぎと展開した。日本の画家も例外ではない。明治初期の画家の留学先がイタリアやドイツなどさまざまであったのに対し、この時期の日本人画家のほとんどが芸術の都となったパリで学んだ。佐伯祐三や荻須高徳はパリの街並みを主な題材に描き、藤田は陶器のようなつやのある地塗りと繊細な線でパリの売れっ子作家になった。
日本では1926年(大正15年)にパリで学びあった前田寛治、里見勝蔵、佐伯祐三らが「愛と尊敬と芸術」を合い言葉に美術団体「1930年協会」を設立した。この会では靉光、長谷川利行らが受賞しており、若い画家にも支持され大きな団体へと発展したが、それゆえに他の団体からの外圧をうけ、佐伯の逝去、前田の病臥なども原因で1930年(昭和5年)に解散した。この団体の意志を受け継ぐかたちとなったのが「独立美術協会」である。この会の創立会員13名中には春陽会(大正11年結成)出身の三岸好太郎や国画会(大正14年西洋画部新設)出身の高畠達四郎らも名を連ねる一方、他の11名はすべて二科会出身者であった。そのため「独立」という名は二科会からの独立という意味あいが強かったが、1935年(昭和10年)ころから創立会員の児島善三郎や1933年(昭和8年)に会員になった須田国太郎らはしだいに「フランス美術からの独立」を考えるようになった。以前、梅原龍三郎が当時の日本洋画を「フランス新画の出店芸術」と酷評し、日本の伝統美について模索したように西欧の新しい運動を断片的にとりいれるだけの作品が多いことへの反省、日本における洋画が如何にあるべきかを根本から問直す必要性を叫んだ。児島善三郎はマチスに影響を受けながらも大胆さを生かして桃山時代の障壁画や琳派を想起させる作品を生みだし、須田国太郎は油絵具という素材と格闘しながら静寂ななかにも荘厳な空間をつくりだした。この理念は他の団体の画家のあいだにもしだいに浸透していった。
このように各団体が活発に展開していった一方で、1919年(大正8年)から文部省美術展覧会にかわり美術界を総合する役割を担っていた帝国美術院展の作品の質が低下し、1935年(昭和10年)に帝展の改組が松田文相によって行われた。帝展の改組は美術界再統制と二科会所属の安井曽太郎らを新たに会員としてむかえることによって内部刷新をはかろうとしたが、帝展の中堅画家の抵抗などで暗礁に乗り上げ、離合集散が繰り返されたのち昭和12年に新文展の名で一応の決着をみせることになる。
(田中善明)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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小出 楢重 | (1887-1931) | 秋の風景 | 1920 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
小出 楢重 | (1887-1931) | パリ・ソンムラールの宿 | 1922 | 油彩・キャンヴァス | |
小出 楢重 | (1887-1931) | 裸女立像 | 1925 | 油彩・キャンヴァス | |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 自画像 | c.1917 | 油彩・キャンヴァス | |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 新橋風景 | 1926 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 滞船 | 1926 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | 米子像 | 1927 | 油彩・キャンヴァス | |
佐伯 祐三 | (1898-1928) | サン・タンヌ教会 | 1928 | 油彩・キャンヴァス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 風景 | c.1924 | 油彩・キャンヴァス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 赤い帽子の少女 | 1928 | 油彩・キャンヴァス | |
前田 寛治 | (1896-1930) | 裸婦 | 1928 | 油彩・キャンヴァス | |
福沢 一郎 | (1898- ) | コメディー・フランセーズ | 1924 | 油彩・キャンヴァス | |
清水 登之 | (1887-1945) | ロシア・ダンス | 1925 | 油彩・キャンヴァス | |
清水 登之 | (1887-1945) | 蹄鉄 | 1925 | 油彩・キャンヴァス | |
靉 光 | (1907-1946) | とげ抜き | 1925 | 木炭・紙 | |
靉 光 | (1907-1946) | 鷺 | 1937 | 墨・紙 | |
