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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1987 > ライリー、モネ、その他-線を巡って 石崎勝基 大原美術館所蔵品展-20世紀・世界の美術-図録

ライリー,モネ,その他―――線を巡って

石崎勝基

線は,時を移さぬ汲にみたされて消える  野中ユリ

ブリジット・ライリーの『花の精または無題』(no.84)――殆んど正方形に近い,僅かに縦長の画面に淡い色の線が,幾本もうねりながらから下へ流れて全面を覆っている。作品の前に立った時目につくのは何よりもこのうねりで,うねりの細まった部分が徐々にずれ,右上から左下へ平行する斜めの帯が落ちて行く。進行方向と直角に交わる幾重もの波紋が水の動きを示すのと同断で,ここでも全体が波打つように揺れ動く印象を与える。

筆致や動勢などが留められていないため,揺動を惹き起こす構造が一層極立たせられる事になる。但しその構造は機械的な反復によるのではない。薄紫の稍太い部分を挟んで青,ピンク,黄の細い線が三本ずつ束を成して並んでいる。隣接する束の向かい合う線はピンクとピンク,青と育と同じ色が配され,横への推移を連続的なものにしているのだが,一色一色の線の太さは上から下へ行く内に変化しており,また頂上では左からピンク,黄,青の順で出発しながら途中でピンクが黄と青の下をくぐって右側に出たりと,色の順が交代する事もある。こうした変化が画面に生動感を与えるのだ。唯その変化は,細い線の一本から一本へと移って行く連続的なもので,色の淡さと柏俟って画面に平面としての統一性をもたらそうとする。平面としてまとまろうとする力と,線と色の並べ方のずれから生じる画面をうねらそうとする力との相克によって,この作品は成り立っているのである。

視る者の視覚を擾乱させるべく造形を構成する美術のジャンルをオプ・アートと呼ぶ。オプはオプティカル(視覚の)の略で,1965年にニューヨーク近代美術館で開かれた『応答する眼』(レスポンシヴ・アイ)展によってクローズ・アップされたこの動向は,しかし一時の流行の後衰えてしまう。作品自体以上に観者に与える効果の方に的を絞ったために,作品が視覚の領域を越えるものを持ち得なかったのであろう。

大原コレクションには,オプ・アートに分類できる作品が数点所蔵されている。先駆者格のアルバースの,並置された色同士が与え合う微妙な影響を扱った『正方形頒』(no.78),訴及力は最も強いであろうだけに,却って視覚のポルノグラフィーの相を呈している桑山忠佑の作品(no.72),ライリーと並んでオプ・アートの代表とされるヴァザルリ(no.81,88)と,同じオプ・アートと云っても多彩な変化を示している。

ヴァザルリにおいてもライリ一同様,平面としての特性と平面を破ろうとする力との兼ね合いから作品が成立している。モザイク状に分割された小面に大きさや歪み,色とその明るさの変化が施される事によって,平面であったものが何時の間にか立体的なヴォリュームを獲得する。エッシャーを思い出させるその錯視性(イリュージョニスム)はしかし,ライリーにおける平面のうねりとは性格を異にしている。

ヴァザルリの構図には大抵中心が一つ在り,画面の他の部分はこの焦点に従属している。中心と平面の相克はヴァザルリにおいて,中心からの浮き上がり乃至沈み込みとして現れる。画面は常に,画面に対して垂直に進む奥行きの暗示を含み,そこに描かれる幾何学的形態は三次元的な立体になろうとする。

これに対してライリーの面画には,絶対的な中心は存在しない。横に並ぶ線の一本一本に比重の大小は無く,そこに生じる錯視効果は,何よりも平面自体のうねりとして捉えられる。両者の色彩の選択もこうした特性と関連している。ヴァザルリの画面は暗度の高い調子で統一されている。暗さ自体が孕む深みへの傾向が,構図の奥行きと調和するのである。対するにライリーの用いる色の淡さは,平面性を必要以上に損わないよう配慮されている。

またヴァザルリにおいて線は,構図に中心が存在するため,その中心の周囲を巡る閉じたものとなっている。即ち線は線自体として機能するのではなく,輪郭線として形態に従属しているのであり,そこにマッスとしてのヴォリュームが暗示される。ライリーの場合線は,画面の上から下まで続いているので,閉じて何らかの形を成すと云う事はない。線は何よりも線として,波打ちうねっている。

