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美術館 > 展覧会のご案内 > 常設展(美術館のコレクション) > 2020 > 美術館のコレクション2020年度第4期第3室_四日市高校コメント

美術館のコレクション(2020年度常設展示第4期第3室)高校生のコメント

2021年1月5日(火)-3月31日(水)
このページには「コレクション名品選」の出品作品に三重県立四日市高等学校1年生が寄せたコメントを掲載しています。高校と美術館との連携事業の詳細については、こちらをご覧ください。
  • これらのコメントは高校生が自分の目で作品画像を見て、自分の言葉で執筆したものです。学芸員の解説文とは解釈等が異なる場合もあります。
  • 高校生が入力した原稿を、原文のまま掲載しています。

作品一覧(タイトルをクリックするとそれぞれのコメントにジャンプします)

高校生のコメント(作品タイトルをクリックすると各作品のページが開き、著作権保護期間の終了した作品は画像もご覧いただけます)

バルトロメ・エステバン・ムリーリョアレクサンドリアの聖カタリナ
この絵を見て、まず、目に飛びこんでくるのは真ん中の女性”聖カタリナ”です。しかし、よく見てみると左下に見える剣と右端の足かせ,,,このあと彼女の身には何が起きるのでしょうか?暗い部屋の中で、彼女のもとに訪れる右上のキューピッドとともに彼女だけに差し込む光が、なにか深い意味を感じさせています。B.N.
 
この絵の中の女性を見てみましょう。彼女の表情、足元の剣、血のように赤い彼女のマント。だんだん彼女の苦しみ、悲しみのような感情がみえてきませんか?天使に助けを求めているようにも見えます。彼女が着ているドレスの色や天使が持っているものの意味について考えてみるのもいいかもしれません。S.T.

うかない顔で両手を広げる聖カタリナの、服の裾がグチャグチャになっているのがわかり、一見上空の天使のような子を急いで受け止めようとしているように思えますが、絵の左下にサーベルがあるところから死をむかえる聖カタリナが天使に迎えられ旅立っていくところを表しているのかなと思いました。K.M.

まず、最初に目にとまるのは聖女である聖カタリナだと思います。彼女のティアラから始まり、胸元の装飾品など彼女の纏う全てのものの色の鮮やかさが背景と対比され、彼女の存在がより際立っています。私が気になったのはめくれた服の下にあるクッションのように見えるものです。皆さんは何だと思いますか?K.N.
 
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作者不詳聖ロクス》 
絵の中央にはキリスト教の聖人である聖ロクスがいて左に天使がいます。そしてひざの上には血の腫れ物のようなものがあります。私にはこの腫れ物を聖ロクスが見つめ天使が腫れ物についてロクスに訪ねているように思えて、そこからどこか不安げな印象を感じ取りました。この腫れ物は一体何でしょうか。H.K.
 
中央の男性、聖ロクス(ロック)はカトリック教会のペストに対する守護聖人。この絵は自らもペストにかかり、森で死を待っているところに天使と犬が現れ天使が傷を癒やし、犬がパンを持ってくる様子が描かれています。この絵からはどこか憂ういを含んだ雰囲気がある一方で優しさも感じられませんか?S.S.
 
中央の男性が聖ロクスです。彼の足を見ると、怪我をしていて、それを見せるかのようにして、それを心配している子供も見えます。パンを咥えている犬もいます。聖ロクスは旅の途中で怪我をしてしまったのでしょうか?また彼と犬の関係はなんでしょう?T.T.
 
傷ついた足を見せる聖ロクスは旅人の格好をしています。ロクスの傷を治したという犬を連れ、ペスト患者の介護の旅から帰った様子です。これは敵に傷でしょうか。ロクスの目は優しく天使を見つめ返しています。未だ謎に包まれた作者はこの目に何を語らせたかったのでしょうか?F.H.
 
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マルク・シャガール
抱き合っている白いドレスをドレスを着た女の人とタキシードを着た男の人が恋人で、その周りの花や鳥や人が2人を祝っているように見えました。幸せな様子を描いた絵に見えるのに、寒色が多く使われていることを不思議に思いませんか?M.I.
 
作品の題名の通り背景には枝が描かれていますが、二人の男女が枝のように真っ直ぐ伸びていることもまた、題名に関係しているのでしょうか?二人とも背景の青に溶け込んでいたり、目に影を落としていたりと、結婚式の服装には見合わない儚さや悲しさがどことなく感じられます。Y.O.
 
