マティスからモローへ - デッサンと色彩の永遠の葛藤、そしてサオシュヤントは来ない
3-3.輪郭と色彩のずれ サロン出品作における仕上げないし線のアラベスクと、水彩やエボーシュにおける色の制御しがたい流動との落差の大きさが、両者の乖離をひき起こしたというより、何らかの矛盾が、仕上げないしアラベスクと色彩の横溢とに分裂し、裂け目をひろげたのだといってみたところで、実のところ、複数の作品のさまざまな様相に最終審級として単一の起源を設定してしまう点では変わりがない。この問題にとりくむのはしかし手にあまるので、とりあえず作品にもどるなら、<入墨>において顕在化するような線と色の乖離がとりわけ晩年に近づくにつれ目立つようになるとして、その徴候は、アトリエから出ることのなかった未完成作や習作だけでなく、ほかならぬサロン出品作にも認められる。 一八七〇年代後半は完成作の領域での固有の様式をモローが確立した時期で、画面に対して人物の占める比重が小さくなり、全体としてより暗い調子の内での統一が図られるようになる。その中で増殖した装飾が輝きをはらむという、<必要な豪奢さ>が成立するわけだが、そこでも、線と賦彩の関係の不安定さを見出すことができるのだ。たとえば七六年のサロンに出品された《ヘロデ王の前で踊るサロメ》(図20)は、モローの代表作の一つとされ、キャプランやクックが細密なデッサンと色彩の輝きの綜合を見てとった作品だが(150)、画面上半を占める建物の描写、とりわけ光のあたった部分は、装飾物を描く線が賦彩に、肉づけ抜きで重ねあわされている(図21)。こうした賦彩と輪郭線の乖離は、七八年の万国博覧会に出品された《ダヴィデ王》(PLM.171/PLM'98.201/PLM peint.196)の床や柱頭の部分でも明瞭な姿を現わした。 さらに遡って、一八六六年のサロンに出品された《馬に喰われるディオメデス》(図22)を見てみよう。この作品は、六〇年代後半のサロン出品用の大作の内では、画面全体に対して人物の比重を小さくとったもので、前景のディオメデスと三頭の馬には精緻な浮彫り状の肉づけが施されているが、背景をなす建築物は、やや薄めに溶いた絵具を、上から下へ大きく掃くようにして描かれている。他方地面では、水平の筆致が支配的だ。そのため、画面は細部を捨象した大ぶりな面の組みあわせとして、横方向への張りを獲得する。もとより、ルプソワールの役割をはたす左側の暗い壁をはじめとして、明暗の階梯が設定されていないわけではない。しかし、ヘラクレスが腰掛ける中景のアーチのある壁が、かすかに右下がりながら横へ延びていくこと、その奥に位置する建物が上部をふさいで手前にせりだすことによって、奥行きへの後退は削減されてしまう。もって左の暗い壁も、右上の比較的明るい部分と横に並ぶことになる。この点、建物を描くに際してモデルとなったというピラネージの《フォールム・デ・ネルヴァ》(151)が、明暗の強い対比と斜線の強調によって、奥行きへの後退をいちじるしく加速していたのと対照的といえよう。 発表当時ゴーティエは、「インクによる最終的な素描を透かす薄塗り、剃刀で削り落とした厚塗り、引っ掻いた跡のあるグラシ、ハッチングとしての筆触、かびか焦げに覆われたかのように巧みに装う色調」など技法の多彩さに注目していたが(152)、そんな中、中央上の後景にあたる三本の柱や塔のアーチなどに、明るい賦彩の上から、賦彩の明暗からなかば浮きあがるかのようにして、細い輪郭線が加えられている(図23)。前景のディオメデスや左側の馬の肢体(そして右下の屍)に輪郭線が施される一方、中景のヘラクレスが腰掛ける壁の石組みの境界では、線が沈む形で処理されている点からして、中央上の<入墨>は、意図的なものと推測することもできるだろう。しかしその意図は、必ずしも明瞭なわけではない。 考えられる点としては、まず、平面的とはいえないにせよ、奥行きを比較的浅く抑えたこの構図において、実在感を強調した前景に対し、後景に浮遊感を宿した幻影のごとき表情を与え、塗りの濡れ味とあわせて、距離感をもたらそうとしたのだろうか。しかし同時に、本構図では前景中景後景が上下に重なっているところから、中景をはさんで画面の上部と下部で線的な要素を強調することで、全体の統一を図ったともとれる。他方、この画面においてはそもそも、ディオメデスと馬たちの浮彫り的な肉づけが、背景の絵画的な処理と齟齬を来している。とすると、この矛盾に中央上の<入墨>はさらなる矛盾を重ねることで、もとの矛盾を覆い隠そうとしたと語っては、しかし、ことばの勢いに流されたというものだろう。 ともあれ、主要人物の薄浮彫り的な肉づけと、背景の半透明な塗りを強調した絵画的かつ物質的な処理との二元性は、六四年のサロンに出品されたモローの出世作《オイディプスとスフィンクス》(図24)ですでに認められた。そこではまた、とりわけ画面下方において、黒い輪郭線を強調した細部を見出すことができる。当時、マンテーニャをはじめとするプリミティヴィスムと結びつけられ、<アルカイック>との形容とともにしばしば批判の対象になった要素の一つが、この黒の輪郭だという(153)。