ミロの『作品』(no.7)―― 一枚の紙の上を線が弧を描き,折れ,立ち止まり,そしてまた動いて行く。クレーが記述した,線の「地誌的」「小旅行」を思い出そう(『創造についての信条告白』)。線が線以外の何かを暗示する事になるような陰影や肥痩は廃され,観者の視線は何よりも,線の動きを辿るべく促される。作品を一目で了解する事はできない,言い換えれば奥行きに進む空間を途中で切り取った窓として,その深奥と対称の位置に在る観者の眼と,時を止めた瞬間の内に対峙するものではない。視線は厚みのない平面の上を這うようにして進み,線の歩みとともに時間の進行を経験するだろう。こうした性格を損わないよう,ここでも線は両端が画面の下辺に達しており,閉じて完結した形態を成してはいない。

平面性に徹する事によって線が線固有の在り方を主張できる,こうした様式が積極的なものとして提示されるのは十九世紀も末に入ってからである。ドラクロワの色彩と対比して線の画家として知られるアングル,その精緻な素描を思い起こしてみよう。平面化が進んではいるが,線に僅かの陰影が施される事によって凸凹が浮かび上がる。線の動きのみで形態のふくらみを暗示する事もある。平面性と立体感との緊張の内でアングルの素描はその完成度を全うしているとも言えようが,最終的には線は形態に従属している。そして油彩に眼を移せば,精緻に対象が描き込まれれば描き込まれるだけ,線は画面の骨格としてその存在を感じさせる事はあっても,絵の表面からは姿を消して行く。

「私はここで,輪郭を描くのに,その線を極めて細く,ほとんどそれが見えるか見えない位に描くように苦心しなければならないといっておこう。……(中略)……輪郭を描くことが境界のデッサンに他ならぬ以上,もしそれを非常に明瞭な線に描けば,そこに面の縁があることを示すのではなく,はっきりした裂け目があることを示す。輪郭をとるには,ただ境界線をなぞるだけでとどまることが望ましい。」(三輪福松訳)

引用は,線遠近法の最初の理論書であるアルベルティの『絵画論』(1435年)による。レオナルド・ダ・ヴィンチの手記にも,画面に線が現れる事を戒めた章句が見出される。現実には線は存在しないとはしばしば述べられるところだが,イタリア・ルネサンス絵画において写実性,と云うか人間の視点からの現実把握が重視されるようになった時,立体としての拡がりを有する対象を再現するため明暗法が用いられた。光の当たった明るい部分と暗い影の部分との対比及び推移によって,立体の持つ丸みが表わされる。明暗の連続する推移の中では,厚みを持った境界線が現れる事は避けられねばならない。ジオットからマザッチオへと明暗による人体のヴォリュームの表現は促進され,(ボッティチェルリのような〈線の〉画家を挟みつつ)レオナルドと盛期ヴェネツィア派によって完成される。レオナルドのスフマートは,人体とその周囲の空間との境界を明暗の推移の内に溶かし込む事によって画面空間の連続的な統一を得ようとするもので,画面上から線は排除される。後に触れるように空間の形式を異にしつつ,ネーデルランド絵画においても写実性の追求の内に線を解消させる方向に進んでおり,以後のヨーロッパ絵画の大勢においては鳥海青児が述べた如く(『近世初期肉筆浮世絵における線』,美術手帖,1956.3),仕上げられた油彩の画面に厚みを持った線は現れ得ない(完成作以前の習作の領域及び版画の類,即ち第一位の価値を与えられなかった分野では事情が稍異なる)。

このような様式,絵画のそして認識の様式は,アングルの例に見たように十九世紀まで生き永らえ,印象派によってその最終的な帰結に至る事になる。印象派は一切を光の表現に捧げ,対象は筆触に分解されて靄の内に消えてしまう。

印象派以前にも,ジェリコーやミレーの作品に薄浮彫り的なヴォリュームを強調すべく黒い輪郭が現れ,分裂の時代としての十九世紀の姿を示しているのだが,これは印象派以後形態を復活させようとする動きの中で,ゴーギャンらのクロワゾニスムを予告する事になるだろう。線の画面への登場だが,この時点での線は形態を区切る(クロワゾネ)ためのものである。

