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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.1-10) > 三重の子どもたち展開催にあたって

展覧会から

三重の子どもたち展 開催にあたって

藤田久道

 「三重の子どもたち展」開催にあたって、三重県における美術教育の流れを概観してみたいと思います。

 

 戦後における教育復興の流れのなかで「美術を通しての人間教育」が叫ばれたことは周知の事実であります。それは、まさに三重においても美術教師の総結集といった姿を呈することでもありました。幼、小、中、高、大学の美術教師の総結集としての「三重美研」(三重県美術教育研究会)の出発点がそこにあったわけであります。

 

 第1期

 この幼、小、中、高、大学の美術教育関係者の総結集としての三重美研のこの時期は「戦後の三重県美術教育活動の第1期」として把えることかできましょう。たとえば(会長)大学・足代義郎、(副会長)大学・園田正治(同左)、高校・岡田久春、(事務局)中学校・館増夫、(同左)小学校・中 隆といった人たちを核とし得た黄金時代は今もって語り草とされております。

 

 毎年、開催された三重県美術教育研究大会は、県下の各地を巡回し、まさに三重における“美術教育の祭典”として、はなばなしくその研究と実践を世に問いました。それは県下のすみずみにまで美術教育の啓蒙をはたす機会でもあったわけです。

 

 さらに、当時、「子ども県展」も事業の一つとしてとりあげ、作品主義等々功罪論議を展開しながらも盛況をきわめました。

 

 第2期

 戦後10年、20年の流れの中で高校はカキリュラム編成問題等の独自の問題をかかえ、高校部は徐々に別組織へと独立し、三重美研は幼、小、中学校中心の組織として運営される時代を迎え今日に至っております。

 

 この間、それぞれの時代の推移、要請等による変遷があったわけですが、しかし、一貫して教育の全体構造のなかで中核となるべき美術教育の姿を模索し、また、主張してまいりました。

 

 さて、県民期待の三重の美術文化の拠点たるべさ三重県立美術館が開館いたしました。

 

 美術館もまた、教育の場を本来の機能の一つとするかざり「三重の美術教育とどうかかわるか」が、重大な課題であります。

 

 今回の「三重の子どもたち展」を開催するにあたり、三重美研(会長・山際諭)の役員の方々を中心に展覧会実行委員会か組織されました。こうして、実行委員会、県立美術館の共同主催として開催されることになりました。

 

前回企画の「県アート・フェスティバル」が高校生以上一般の方々の創作発表の場であったのに対して「三重の子どもたち展」は、中学生以下の三重の子どもたちの姿を創出する場であります。広く県下の子どもたちが参加し鑑賞し得る企画がここに実現し得ましたことは幸いです。

 

(主任学芸員)

 

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三重の子どもたち展
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