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美術館 > 刊行物 > 友の会だより > 1998 > 江戸の鬼才 曾我蕭白展 佐藤美貴 友の会だより47号より、1998・3・20

【展覧会予告】

江戸の鬼才 曾我蕭白展

(5/13(水)-6/14(日))

佐藤美貴〈学芸員〉

曾我蕭白(そがしょうはく)(1730-1781)は、江戸時代中期の京都画壇を代表する絵師のひとり。現在では「奇想の画家」あるいは「京都画壇の北斎」などと称され、高く評価されている蕭白であるが、専門的な調査・研究が進んだのはのはここ30年あまりのことである。京都の商家出身であるらしいということ、伊勢や播麿を遊歴し、両地方で多くの作品を制作したことなどが明らかにされている。

三重県内では、蕭白が29歳から30歳の頃に描いたと思われる松阪市朝田寺所蔵「布袋図」や「足雁図」、上野市西連寺所蔵の「鳥獣人物図押絵貼屏風」、個人蔵の「鷹図貼絵屏風」、あるいは35、6歳頃の2度目の伊勢遊歴時に描いたと考えられる松坂市継松寺所蔵「雪山童子図」や斎宮の永島家に描かれた44面の襖絵、(三重県立美術館所蔵)、朝田寺所蔵「唐獅子図」、「獏図」など蕭白の代表作ともいえる作品が多数残されている。描かれた達麿の顔があまりにも恐ろしいので、子供がその達麿の眼を突き破ってしまったという逸話をもつ「達麿図」も鈴鹿市安養樹に所蔵されている。この「達麿図」をみると、達麿の眼に後補がほどこされているのがわかる。展覧会では、数点の「達麿図」が出品されるので、それぞれに描かれた達麿を比較してみるのもおもしろいかもしれない。いずれの達麿図も、子供が恐れるのも無理のない程に迫力がある。

このように蕭白が伊勢地方を訪れ、かなりの数の作品を制作していることから、三重県立美術館では、三重県とのかかわりの深い画家のひとりとして、蕭白作品の調査研究、そして収蔵をおこなっている。また、1987年に「曾我蕭白展」を、1992年には「その後の蕭白と周辺展」を開催している。1998年5月13日からはじまる「江戸の鬼才-曾我蕭白展」は、三重県立美術館にとって3度目の蕭白展ということになる。

今回の蕭白展の最大の特色は、国内の代表作に加えて、ボストン美術館をはじめとするアメリカ5カ所の所蔵家からの里帰り作品が展示されることである。ボストン美術館所蔵「商山四皓図屏風」(しょうざんしこうずびょうぶ)「風仙図屏風」(ふうせんずびょうぶ)、あるいはバークコレクション所蔵「石橋図」(しゃっきょうず)、タイガーコレクション「鷹図」など蕭白作品を語る上で欠くことのできない作品が出品される。日本で本格的な調査が行われる以前は、蕭白はむしろ海外で注目されていた。明治時代に来日したフェノロサやビゲローは、多くの蕭白作品をアメリカに持ち帰っており、ボストン美術館には約50点もの蕭白作品が収蔵されているのである。

また、当館所蔵「塞翁飼馬・簫史吹簫図屏風」(さいおうしば・しょうしすいしょうずびょうぶ)も今回の展覧会で初めて公開される。向かって右側の隻に塞翁、左側の隻には簫史が各々の故事に基づいて描かれている。本作はその画風から、蕭白30歳初期のころ、伊勢遊歴時に描かれたのではないかと思われる。

アメリカからの里帰り作品、今回の展覧会で初めて紹介される作品含む約80点で構成するこの展覧会は、蕭白展としては最大規模のものとなる。個性的な画風と奇矯な言動を伝える多くの逸話のために「狂」の部分のみが強調されがちな蕭白であるが、ただ勢いにまかせて制作をおこなっていたのではない。きちんと伝統をふまえて制作をおこなっていることは、個々の作品をみれば明らかである。濃淡や筆致をいかした墨の用い方も、大胆で毒々しい色彩も、観るものを圧倒するダイナミックな構図もすべて計算しつくされたものであり、それらは蕭白画の大きな魅力であるといえる。今回の展覧会は、奔放で雄渾な蕭白芸術の神髄を感じとる絶好の機会であると同時に、先行する逸話に惑わされて見逃しがちである蕭白の卓越えした画技を確認するまたとない機会となるだろう。

友の会だより47号より、1998・3・20

作家別記事一覧:曾我蕭白
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