先に述べたように明暗によるヴォリュームの表現は線を排除する。一方明暗の推移によって画面を構成しようとすれば,広大な空間を作り出すわけにはいかず,イタリア・ルネサンスが発見した線遠近法が大規模に適用されたのは実際にはごく短い期間であった。明暗や筆致の重視は奥行きを浅くする傾向を学んでおり,それがマネ以後顕わになる。明暗や色調の強調が画面を平面化し,平面化された画面に明暗や色調による様式が追放した線が呼び戻されたのである。言い換えれば,明暗法によって客観的な実在を再現しようとした写実の精神が,印象派におけるその追求の究極において一切を主観的な現象に還元し,そこに現実を越えた存在としての線が登場する。

こうした経緯を体現した画家にモネがいる。最も純粋な印象主義者であったモネの作品においては,光の感覚を描写するため形態のヴォリューム感や明暗は避けられ,一切が細かい筆触に分解される。そして光と大気の震動に充ちた空間が生み出されるのだが,一方画面が靄に覆われて物の形が消えようとする。そうした茫漠たる画面に骨格を与えんとするのであろう,水平線や地平線,岸などの地形,建築物などの線が強調される。但し大気の表現のために既に明確な遠近感は失われているので,線は形や奥行きを指示するのではなく,平面そのものを分割するものとなる。線は水平垂直の直線はもとより,曲線においても幾何学的な性格が強い。こうした傾向はポプラ,ロンドン,ヴェネツィア,ルーアン大聖堂の各連作に顕著で,或る論者はそこに〈建築術的関心〉を見,モンドリアンと比較した(W.Seitz,Monet and Abstract painting', College Art Journal,ⅩVI-1,1956)。地の上に図を置くのではなく,図と他の区別が無い平面そのものの構成が問題なのである。ここでは画面に対して垂直に進む奥行きの方向に物の形を配して行く,それまでの空間の在り方が変ってしまっている。

 

印象派が得ようとした光自体,〈物〉ではなく物と物との〈間〉に在るとすれば,出発点において既に空間観の変容は準備されていたとも言えようが,モネがそうした様相を明瞭にしたのは,〈水〉のイマージュと取り組んでいた中からであった。睡蓮の連作において水面の睡蓮を描こうとする内に,徐々に水面そのものに関心が移り,それに従って画面内での水平線の位置が高くなり,遂には水平線が上辺を越えて画面が水面だけで占められるに至る(図1)。その際画家及び観者の視線も,地面に水平に即ち画面に対して垂直の奥行きに進むのではなく,水面に対して斜め下向きになり,画面を突き抜けるのではなく,画面そのものの上をなぞるようにして動いて行く。遠近感は曖昧になり,上下天地の区別は失われる。水に映る倒立した像が,こうした曖昧さを一層助長するだろう。

モネ 睡蓮 1906年頃

(図1)
モネ 睡蓮 1906年頃
大原美術館



モネ あやめ

(図2)
モネ あやめ
マルモッタン美術館

イタリア・ルネサンスの人間の視点からの空間把握が定着する以前,ネーデルランド・ルネサンスの絵画においても地平線は画面高くに置かれたが,そこでの俯瞰する視点は神の位置にあって宇宙全体をパノラマ状に眺めていたのであり,その意味で視線の主体と対象はそれぞれ独立した実体であった。モネにあっては,視覚がその基本的な在り方として持っている距たりが失われ,視覚は触覚に近づく,と云うより視覚と触覚が分かれる以前の原感覚と云うべきものが得られる。空間は向こう側に突き抜けた窓としてではなく,図に対する地そのもの,図の基盤・支えとなる拡がりそのものとして,画面である平面そのものに沿って上下左右無限に拡がって行く―もはや表面の奥に隠された階層や意味を持たぬ,顕われがその一切である始源の宇宙。画面を分割する天地の区別が無い空間は,モネをターナーやモローら他の先抽象,さらに(モンドリアンを別として)二十世紀初頭の抽象絵画の創始者たちを越えて,ポロックら後のオールオーヴァーの空間に近づけている。

