2023~24年度特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」夏会期 解説オンライン版
<目次>*タイトルの次の【テキスト】をクリックすると、このページの各作品の解説箇所へジャンプします。【音訳】をクリックすると、音訳ファイルが開き、再生が始まります。
1.首 【テキスト】【音訳】
2.道標・鳩 【テキスト】【音訳】
3.道標・鳩(長寿の鳩) 【テキスト】【音訳】
4.柳原義達のことば 「鳩に寄せて」 【テキスト】【音訳】
*このページには、特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」(2024年5月14日~7月21日)の会場に掲出した解説パネルの文章や音訳を掲載しています。
*1から3の解説は髙曽由子(三重県立美術館学芸員)が執筆しました。4は柳原義達の著作の引用です。無断転載はお断りします。
*パネルの文章については、点訳、音訳CDも用意しています。ご入用の方は、美術館にご連絡ください。
電話:059-227-2100 Eメール:bijutsu2★pref.mie.lg.jp(★を@に置き換えてください)
【特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」詳細ページ】
1.首 1948年

柳原が38歳の時に作った作品。このころの柳原はしばしば親しい人にモデルになってもらい、その頭を彫刻で作っていました。柳原は、このような彫刻を作るとき、まずモデルの頭全体の形をしっかりと理解することが大切であり、それから細かいところの表現にとりかかるのがよいと述べています。また、モデルの顔や習慣をよく観察して、その人柄を表現することにも気を配っていました。本作は女性をモデルにした像です。彼女のどのような人となりがとらえられているでしょうか。
また、全体にみられる大きなひび割れは、作品を落としてしまったときに入ったものです。柳原はこの偶然のひび割れを気に入って、これを繕うことはしませんでした。ひびに手をあて、柳原がなぜこのようなひびを気に入ったのか、考えてみましょう。
補足
彫刻は、最初に粘土で作ります。粘土でできた像は壊れやすいので、通常はこの粘土像を型取りし、保存用の石膏像に変えます。 柳原は本作の石膏像を落として割ってしまいましたが、ひびの入った石膏像を修復せず、そのままブロンズに鋳造しました。みなさんが触っているのはブロンズの像です。
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2.道標・鳩 1985年
柳原は、鳩の美しい姿を気に入り、1960年代から晩年に至るまで、多くの鳩の彫刻を作りました。家に孔雀鳩を飼い、午前中に鳩やモデルをデッサンし、午後は粘土で彫刻を作ることを日課としたといいます。柳原は、自分のその時の気持ちによって、鳩がうれしそうに見えたり、勇ましく見えたりすると語っています。
この作品は、柳原が75歳の時に制作されました。台の上に立つ鳩には、柳原のどのような心境が反映されているでしょうか。
また、作品にはところどころ柳原が粘土をこねたときの指の跡が残っています。指で粘土を押し付けて、羽根の重なりや流れを表そうとしたのでしょうか。表面に手を添え、作者の指の動きを感じてみましょう。
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3.道標・鳩(長寿の鳩) 1981年
柳原が71歳の時に作った作品。本作のモデルとなったのは、柳原が10年にわたって飼っていた鳩です。本作を制作するころには老いて頭の毛が抜けていましたが、その長生きを記念して制作されました。体をねじり、くちばしを開く鳩の姿には、柳原のどんな思いがこめられているでしょうか。
また、本作にも作家が粘土をこねたときの指の跡がみてとれます。隣の作品と比べると、指の動かし方にはどのような違いがあるでしょうか。くらべてみましょう。
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4.柳原義達のことば 「鳩に寄せて」
鳩は美しい。毎日の日課になっている私の素描のときは、嬉しさに身ごとよろこんでくれる。私の鳩は孔雀鳩で、その感動は白に光り、そしてゆれ動く。
あるときは一本の足に、不思議な身動きの安定を求め、あるときは両足にヒロイックなポーズを乗せる。この籠の鳥は、私のそのときどきの意思の方向に姿をかえさせられる。
あるときは風の中の鳩になり、日向ぼっこの鳩になり、嵐の中の鳩にすらなる。私の夢が自然のなかをさまようとき、私の鳩も籠からはなれたかのように思える。自然の息吹と鳩とのかかわりがいつのまにか私の素描になってくる。見動いている不思議な命に鳩がみえてくる。私は彫刻家としての喜びにこのときはひたっているのだろう。
私の手のなかで、大気にはばたく私の鳩がいて、それは空間の動きで生命の美しさを感じる。
『柳原義達美術論集 孤独なる彫刻』1985年、165頁、初出1980年
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