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美術館 > 展覧会のご案内 > 企画展 > 2022 > 特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」解説オンライン版

特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」解説オンライン版

<目次>*タイトルの次の【テキスト】をクリックすると、このページの各作品の解説箇所へジャンプします。【音訳】をクリックすると、音訳ファイルが開き、再生が始まります。
1.高瀬さんの首 【テキスト】【音訳
2.鳩を持つ女 【テキスト】【音訳
3.猫 【テキスト】【音訳
4.道標・鳩 【テキスト】【音訳
5.柳原義達のことば 「鳩に寄せて」 【テキスト】【音訳

*このページには、特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」(2022年11月15日-12月11日)の会場に掲出した解説パネルの文章や音訳を掲載しています。
*1から4の解説は髙曽由子(三重県立美術館学芸員)が執筆しました。5は柳原義達の著作の引用です。無断転載はお断りします。
*パネルの文章については、点訳、音訳CDも用意しています。ご入用の方は、美術館にご連絡ください。
電話:059-227-2100 Eメール:bijutsu2★pref.mie.lg.jp(★を@に置き換えてください)

【特設コーナー「さわって楽しむ 柳原義達の作品」詳細ページ】
 

1.高瀬さんの首 1948年

女性の頭部

柳原38歳の時の作品。若き日の柳原は頭像を作ることを得意とし、親しい知人の頭像を多く制作しました。柳原は頭像の制作について、まずモデルの頭全体の形を把握することが大切であり、それから細かいところの表現にとりかかるのがよいと述べています。また、顔や習慣的なポーズをよく観察し、その人の人柄を捉えることにも気を配っていました。
本作は、知人の若い女性をモデルにした像です。柳原は、彼女のどのような人となりを捉えているでしょうか。
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2.鳩を持つ女 1958年

椅子に座り鳩を抱きかかえる女性が表されている

柳原義達は、20代のうちから彫刻家として成功しました。しかし、40歳になるころには、制作に行き詰まりを感じるようになります。1953年からは4年間、彫刻を学び直すためにフランスへ行きました。ここで柳原は再修業に励み、帰国後には作風を一変させました。
本作は帰国後まもなく制作された作品。座って鳩を胸に抱く女性の像です。細かな部分の表現にこだわることをやめた結果、手や鳩の形ははっきりと表現されていません。しかし、腕の中に大事そうにものを抱える人の姿勢が、しっかりと捉えられています。
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3.猫 1964年

猫を表した作品

この作品は柳原夫妻が当時飼っていたメメという名前の猫を表現したものです。細長い形で、中央は山の稜線のように、ふくらんだり、へこんだりしています。全体に波打つような形から、雲やイモムシに見える、という声もよく耳にします。よく観察すると、端のふくらんでいる部分に二つの目のようなくぼみがあり、この部分が見上げる猫の顔になっていることがわかるでしょう。
柳原は、生き物が動く時の体のねじれ、重心の動きに関心を持ち、生涯にわたってそれを作品に捉えようと試みていました。この作品も、細かいところを極限まで省きながら、猫の体の動きを表現しようとしています。
寝そべりながら顔を上げているのか、身構えているのか、もしかしたら走っているのか。どのような姿勢の猫を捉えているのかを、さわりながら考えてみましょう。
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4.道標・鳩 1986年

翼をたたんだ鳩の像

柳原義達は、1960年代から晩年に至るまで、多くの鳩を制作しています。家に孔雀鳩を飼っていた柳原は、午前中に鳩やモデルをデッサンし、午後は彫刻制作に取りかかることを日課としていました。柳原は鳩の姿の美しさに魅せられるとともに、鳩にそのときどきの自らの気持ちや意志を投影させています。
本作の鳩は、76歳の時に制作されました。二本の足を地面につけてまっすぐ立ち、首を横に向ける姿からは、どのような印象を受けるでしょうか。
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5.柳原義達のことば 「鳩に寄せて」

鳩は美しい。毎日の日課になっている私の素描のときは、嬉しさに身ごとよろこんでくれる。私の鳩は孔雀鳩で、その感動は白に光り、そしてゆれ動く。
あるときは一本の足に、不思議な身動きの安定を求め、あるときは両足にヒロイックなポーズを乗せる。この籠の鳥は、私のそのときどきの意思の方向に姿をかえさせられる。
あるときは風の中の鳩になり、日向ぼっこの鳩になり、嵐の中の鳩にすらなる。私の夢が自然のなかをさまようとき、私の鳩も籠からはなれたかのように思える。自然の息吹と鳩とのかかわりがいつのまにか私の素描になってくる。見動いている不思議な命に鳩がみえてくる。私は彫刻家としての喜びにこのときはひたっているのだろう。
私の手のなかで、大気にはばたく私の鳩がいて、それは空間の動きで生命の美しさを感じる。 
『柳原義達美術論集 孤独なる彫刻』1985年、165頁、初出1980年
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