里見 勝蔵 | (1895-1980) | 裸婦 | 1927 | 油彩・キャンヴァス | |
三岸 好太郎 | (1903-1934) | 桃の静物 | c.1927 | 油彩・紙 | 寄託品 |
三岸 好太郎 | (1903-1934) | 二人の道化 | c.1931 | 油彩・紙 | |
荻須 高徳 | (1901-1986) | 街角(グルネル) | 1929-30 | 油彩・キャンヴァス | 東畑建設事務所寄贈 |
島崎 鶏二 | (1906-1944) | パリ郊外 | c.1930 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
山口 薫 | (1907-1968) | シュミーズの女 | 1931 | 油彩・キャンヴァス | |
須田 国太郎 | (1891-1961) | 禿鷹 | c.1932 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
須田 国太郎 | (1891-1961) | 信楽 | 1935 | 油彩・キャンヴァス | |
須田 国太郎 | (1891-1961) | 鷲 | c.1942 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
海老原喜之助 | (1904-1970) | 森と郡鳥 | 1932 | 油彩・キャンヴァス | |
谷中 安規 | (1897-1946) | 虎ねむる | 1933 | 木版・紙 | |
谷中 安規 | (1897-1946) | 瞑想氏 | 1933 | 木版・紙 | |
梅原 龍三郎 | (1888-1985) | 山荘夏日 | 1933 | 油彩・キャンヴァス | |
牛島 憲之 | (1900- ) | 貝焼場 | 1935 | 油彩・キャンヴァス | |
鳥海 青児 | (1902-1972) | 紀南風景 | 1936 | 油彩・キャンヴァス | |
村井 正誠 | (1905- ) | 支那の町NO.1 | 1938 | 油彩・キャンヴァス | |
児島 善三郎 | (1893-1962) | 箱根 | 1938 | 油彩・キャンヴァス | |
中谷 泰 | (1909- ) | 都会風景 | 1932 | 油彩・キャンヴァス | |
恩地 孝四郎 | (1891-1955) | 白い花 | 1941(1987再刷) | 木版・紙 | |
恩地 孝四郎 | (1891-1955) | アレゴリーNO.2 廃墟 | 1948(1987再刷) | 木版・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 花 | c.1944 | 油彩・キャンヴァス | 寄託品 |
松本 竣介 | (1912-1948) | 家族 | 1937 | 鉛筆・コンテ・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 街 | 1946 | インク・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 風景 | 1946 | 墨・紙 | |
松本 竣介 | (1912-1948) | 男 | 1947 | ペン・インク・紙 |
第2室 月僊・曾我蕭白と三重の近世画人たち
月僊は、伊勢地方で活躍した画家たちの中で逸することのできない存在として、三重県立美術館では開館以来、作品収集につとめてきた。
世に月僊筆とされる作品は、真贋とりまぜて非常に多く伝えられている。江戸時代の画家では、谷文晁や池大雅が多作家としてよく知られているが、作品数では月僊はこの二人を凌駕しているかもしれない。月僊画は、地域的には生誕地である尾張・三河地方と長年生活した伊勢地方に集中しており、月僊はこの地方の人々にとっては古くから親しい存在であった。
作品は数多く伝わってはいるが、現在でも月僊評価は定まっていないという感は否定できない。それにはいくつかの理由がある。小品の数は多くても、月僊の画技が十二分に発揮された魅力ある大作が数少ないのが第一の理由、描かれた年代を知ることのできる作品がごくわずかで、作風変遷をたどることが困難なことが第二の理由、第三の理由は、月僊画に漂う独特の卑俗な感じが、洗練された感覚や精神性を尊重する現代的な絵画観に合わない等々であろう。
絵画史の研究対象として、月僊に興味を持つ研究者は少なくないのだが、魅力ある作品が乏しいためか、本格的な研究が行われていないのが実状である。この月僊研究を進める手がかりとして、1988年に故小津茂郎氏の御遺族から当館に寄贈された旧小津茂右衛門コレクションは重要である。
まとまった月僊コレクションとしては、伊勢市の神宮徴古館に所蔵される故池田敬八収集の400点以上の月僊画がよく知られている。当館の旧小津茂右衛門コレクションは、数こそ60数点と多くないが、その中に年紀のある作品3点の他、書簡や画稿などを含み、月僊を研究する上で貴重な作品群ということができる。
