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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.21-30) > ひる・ういんど 第30号 1989年(平成元)度収集作品について

1989年(平成元)度収集作品について

中谷伸生

 

 1989年度に美術館が収集した作品群の中で、とりわけ注目に値するのは、三重県ゆかりの江戸の画家、曾我蕭白(1730-1781)の永島家襖絵であろう。「波濤群鶴図」(6面)、「波に水鳥図」(6面)、「禽獣図」(4面)といった計16面に及ぶ襖絵は、前年の1988年度に購入した同家襖絵「竹林七賢図」(8面)、「松鷹図」(5面)に加えての収集で、いずれもの蕭白の代表作といってよい。「波濤群鶴図」は、永島家南西の八畳の間に描かれていたと伝えられ、同家襖絵中屈指の作品である。これで三重県立美術館所蔵の蕭白作品は、掛軸1幅、六曲屏風1双、上記襖絵29面の計7点となり、質量ともに充実した作品群を形づくるようになってきた。これらの襖絵は、本来どのような位置にはめられていたかが不明であり、蕭白研究の上で、重要な問題を提起するものと思われるので、今後の研究の進展に大きな期待が寄せられている。

 

 近代日本画の分野では、前田青邨(1885-1977)の大正初期と推定される「春」や、明治初期の川上冬崖(1828-1881)と藤堂凌雲合作「花卉図」(1879年)が挙げられる。凌雲(文化5年一明治19年頃)は、三重県ゆかりの画家で、我妻栄吉『三重画人伝』よると、「姓藤堂名良驥字千里凌雲と号す藤堂家の一族にして斎藤拙堂宮崎青谷井野勿斎池田雲樵等と共に藩主高猷公に事ふ能画の聞え高く遺作の観るべきもの少なからず後江戸に住し没年詳ならず其の子凌駿号石樵亦詩画を能くせりと云ふ」と記されている。藤堂家出身の凌雲は、江戸に出て冬崖と親交を結んだ文人画家だと伝えられる。

 

 次に洋画のジャンルでは、1960年に吉原治良が率いる具体美術協会に加わり、近年も旺盛な活動を行っている松谷武判(1937-)のキャンバスに和紙を貼り、アクリル絵の具などを使って描いた「OBLIQUE-3-’86」、あるいは吉原治良らと九室会の創立に参加した桂ゆき(1913-)の「作品」(1958年)、さらに渡辺豊重(1931-)、甲谷武(1945-)らの平面作品が挙げられる。伊勢市出身の甲谷は、毎日現代美術展で頭角を現したが、切り込まれたプラスチック板に白いアクリル絵の具を吹き付けるという、シンプルで切れ味のよい作品は、オリジナルな特徴を示し、今後の活躍が期待される画家である。加えて、京都の関西美術院で学んだ亀山市出身の榊原一廣(1883-1941)の油彩画、水彩画、素描など計194点が、遺族より寄贈となった。これらの作品群の中には、榊原以外に、彼と関西美術院で同窓であった妻の田中志奈子の素描類なども含まれている。

 

 また、版画類では、ピカソ(1881-1973)、ミロ(1893-1983)、トーロップ(1858-1928)、マイヨール(1861-1944)、プラマンク(1876-1958)、駒井哲郎(1920-1976)、藤森静雄(1891-1943)、浜田知明(1919-)らの作品を購入したが、とりわけ、ミロのリトグラフ「岩壁の軌跡Ⅰ-Ⅵ」(1967年)は、数多いミロの版画の中でもきわめて卓れた大作であり、当館のミロのコレクションに一層の重みを加えることになった。今ひとつ重要な版画として、ピカソの作品を収集した。このピカソの「ふたつの裸体」(1909年)は、小品であるとはいえ、初期キュビスムの重要なドライポイントによる版画である。分析的キュビスムに入る以前の様式を示す興味深い版画であって、ピカソの充実した時期のものである。珍しいところでは、オランダ象徴主義の画家で、当館でも1989年に展覧会を開催したトーロップの世紀末に制作されたリトグラフによる版画「種蒔く人」(1895年)がある。ヴィクトリーヌ・ヘフティングの解説によれば、<熱望>と<断念>を象徴する二人の女性が描かれたこの版画には、予備習作としての左右反転した素描が残されているという。

 このトーロップの作品は、すでに収集されているブレスダンやルドンの世紀末象徴主義の系譜を補うものである。

 

 さて、創作版画の分野では、恩知孝四郎、田中恭吉らと共に刊行した版画誌『月映』の活動で知られる藤森静雄の木版「けし1」(1914年)などの素朴で精神性の高い作品も収蔵されることになった。

 

 彫刻のジャンルでは、1988年に企画展を開催した飯田善國(1923-)の「SONZAI」(1967年)と「Ⅹのコンストラクション」(1987年)を構入した。後者の作品は、観念(言葉)と形体とを繋ぐ飯田の個性的な立体作品である。この作品は、文字と色紐を繋いだ飯田のもっともオリジナルな作品だと思われる1974年の「SEA-LAND」などの豊かな展開である。加えて、江口週(1932-)「ふたたび翔べるか一柱上の鳥」(1988年)の4メートルを超える樟材による彫刻は、ヨーロッパ中世のロマネスク芸術やブランクーシの彫刻ともどかかで響き合う大作であり、江口の造形思考の根底にあるものを、もっとも典型的に示す秀抜な彫刻である。他に新妻實(1930-)と関敏(1930-)の石彫も見逃せない。

 

 最後に、工芸の収集作品を概観してみると、三重県志摩郡鳥羽町(現在の鳥羽市)に元鳥羽藩士の父・頼輝の長男として生まれ、河芸郡白子町(現在の鈴鹿市)で育ち、京都で作家活動を行った新井謹也(1884-1966)の陶磁器5点が注目される。そられの中、「抜蝋春夏秋冬大鉢」や「呉須文字四方花瓶」など昭和初期頃の陶磁器は、謹也の作品中でも卓れたものだといえるだろう。近年、日本の近代工芸史の見直しが主張されるようになってきており、そうした動向の中で、新井謹也の存在が、ようやく日の目を見るようになってきた。他には三重県在住作家の片山政一(1924-)と水谷幸勉(1954-)の工芸作品が収集された。工芸関係の所蔵品は、まだまだ少ないが、徐々に収集対象を広げつつある。

 

 以上、1989年度の作品収集は、主として日本画と彫刻にカを入れたが、同時に東西の版画をも積極的に収集した。

 

(なかたにのぶお・学芸課長)

 

年報1989年度版:収集資料一覧

曾我蕭白『波濤群鶴図』

曾我蕭白『波濤群鶴図』

 

ミロ『岩壁の軌跡Ⅵ』

 

江口週『ふたたび翔べるか-柱上の鳥』

 

新井謹也『呉須文字四方花瓶』

新井謹也『呉須文字四方花瓶』

 
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