近代日本の美術表現に巨大な影響を与え、また憧憬と反発の対象でもあった西欧の美術、そのルネサンス期から近代にいたる展開のいくつかの相を四回にわたりたどろうとしてきたエルミタージュ美術館展のシリーズも、最終回を迎えることになりました。今回の内容は、十六世紀から十九世紀にいたるスペインの絵画です。さて、スペイン絵画と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょう? 当館では、バレンシア州と三重県が友好提携を結んだこともあって、数年前には二十世紀スペイン美術を紹介する『一00の絵画』展を催したり、収蔵品にもわずかながらムリーリヨ、ゴヤ、ミロその他の作品を擁しており、まったくなじみがないわけではないはずです。西欧美術に興味があるという人なら、さらに、エル・グレコ、ベラスケスといった名前が思い浮かぶかもしれません。実際この展覧会は、スペインのいわゆる黄金世紀、十六世紀から十七世紀の油絵を中心に、ゴヤの油彩と版画を加えて構成したものです。 たとえばエル・グレコの『聖パウロと聖ペテロ』(fig.1)-人物の描写は、濃度の高そうな空気と溶けあい明滅するかのようであると同時に、垂直性が強調され、大きな目に表情を宿らせることによって、そうした外見を超えた何かを感じとらせずにはいません。色彩の華やぎを抑えることで、この雰囲気はさらに強められます。と同時に、二人の人物がまとう衣の赤と黄は、闇の中でこそ輝きを帯びるのです。ここでの悲劇的とも呼べる情調は、彼一人だけでなく、モラーレスの作品にも認められることでしょう。 他方、エル・グレコの柔らかく流動的な筆致は、ムリーリョの『幼児キリストの手を引く聖ヨセフ』(fig.2)と共通しています。この点については、当館蔵の同じくムリーリョ作『アレクサンドリアの聖力タリナ』と比較してみてください。ただここでも、抑制された色調と二人の人物の光輪が描かれた情景をこの世ならぬものとしているとはいえ、エル・グレコほど超越的な雰囲気をたたえてはおらず、より地上的な安定感を読みとることができるのではないでしょうか。 エル・グレコやムリーリョの空気に溶けいるような描法に対し、リベーラの「聖オヌフリウス」(fig.3)では、皺の一筋も見逃さない再現描写が目を引きます。この徹底したレアリスムが近世スペイン絵画の一つの底流を形作っていることも、この展観で確かめることができるはずです。しかしまた、リベーラの先の作品でも、やはり抑えられた色調が、画面を単なる現実の再現にとどめてはいますまい。 色彩を殺し光と闇が対比される中での、仮借ない現実把握と神秘主義的ともいえよう精神性の表出、この一見矛盾するかのような二つの要素が共存し、時に交錯し一体化すらする点に、近世スペイン絵画の特徴の一つを認めることができるかもしれません。レアリスムと精神性の錯綜は、黄金世紀から一世紀を経て登場し、矛盾にみちた近代の初頭を飾ることになるゴヤ(fig.4)においても変わらないことはいうまでもないでしょう。 こうしたスペイン絵画のあり方を、スペイン帝国の隆盛と衰退、対抗宗教改革などの社会の動きと結びつけて考えることも、決して不自然ではありません。ただ今回の展覧会を見渡せば、これ以外に、イタリア・ルネサンスの影響を受けた、より世俗的・装飾的な作品も欠けてはいないのです。思えばスペイン帝国主義は中南米での大規模な殺戮、対抗宗教改革は異端審問をも招いたのでした。何らかの底流を予感させつつも、同時に相矛盾するさまざまな方向へ向かおうとする動きとして一つの地域のある時代を読みとらせることもまた、本展のメッセージとなることでしょう。 (石崎勝基・学芸員) 友の会だより 43号より、1996.12.1 |
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