2. アンフォルメル、カラーフィールド・ペインティング
ダウ・アル・セットに属していたタピエス(1)やタラッツ(1918- )、クイシャール(1925- )らはやがていわゆるアンフォルメルに流れこんでいくことになるが、くわえてマドリードで結成されたエル・パソ(1957-60)のメンバーであるサウラ(2)、ミリャーレス(1921-1972)(『100の絵画』no.42-44)(3)、カノガール(1935- )(『100の絵画』no.57-59)(4)らによって、スペイン・アンフォルメルは担われた。もとより、いわゆるアンフォルメルをヨーロッパの美術業界で組織しようとしたフランスの批評家ミシェル・タピエのイデオロギーと、スペイン国内での活動を区別する必要はあるとして、後者が戦後スペイン美術の一つのピークと目されることは事実であろう。『100の絵画』展においても、アンフォルメルの作品が一つのハイライトをなしていた。 この時期の一群の作家の間では、やはりタピエスがいっとう抜きんでているようだ(fig.13-14)。クレーの影響をうかがわせる黒い童話風のイメージを展開した初期の作品はすでに、塗りのマティエールに対する緊張を宿した感覚をしめしているが、その作風が成立した時期のものは、物質に対する単なる暴力的な身振りの提示にとどまらず、しばしば土壁を連想させるマティエールから、物質自体に内在する輝きをひきだしえている。彼の成功した作品においては、予定調和的な素材の操作にとどまらない、主体/描き手および観者と客体/素材ないし作品の関係自体が問題とされるのだ。 同じくダウ・アル・セットのメンバーだったタラッツとクイシャール(fig.15)も、この時期すぐれた作品を制作している。ただしともに後の作品では、緊張を保ちえなかったように思われる。他方グループ中ブロッサをのぞけば、ジョアン・ポンス(1927-1984)(5)のみは、一貫してシュルレアリスム的な仄暗いイメージを展開した。 エル・パソ陣ではサウラが代表的な作家であろう(fig.16)。彼の作品は具象抽象を問わず、画面のまとまりを破壊するような過剰さをつねにうかがわせる。イメージを崩壊させるその筆致の切りこみは、後のゴルディーリョ(1934- )(『100の絵画』no.54-56)などにもつながっていく。 先にあげた作家たちにくわえ、トルネル(1925- )、ルシオ・ムニョス(1929- )(『100の絵画』no.48-50)(6)(fig.17)、ブエノスアイレス出身でパフォーマンスにもおよぶ活動をくりひろげたアルベルト・グレコ(1931-1965)(7)、また世代的には少し上で、日本でもなじみのあるアントニ・クラベー(1913- )(8)(『100の絵画』no.24-26)などによってうかがうことのできるスペイン・アンフォルメルは、まず、黒や濃褐色のような、輪郭のはっきりしたイメージというより、それらが崩壊してしまった後の、あるいは生成する以前の物質の状態を感じさせる色 - その点錬金術における<ニグレド/黒の過程>を連想させる -、ついで、そこにくわえられる暴力的ともいうべき干渉によって特徴づけることができるだろう。干渉は、作品が自足したものではなく、外部との関係において成立することを物語る。ただし、外部の臨在は同時に、内部を一枚岩的な表面にとどめておきはすまい。そこでの黒や濃褐色は、厚みを感じさせるとしても、まったく不透明に見るものの視線を表面ではじきかえすようなものではない。それは視線がもぐりこめるような、柔らかさと半透明性、ひいては層状の重なりをはらんでいるのだ。層をなす厚み・深みはさらに、生成の母胎でありうるかもしれない。もとより、失敗すれば作品は、単なる身ぶりの残骸に終わることになるのだが。こうしたあり方には、エル・グレコからゴヤにいたるスペイン近世美術の伝統と結びつける誘惑を禁じえないものがある。 ただ、いかにもスペイン美術に対する先入観に見あった激しさを特徴とするアンフォルメルばかりが、美術界をおおっていたわけではない。アメリカ美術でいえばフィールドの絵画に呼応するビセンテ(19 03- )、ゲルレーロ(1914- )(『100の絵画』no.27-29)、ラフォルス=カサマダ(1923- )(『100の絵画』no.34-36)(9)(fig.18)らは比較的穏やかな作風を展開していた。もっともいずれの場合も、筆致をいかした絵画的/マーレリッシュな性格は保たれている。そのため、やはりここでも、画面は層状のふくらみを宿すことになる。 同じくバレンシアのモンポー(1927- )(『100の絵画』no.45-47)(10)(fig.19)もまた、穏やかで抒情的なフィールドの絵画を展開した。ミロの影響をうかがわせつつ、白地を大きく残し、きわめて薄く明るい色で断片的に線やイメージを散らしたその作品は、ほとんど頼りない印象すら与える。近年は立体作品も手がけているが、基本的な性格は変わっていない。 |
1. cf. Tàpies. Obra Completa, vol.1-3, Fundació Antoni Tàpies, 1988-1992. ペレ・ジムフェレル、『タピエスとカタルニア』、松原俊朗監修、毎日新聞社、1976。『タピエス展』図録、西武美術館、1976。ヴィクトリア・コンバリア・デグセウス、『アントニ・タピエス』、伊藤洋子訳、美術出版社、1991。『アントニ・タピエス展』図録、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館ほか、1996、など。 |