松阪市の小津茂右衛門家は、清左衛門家、与右衛門家とならぶ小津三家のひとつで、この月僊コレクションは明治末から昭和にかけて地元の実業界で活躍し、茶人としても知られた故小津定郎茂右衛門によって収集され、早く1927年(昭和2)に恩賜京都博物館(現京都国立博物館)で公開されたことがあった。
今回展示されている「西王母図」(明和7年〈1770〉)や「東方朔図」、「蘭亭曲水図」(文化3年〈1806〉)、「十六羅漢図」などは、その中でも質の高い作品であり、また「西王母図」と「蘭亭曲水図」は制作年代が知られる点でも貴重である。
現在知られている月僊画の中で、年紀のある作品は、所在不明のものを含めてもわずか13点が知られるだけである。そのうち、この「西王母図」に記される明和7年は最も早い年代で、月僊30歳の年にあたる。伝記によれば、この頃月僊は京都で暮らしており、円山応挙に師事していたとも伝えられる。「西王母図」は後年に大量制作される月僊画とは異なる、中国明代の美人画風のスタイルを示し、修学時代における月僊の制作姿勢をうかがえる興味深い作品といえる。
一方、文化3年の「蘭亭曲水図」は、月僊死去の3年前に制作された図で、月僊最晩年の作風を伝えている。伊勢在住時代の作品には、多作をこなさんがための粗略な表現の見られるものが多いが、本図はそうした欠陥の少ない、丁寧な筆使いによる佳品である。
月僊はいわゆる大画家ではないが、彼の制作のありようは、江戸時代絵画の複雑な動きの一端を知る上で、重要な問題をはらんでいる。そうした意味でも、旧小津茂右衛門コレクションの多彩な表情を見せる良質の月僊画は貴重な存在といえるだろう。
(毛利伊知郎)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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月 僊 | (1721-1809) | 西王母図 | 1770(明和7) | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1721-1809) | 東方朔図 | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション | |
月 僊 | (1721-1809) | 人物と牛 | 絹本淡彩 | 旧小津茂右衛門コレクション | |
月 僊 | (1721-1809) | 雪中人物図 | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション | |
月 僊 | (1721-1809) | 蘭亭曲水図 | 1806(文化3) | 絹本著色 | 旧小津茂右衛門コレクション |
月 僊 | (1721-1809) | 一六羅漢図 | 紙本墨画 | 旧小津茂右衛門コレクション | |
池 大雅 | (1723-1776) | 山水図 | 紙本淡彩 | ||
池 大雅 | (1723-1776) | 二十四橋図 | 紙本淡彩 | ||
韓 天寿 | (1727-1775) | 山水図 | 紙本墨画 | 寄託品 | |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 許由巣父図 | 紙本墨画 | ||
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 林和靖図 | 1760(宝暦10) | 紙本墨画 | |
曾我 蕭白 | (1730-1781) | 周茂叔愛蓮図 | 紙本墨画 | ||
青木 夙夜 | ( -1802) | 琴棋書画図 | 1795(寛政7) | 絹本墨画淡彩 | |
青木 夙夜 | ( -1802) | 冨嶽図 | 絹本著色 | ||
田中 岷江 | (1735-1816) | 寒山拾得図 | 紙本墨画 | ||
増山 雪斎 | (1754-1819) | 花鳥図 | 1794(寛政6) | 絹本淡彩 | |
増山 雪斎 | (1754-1819) | 百合に猫図 | 絹本著色 | ||
増山 雪斎 | (1754-1819) | 雁図 | 1815(文化12) | 絹本著色 | |
歌川 広重 | (1797-1858) | 隷書東海道五十三次 | 1847-51(弘化4-嘉永4) | 木版・紙 | 東海銀行寄贈 |
第3室:ルドン、ルオーと19世紀のヨーロッパ絵画
20世紀も終わろうとする現在のアート・シーンのなかで、しばらくまえからポスト・モダンがもんだいになっているが、そのときいうモダン/近代は、詩人のボードレールがつかったその言葉とほぼ重なり、19世紀のなかばフランスの首都パリで花開いたけれど、その種はとおく18世紀の末ごろにすでに蒔かれた特殊な思想である。そしてこのポスト・モダンの思想は、モダンの否定というより、モダンという「放蕩息子」の「帰還」とみてとれば、はなしはずっと簡単になる。いまほとんど無意識につかっている芸術家ということばはそんなに古くない。この「放蕩息子」がうまれたのは19世紀のヨオロッパだった。たとえばベラスケスとゴヤをくらべてもいい。ゴヤにあった苦悩や孤独や天才といった意識は、かれに現実を闇の力とみさせ、『戦争の惨禍』のような社会のもつ暗黒面を絵にすることを可能にした。それは宮廷に寄生した絵師にはかんがえられない批評意識である。