 

こうした原初的な空間において,筆触は地の上に図を型取るのではなく,地そのものを刻み出すものとなる。先に述べた〈建築術的な〉線とは別の,モネにおける線の第二の範疇がこれで,筆触が長く延びて線と化す。第一の線の幾何学性に対して,これらの線はより有機的な曲線を描く。打ち寄せる波や樹木を表わすために用いられていたこのような線は,後のジヴェルニーの庭の水辺の植物を描く際などに(図2),未だ何の規定も受けていない空間を刻み分けて行くと云う性格をはっきり示している。線の存在そのものが,所謂現実のものではない事を思い起こしておこう。

 

十九世紀全体を通じて絵画における奥行きが浅くなる傾向にあったとは云え,モネがイタリア・ルネサンス以来の写実を旨とする空間に終止符を打ち,平面そのものをその拡がりとするような空間に達したのは,何よりも〈水〉のイマージュと取り組む過程においてであった。表面と深みがその透明さの内に浸透し合うと云う,水の在り方が空間の変容を促したのであろう。画面全体を占める水はもはや具体的な個々の水ではなく,バシュラールの言う元素であり,諸存在の支えとして大地に先立つものである。様々な宇宙開闢論(コスモゴニー)において,存在が生じるのは原初の水からである。 1918年,モネの睡蓮を見た或る人は,「その無限の空間のなかで,水や空気には始まりも終りもない。まるで世界の誕生に立ち会っているよう」と述懐している。

かつて絵画作品は一箇の小宇宙(ミクロコスモス)であった。頂きに観念(イデア)としての主題,基底に物質(ヒューレー)としての絵具,その間を構図,色彩等の様式が結ぶ。その全体は何らかの形で現実と云う大宇宙(マクロコスモス)と照応している。こうした作品の在り方は十九世紀を通じてその力の喪失を顕わにし始め,印象派における対象の解体によってその破産を宣告された。以後の芸術家たちは絵画を再建すべく,絵画を構成する要素を最も根源的なところまで突き詰めて行こうとする。後期印象派からダダの前までは,それでも絵画の存在そのものは依然前提であり続け,そこから純粋造形の探求が展開するのだが,ダダ以後芸術の存在の基盤そのものに疑問が投げ掛けられるに至る。こうした現代美術の歩みは,所謂現実と照応を失ったため常に観念性を帯びつつ,芸術そして存在の最も根源的な場所で新たな秩序(コスモス)を創造しようとするため,しばしば宇宙論(コスモロジー)的な相貌を帯びる。クレーがバウハウスでの講義を始源の混沌(カオス)の記述から始めたのも,イヴ・クラインがそのモノクロームを四元素と関係づけたのも,こうした文脈に由来している。

 

アルトゥング(no.15)やマチウ(no.27)の線――未だ何の限定も受けていない平面の上を走るこれらの線は,モネにおける線の第二の範疇に連なっている。何よりも形態の問題に携って来た後期印象派からキュビスムに至る系列ではなく,形を解消した印象派の立場に留まり続けたモネによって,後の無の空間における線の生成が予告されたのである。アルトゥングにせよマチウにせよその作品が装飾化するきらいはあるが,線は形無きものと形あるものの世界とを介する位置にあって,そこから形と意味が生み出されるべき手の運動を写し取ろうとする。こうした造形の思考を最も整理した形で示したのが,フォンタナ(no.52)であろう。

 

「空白にひかれた一本の線はどおどろくべきものがあるだろうか? それはどのような出来事にもまして根源的な出来事であり,世界の誕生を―ものとしるしとの誕生を告げている」(市川浩「線についての考察」,『現代芸術の地平』,岩波書店,1985)。

 

始源において無に走った一条の亀裂(或いは発声された一つの音)によって,一であったものが分裂し,方位が生じて時と空間が区分される。 フォンタナの作品は他方,一本の線によって画面に中心と中心でない部分と云う階層が生じてしまう事を示している。内側に注意深く曲げ込まれた切れ目の縁も,ぎりぎりのところで奥行きへの指向を孕む。画面はその全体性を失い、己れ以外の何かを指向し始める。

 

