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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.31-40) > ひる・うぃんど(vol.37) 1988.3 陰里鐵郎「ひる・とおく」 100の絵画・スペイン20世紀の美術

ひる・とおく

ひる・とおく

 ハビエル・ルイス氏。彼は、三重県とスペインのバレンシア州との姉妹州提携を記念して開かれた「100の絵画・スペイン20世紀の美術」展のスペイン側のコミッショナーとして来日した。10月上旬、某日の夜、鳥羽のホテルのレストランで会食。このレストランの料理は、日本産の材料をうまく工夫したヨーロッパふうのクッキングでしられているとのことだが、このことの話題から会話ははじまった。ルイス氏はなかなかの食通で、スペインの海産物による料理についてその薀畜を傾けてしゃべってくれる。当方も貧弱な知識で、日本のそれを語って対抗するしかなかった。やがて話題は、クッキングからダイニングへと移っていった。そのきっかけは、卓上に箸を用意してもらったことによる。クッキングもそうだが、ダイニングもまた文化である。ヨーロッパ人の多くは、現在ほとんどがフォーク、ナイフをつかって食事をするが、東洋、といっても串国、朝鮮半島、日本は、箸を用いて食事をとる。この違いはどうして始まり、どんな歴史をそれぞれもっているか、といった具合に会話ははずんでいった。いずれにしても人類は、当初、手の指で食物をつまんでロヘ運ぶ、つまり手食であったはずであり、箸もフォークも、手、指の延長ではないか、といった話なった。とりわけフォークは手先きに似ているでないかという訳である。もっともフォークは柄の先に叉(プロング)がついていて手に似ているが、どうやら元は、ものを突き刺すための道具であった。農具にそれがあるように。それに対して箸は、ものをつまむための道具である。やはり、食物そのものの違いに応じて採用され、発達してきたのであろうかと。

 

 ちなみに日本でフォークで食事をした最初の人は誰であったろうかとその後に考えてみたりした。江戸の絵画、例えば寛政6年(1794)「芝蘭堂新元合図」の卓上にフォークが描かれており、慶賀の描く「蘭館内酒宴図」(文政期、1820年ころか)の武士の前の食卓にもそれがみえる。当時、それを「ほるこ」、または「ほこ」といったという。

 

(陰里鐵郎・館長)

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