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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.61-70) > 中澤英明《子供の顔(ニョキニョキ)》

子どもの情景」展(1996)より

中澤英明(1955~)《子供の顔(ニョキニョキ)》

1995年 テンペラ、油彩・板、和紙 53.0×45.5cm

 中澤は、自分の作品について解説することをいやがっている。おのれの作品を饒舌に解説してみせる作家より僕はこうした作家が好きである。でも、作品を強引に文章化しなくてはいけない立場からすると、そのあたりが、もっともつらいところである。あえて作品を解説してみれば、浮ついた言葉の遊びになって形骸化していくのが目に見えているからだ。

 

 それはそうと、彼の作品のなかで≪ニョキニョキ≫を選んだのは、他でもない、この子供が我が子によく似ていて、比較的近寄りやすかったからだ。ひん曲がった・福ェわずかに歪み、なにかを主張したいようであるが、彼女(彼?)の頭のなかは大人の筋道立った思考回路とはほど遠い、もやもやとした状態にある。言葉にならない未分化な訴えが無数にある子供の回路を絵にあらわしたら多分こんな感じになるのだろうか。大人は、こうした子供の回路を自分たちの都合で一方的に解釈し、大人の答えへと導こうとする。そして、いつのまにかあらゆる可能性を秘めたこの回路は収束され、子供は社会に適応したつまらない大人へと退化していく。いや、今の作品の解釈は、全くの見当違いで、この子の頭のニョキニョキが昆虫のごとく触手を伸ばして外界をうかがっているのかもしれない。それにしても、子供の醒めた目つきが気になる。

 

 中澤は子供を題材に描き続けているが、自分の子供を描いた≪風人≫以外、すべてモデルは居ないそうである。彼が扱うテンペラと油絵の混合技法は、職人的な技術を要し、制作は計画的にすすめられる性質のものである。この技法は、画材の特性を最大限に生かす一方で、手間のかかる作業ゆえ表現が堅くなる危険性をもっている。しかし、彼はそうした技法を研究しながらも、多様な子供の表情を画家の想像の世界で造りあげ、制作途中においても題材との感覚的なやりとりをつづけることで、そうした危険性を回避しているのだろう。

 

(田中善明・学芸員)

中澤英明

子供の顔(ニョキニョキ)

 

 
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