時を更に遡って見よう。一本の線が引かれる以前の未だ何の限定も無い混沌,あらゆる方向への可能態(デユナミス)の内に極微が無限を映しひとときが永遠を含む充溢(プレーローマ)――モネによって示された,図と地の区別の無い場としての平面そのものの拡がりもまた,現代絵画は受け継いだ。モンドリアンとクレーが予告し,ポロックが完成したオールオーヴァー・ペインティングがそれで,画面上に特定の焦点を作る事を避けるよう,線が走り回る。形やイマージュ,個体が生じる以前の,未分化の全体的な拡がりがそこに現れる。中心が無い,言い換えて至る所に中心が在るとは,古い神乃至宇宙の定義である事を思い出そう。ポロックは画布を地面に置き,その中を動き回って制作した。モネが水面に向けた視線の場合と全く同様に,眼は画面に対立するのではなく,全身体的に画面の空間に内包される。

 

アレシンスキーの『夜』(no.31)でも,白の交錯する線は画面を均一に覆って,白と黒のどちらが地なのかを曖昧にしている。またここでは垂直水平への秩序づけが働いており,画面を静認なものにするとともに,線の動きに,そこから文字が生まれて来る原文字,原記号と云うべき相を帯びさせている。クレーの『A』(no.5)やカポグロッシの『表面241』(no.43)などと合わせて絵の中の文字一記号の主題を引き出す事ができよう。始源の線の運動は神の書跡であり,文字と記号そして形の種子に他ならない。

 

ライリーの線と空間は先に述べたように,形を成す事もなければ焦点も持たない平面なのだが,その在り方はモネの場合同様,〈水〉のイマージュに対する関心に由来している。

モネの作品中,サンパウロ美術館の『舟遊び』やマルモッタン美術館の『小舟』(図3)では,筆触が長く延びて線と化し,水面全てを覆って水の流れ(及び水中の水草)を表わしている。特に後者では,画面全てが水面となって遠近の失われた空間を,上から下へ線がうねりながら流れ落ち,ライリーの作品との比較を促している。ここでの線の性質は,モネが後に描いたジヴェルニーの柳のそれと合わせて,バシュラールが「水のほとりではすべてが髪である」と定式化した〈オフイーリア・コンプレックス〉―水,柳(オフィーリアを水に沈めた木),髪そして狂気と死の連合(コンプレックス)―の例証となっている。

ライリーの作品には『流れ』,『漂い』,『大滝』,『小川』等水のイマージュとのつながりを示す標題を与えられたものが少なくなく,ロバート・クディエルカがモネとの類似を指摘した事を肯かせる(『ブリジット・ライリー展』図録,東京国立近代美術館,1980)。但しライリーの水は常に流れる水であり,画面は上下或いは左右への一方向性を有して,同姓の作曲家の『ハ調で』(イン・シー)(1964)における如く,繰り返しとずれの内に時間の波を進めて行く。やはり〈流れ〉の構造を持つシケイロス(no.34)や堂本(no.90)の作品と比較すれば,流れが細い線で表わされるが故に,淡い色調及び中心の無い平面性がもたらす装飾性と相俟って,画面のゆらめきに女性の髪が連想させる優雅と底意,そして〈オフィーリア・コンプレックス〉を読み取る事に難は無いだろう。

またライリーの画面は始めに述べたように,冷静な仕上げによって視る者に与える効果が一層強くなるべく計算されている。これはモネはもとより,ポロックやアルトゥング,マチウら不定形(アンフオルメル)以後の世代の特徴である。造形的に自足しようとしたかつての幾何学的抽象とも異なり,作品は視る者との関係を意識した上に築かれている。この点でヴァザルリの構図の持つ奥行き性も,前近代のそれと同じではなく,平面性との関係の内に相対化されたものであって,共に芸術の在り方の基盤が問題とされる時期の作品なのである。そしてライリーの線は,もはや形態に従属してはいないが,視る者との関係において然るべき効果を生み出すよう,視覚乃至芸術を巡る観念に従属するものと化している。平面と空間の錯視を生み出すべく並べられた線は,先に見たミロの線以上に,線固有の生命を生きているとは言えないであろう。

モネ 小舟

(図3)
モネ 小舟
マルモッタン美術館

(三重県立美術館学芸員)

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