このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 2005 > 作家訪問:HANGA「東西交流の波」展に出品される秋岡美帆氏 友の会だより68号 2005.2.25

作家訪問

HANGA「東西交流の波」展に出展された
秋岡美帆氏

平成16年11月1日の午後、三重県立美術館の東学芸員付き添いのもと、青山町柏尾に大阪教育大学助教授で、気鋭のアーティストである秋岡美帆先生のお宅を訪問しました。

当日は、11月にしては暖かで、秋晴れの天候にも恵まれましたが、この日は奇しくも伊賀地区6市町村が合併して、伊賀市が誕生した日でもありました。

秋岡先生のお住まいは、近鉄青山町駅にほど近く、国道165号線わきにあって地震の神様で有名な大村神社から目と鼻の先にある所です。そして、青山町の名の通り、青垣が連なるその一番手前の山すそに位置し、前には広々とした田野が広がり、後方は丘陵ほどの小高い山が控えて、木々の枝振りが間近に眺められる閑寂さの中に、小川のせせらぎが控えめな音を奏でているという、居ながらにして心の安まりが感じられる環境の中にありました。

2002年6月から8月まで、三重県立美術館県民ギャラリーで秋岡美帆展が開催されました。その時「光の間」と題した十数点の作品が展示されました。今回の訪問では、それらの作品の制作過程や制作意識などをお聞きすることができました。

作品の制作過程は、もともと写真であったポジフィルムをスキャナーで4色に分解して読み込み、それを麻紙という和紙にエアブラシで吹き付けて完成させるといった、手の込んだものです。そうしてできた作品には、暗紫色や青色の地色を背景に、白や青や褐色などの光の線が、波打ち・ゆらぎ・たゆたいながら千変万化の線模様を描き出す様がみられます。そこからはまさに光が生命体の根源であることを感じとることができます。

実際、秋岡先生自身のお話の中から、こうした受け止め方が、あながち的外れではなかったことを確信いたしました。

秋岡先生曰く、「私は山が近くにないとどうも落ち着かないのです。海も好きなんですが…。 私は神戸生まれなので、すごく海が好きで、海が見たくなったら、神戸の港めぐりをしたり、海を見に行ったりしていました。けれども、山は六甲山などいつも身近にあったので、特に意識はしていなかったのです。ところが、フランスに行ったとき、セーヌ川を見下ろす所に住んでいたので、水面のゆらぎはしょっちゅう見ていたんですが、そのうちだんだん落ち着かなくなってきたのです。どうしてかなと考えて、はじめて山がないことに気づいたのです。

山というのは、動物や植物など生き物が集積している所だから、何故かほっとするのです。ちょうど山が冬になるときや春になるとき、白い靄が立ちのぼって、山が息をしているみたいに白く見えるときがあります。山を見ていると、山は息をしているなあと思ってほっとする所があるとともに、どこかで怖い所もあるのですが…」

それから光や影のゆらぎが作品のモチーフになっていることについてもお伺いしました。

「大阪教育大学の池田分校にいた頃、大学の裏門近くに大きな楠があったのですが、はじめはその楠の大木が風に揺れて、青い空と緑が一体になってさやいだり、揺らいだりする様子に感動して、長い間それらをモチーフにしていました。ところがある時、その木に向かって写真を撮っていた時、何気なく足元の影を写したら影が揺れていて、それがあまりにきれいなので、それからはずっと足元の揺れる影を写し続けました。それが揺れる影シリーズになっていって、ずっと影を意識していましたが、その延長線上のどこかで光を意識するようになっていったということですね。そうしてそれが自分の中では、山が育む動植物の生命体と結びついていったのだと思います。」

こうして私たちは、被写体として多く山を選ばれている先生の山への思いを聞かせていただき、山に囲まれた青山町のお宅を後にしたのでした。

(広報活動部)

友の会だより68号 2005.2.25

作家別記事一覧:秋岡美帆
ページID:000054522