この鋭い視線はまづ貴族や新興のブルジョワ階級にむけられて、その愚劣を風刺してやまない。ドーミエがやったのはそれで、『古代史』では過去に舞台をとっても、そこで辛辣にやっつけられているのはあくまでも現代の風俗なのだ。そしてそのとき風刺の対象から自分さえも免れていなくて、そういう近代の自己意識がドーミエに一種のほろ苦さをあたえているが、もっと鋭く神経的に尖ってゆけばロートレックのような画風があらわれてくる。
ところで、モダンがロマン主義の思想と複雑にからまりあったボードレールにとって、画家といえる画家はなによりドラクロワだったのはじじつだが、パリという人工の森の夜をこよなく愛したかれはシャルル・メリヨンがパリにみた「生活の栄光と苦悩のなかで年経り老いた一首都の深く複雑な魅力」をつとにみぬいて、かれの『プチ・ポン』をはじめとする『パリ連作』の独創を「巨大な一都市の自然な威容が、これ以上の詩情をもって表現された例はない」と称賛するいっぽう、むしろレンブラントやアルトドルファーの神秘に一脈通ずるブレスダンには冷淡だった。そのブレスダンの夢想と不安にふかく影響されて出発したのがルドンである。ルドンの『ヨハネ黙示録』の黒は、ブレスダンをとおってレンブラントの黒に達するし、またゴヤの黒ともけっして無縁ではない。その闇の色のふかさは自然そのものというより、もっと精神にかかわっているからである。
神は死んだとニーチェはいう。そのかわりに自然が登場して、自然が神の空位をうめる。それが美術のばあい印象主義という姿をとることになった。この自然というかんがえは単純で明快で、普遍的だから、明治の日本人もたやすく受けいれた。モネにしてもルノワールにしても、単にみえるがままに描いておらず、高度な技術が虚構をささえているのだけれど、みるまえの準備などいらない。『ラ・ロシュブロンドの村』や『青い服を着た若い少女』のほうも、ただそういうものとしてみられたがっている。ようするにそこにあるのは、「ものをみるためには眼をとじなくてはいけない」といったルドンとは逆の、どこまでも眼をみひらき、他のすべてを光学としての光/視覚に集中するという態度である。
「ルノワールまたはドガを満足させた現実に面と向かって、私は超現実派のように、一つの極めて美しい現実が存在するといおう」とかたったルオーは、こういう19世紀の空気のなかでは孤立した異例ともみえる。
かれにはゴヤやドーミエやロートレックと似た、ブルジョワ社会の悲惨と悪を暴露する激しさをもちながら、そのはげしさによって、これが現実だという眼にみえる世界をこえて、もういちどルドンのように世界の奥の闇とぶつかり、そこからレンブラント以後見失われつつあった光の感覚をとりもどした。すでに近代の神話である個性を信じてはいなくて、画家が署名などしなかった、かつての良き時代をなつかしんでいるルオーは、アルティストというより、むしろアルティザンだった。
(東俊郎)
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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バルトロメー・エウテバン・ムリーリョ | (1617-1682) | アレクサンドリアの聖カタリナ | c.1645-50 | 油彩・キャンバス | |
スルバラン派の画家 | 聖ロクス | 17世紀 | 油彩・キャンバス | 有川一三氏寄贈 | |
フランシスコ・デ・ゴヤ | (1746-1828) | 戦争の惨禍 | c.1810-20 | エッチング・紙 | |
ウィリアム・ブレイク | (1757-1827) | ヨブ記 | 1825 | エッチング・紙 | |
オノレ・ドーミエ | (1808-1879) | 古代史 | 1841-43 | リトグラフ・紙 | |
シャルル・メリヨン | (1821-1868) | プチ・ポン | 1850 | エッチング、ドライポイント・紙 | |
シャルル・メリヨン | (1821-1868) | ノートルダムの給水塔 | 1852 | エッチング、ドライポイント・紙 | |
シャルル・メリヨン | (1821-1868) | 塔・医学校通り | 1861 | エッチング、ドライポイント・紙 | |
ロドルフ・ブレスダン | (1822-1885) | 善きサマリア人 | 1861 | リトグラフ・紙 | |
ロドルフ・ブレスダン | (1822-1885) | 鹿のいる聖母子 | 1871-78 | リトグラフ・紙 | |