さらにスフィンクスの翼では、青みを帯びたグレーの塗りの上に、黒い線で羽を描き分けている。 ところで遠景の山々および、オイディプスが左肘をのせた最前景の岩では、《ディオメデス》の建物の場合同様、垂直の筆致が目立つ。暗めの褐色ないしグレーを大きく置き、まだ乾かない状態の間に、より明るい色か白を足し、太めの筆か刷毛で掃いたものだろうか。濡れ味の半透明な絵肌は、無限の遠景に視線を逃すのでもなく、といって壁として視線をはね返すこともない。《ディオメデス》の地面での水平の筆致ともども、こうした画面の枠に沿って水平垂直に大きく掃くような筆致は、油彩水彩を問わず、晩年にいたるまでモローが、好んでか余儀なくか、くりかえし用いたものだ。ヴェルフリンがレオナルドの主要なモティーフと背景との仕上げの差に<現実性の程度>の段階を読みとった点を受けて、ガントナーは背景のより低い<現実性>に、プレフィグラツィオーンの領域の作法が侵入してくるさまを見てとった(154)。ここでも基本的な事態は同様だろう。ただそれにしても、主要人物と背景との落差はあまりに大きくはないだろうか。筆致が方向性を強調されることで画面の平面性に寄り添おうとする点と相まって、もはや、前景中景遠景へと後退する奥行きの連続性は認めがたい。奥行きを連続的に段階を追って構成することにリアリティをもてなかったがゆえに、水平垂直の筆致で画面の縁を埋めざるをえなかったともいえるかもしれない。そして画面の縁を水平垂直の筆致が沿うことで、なおさら平面性が強調されずにいない。 ここで三たび、マティスの《会話》(図12)を参照することもできるだろう。オイディプスとスフィンクス同様向かいあう男女は、真横からとらえられ、完全に平面化されているがゆえに、視線の交錯がもたらす求心性によって、青のひろがりに対する緊張を生じざるをえない。マティスとモロー二つの画面の、見かけ上の処理の開きにもかかわらず、画面の主要モティーフと周縁部との不連続性という問題は通底しているのだ。松浦寿夫は、モネの《四本のポプラ》(一八九一、メトロポリタン美術館)において、「四本の垂直線と一本の垂直線とが画面をグリッドとして構成することになるのだが、これらの線は、絵画面の物理的な限界である四辺に対していずれも平行性を示すという仕方で、この四辺を構成する線を物理的な境界線としてではなく、絵画面の論理的な仕組みのなかに内面化されることになっている」と述べた(155)。この言い方を借りれば、ここでは、「絵画面の物理的な限界」と「絵画面の論理的な仕組み」との齟齬こそが認められよう。モローにおける水平垂直の筆致は、画面の縁に対する意識をしめしている。しかしその意識はまた、焦点となるモティーフと縁との乖離の意識ともなったのだった。 主要人物の彫塑性と背景の絵画性、輪郭線と塗りとの関係の不安定さは、《オイディプスとスフィンクス》の画面においてはさらに、右下の装飾的な柱の、上に置かれた器状の部分と基柱との接合部が、後ろにあるはずの岩や葉を透かすかのように、透明な状態で残されている点に現われている(図25)。これは《ディオメデス》における<入墨>とは異なり、意図的なものとはとりがたく、未完のまま放置されたと考えざるをえないだろう。 これらの例は、線と賦彩の二元性が、プレフィグラツィオーンの領域にとどまらず、公けの目にさらされるべき<完成作>においても、完全には融和しきらない状態で呈示されたことを物語る。それが、意図的なものなのか、許容範囲内として放置されたのかは、一概には確定できない。《ディオメデス》の場合は前者、《オイディプスとスフィンクス》の場合は後者だろうと、推測することができるだけだ。アトリエに残された作品で、間隔をおいて再開されたり拡張されたものがあることを思えば、時間切れで出品された可能性も少なくなかったと、考えられなくはない。ただ仮にそうだとしても、全ての場合にあてはまるかどうかは不明だし、重ねて仮に、全ての場合にあてはまるのであればなおさら、線と色がずれるという傾向が、モローにとって根深いものだったと見なさざるをえまい。 ところでマティスの画面には、《黄色いドレスを着たカティア》(図1)や《会話》、後に見る《オルガ・メルソン》(図28)をはじめとして、しばしば描き直し、修正の痕跡が残されている(156)。後年には、画面に対する変更の各段階を写真に記録して残しもした。ルネサンスにおいて枝分かれしたフィグラツィオーンとプレフィグラツィオーンが、二十世紀美術において再び一つになるとガントナーは考えたが(157)、マティスにおける試行の痕跡は、プレフィグラツィオーンの領域の侵蝕を物語るに留まらず、分離した二項の統合なり時間的な過程の呈示を、積極的に評価するだけではおさまらない揺動をしめしているように思われる。この点でこそ、マティスとモローは交わるのだといえるだろうか。 |
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