オーギュスト・ルノワール | (1844-1919) | 青い服を着た若い女 | c.1876 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
クロード・モネ | (1840-1926) | ラ・ロシュブロンドの村 | 1889 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
トゥルーズ=ロートレック | (1864-1901) | ムーラン=ルージュのイギリス人 | 1892 | リトグラフ・紙 | |
エドヴァルト・ムンク | (1863-1944) | マイアー・グレーフェ・ポートフェリオ | 1895 | エッチング、ドライポイント・紙 | |
オディロン・ルドン | (1840-1916) | ヨハネ黙示録 | 1899 | リトグラフ・紙 | |
オディロン・ルドン | (1840-1916) | アレゴリー | 1905 | 油彩・キャンヴァス | |
ジョルジュ・ルオー | (1871-1958) | 受難(パッション) | 1939 | カラーオーフォルト・紙 | |
ジョルジュ・ルオー | (1871-1958) | キリスト磔刑 | 1939頃 | 油彩・キャンバス | 岡田文化財団寄贈 |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | ロマの女 | 1900 | パステル・油彩・紙 | 三重県企業庁寄託 |
パブロ・ピカソ | (1881-1973) | ふたつの裸体 | 1909 | ドライポイント・紙 | |
アントワーヌ・ブールデル | (1861-1929) | ベートーヴェン | 不詳 | ブロンズ | 寄託品 |
ギャラリー、ロビー
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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飯田 善國 | (1923- ) | クロマトポイエマ | 1972 | シルクスクリーン・紙 | |
小野木 学 | (1924-1975) | 風景 | 1974 | シルクスクリーン・紙 | |
加納 光於 | (1933- ) | 稲妻捕り | 1977 | リトグラフ・紙 | |
オシップ・ザッキン | (1890-1967) | ヴィーナスの誕生 | 1930 | ブロンズ | 岡三証券寄贈 |
向井 良吉 | (1918- ) | 発掘した言葉 | 1958 | ブロンズ | 作者寄贈 |
佐藤 忠良 | (1912- ) | 賢島の娘 | 1973 | ブロンズ | |
澄川 喜一 | (1931- ) | そぎとそり | 1975 | 木 | |
湯原 和夫 | (1930- ) | 意味の自由区No.2-88 | 1982 | 鉄、ステンレス | |
江口 週 | (1932- ) | 漂流と原形 | 1981 | 木 | |
江口 週 | (1932- ) | ふたたび翔べるか?-柱上の鳥 | 1988 | 木 | |
多田 美波 | (1924- ) | 曙 | 1982 | テラコッタ、ステンレス | |
保田 春彦 | (1930- ) | 都市1.2.試作(1,2) | 1985 | 鉄・赤錆 | |
清水 九兵衞 | (1922- ) | FIGURE-B | 1986 | アルミニウム | 預り品 |
飯田 善國 | (1923- ) | Xのコンストラクション | 1987 | 木・着色麻ロープ |
屋外彫刻
作家名 | 生没年 | 作品名 | 制作年 | 材質 | 備考 |
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ジャコモ・マンズー | (1908- ) | ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車 | 1973 | ブロンズ | 百五銀行寄贈 |
湯原 和夫 | (1930- ) | 無題 | 1982 | 鉄・ステンレス | 井村屋製菓寄贈 |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 82 | 1982 | 鉄・ステンレス | |
井上 武吉 | (1930- ) | my sky hole 85-6 | 1985 | 鉄 | |
田畑 進 | (1944- ) | NOKOSARETA―KATACHI | 1982 | ステンレス・黒御影石 | |
梶 滋 | (1951- ) | 円柱とその周辺 | 1986 | アルミニウム | |
八ツ木 のぶ | (1946- ) | 象と人(異邦の夢) | 1988 | ステンレス・ウレタン塗装 | |
番浦 有爾 | (1935- ) | 風 | 1990 | ブロンズ | |
多田 美波 | (1924- ) | 作品91 | 1991 | ブロンズ |