この「枝」では色の濃淡により抱き合う男女など、多く描写されていることで心情などが読み取れます。例えば、枝に咲いている「花」、ドレスの着ている状態である[華」による喜びの心情のうちに、寒色を用いて描かれることによる哀しさをも感じられます。永島 隆晴
 
左上には大きな目玉焼き、中心右には2人の抱き合う男女がうつされています。私はこの絵が2人の離婚後の女性の悲しさを表していると思います、目玉焼きは離婚前はよく作っていたのに、今では作らなくて良いというようなことからが悲しさを表していると思います。抱き合っているのもそのような悲しい過去を表していると思います。F.Y.
 
この絵を細かく見ると、左上の月の外側に男と鳥が見えます。
男は笛のようなものを吹きながら鳥と見つめ合っています。
私にはこの鳥と男の結ばれるはずはない、だけど結ばれたい恋心を
感じました。これは今日でも言われているLGBTについての問題も
示唆されているように思えました。Y.K.
 
この絵を見てあなたはまず、「男性と女性が描かれている絵」だと思いませんでしたか?しかし、この絵にはいろんなものが隠されており、作者の深い意図が秘められているのです。例えば、月や花束、他にもたくさんのものが隠されています。よく見て、よく考えて、作者の意図を感じ取ってみましょう。I.R.
 
画面中央で抱き合っている2人。白いドレスを着た女性はどこか悲しそうにも思えます。中央の1匹の鳥は女性に何かを与えているのでしょうか、それとも、、、?背景には太陽、月のようなものもあります。これらは何を意味しているのでしょうか?世界に1つしかない、あなただけのストーリーを膨らませて楽しんでご覧下さい。A.U.

二人の男女が抱きしめあっています。しかし二人の表情は暗く、倒れそうになっており、背後に見えるパリの町なみも暗く描かれています。また、二人は太陽や花、魔女のような人物、エッフェル塔から視線を外そうとしているように見えます。M.A.
 
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ジョアン・ミロ女と鳥
我々日本人には、この作品に2つの漢字がかかれていると感じられます。しかし、作者は、この作品を「女と鳥」と名付けています。私には、「女と鳥」が分かりません。この作品を理解するために、世界の文化について勉強するのもいいかもしれません。S.I.
 
この絵はよく見ると左下の黒い太字が「崖」で、左の真ん中の黒字はマントの羽織っている王女のように見え、それ以外の黒い字は、翼を広げている鳥で、右下の黒字はかもめのようにもみえないでしょうか?この作品はたくさんの色で鳥と人間の古代からの混沌とした情景をあらわしているのではないでしょうか。M.Y.
 
見た瞬間、この絵をどのように皆さんは捉えるでしょうか。
中央に女性が大胆に勢い良く描かれています。後ろには家でしょうか。絵の上は明るく、下は暗い色なのは、女性の上から光が当たっているようにも感じます。平面的なのに立体的で動きも感じます。見る人をワクワクさせますね。A.E.

右下に左を向いている鳥がみえるでしょか。ぼくにはこの絵に「女」が見えません。また、この絵は、青色の背景の上に黒い字がのっているようにとらえるか、青と黒が並行しているようにとらえるか、いろいろなとらえ方があると思います。あなたはこの絵がどのようにみえますか。D.Y.
 
傍から見ると、一体何を描いているのか分らないが、細かくみてみよう。「山」という文字、福井県鯖江市の眼鏡、海女さんの扱う銛などが描かれていて、日本の影響を著しく受けている作品だと言える。カラフルでスプラトゥーン的な要素を取り入れているところも、日本を感じられる。Y.K.
 
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鹿子木孟郎津の停車場(春子)
かたく角ばった鉄骨柱の前に、一人の女が佇んでいます。夕日に照らされたまるみを帯びた背中に、親しみと愛らしさを感じさせます。誰かを待っているのでしょうか。近代的な町並みと彼女に夕日がかかっている様はどこか懐かしく、あたたかさを感じられます。S.K.
 
まず目を引くのは作者の妻の女性だと思います。空は夕焼けのように見えます。二人でどこかへ出かけた帰りでしょうか?作者の妻は電車を見つめているのか、その後ろの工場を見つめているのか…。もしかしたら夫に背を向けたかったのかもしれません。それ以外だと左上の線路のそばにいる人影を眺めていたのかもしれませんね。R.U.
 
明治時代を感じさせるたくさんの汽車、それを眺める作者:鹿子木孟郎 の妻、春子の後ろ姿から落ち着いた様子が感じられます。彼女は何を見て何を想っているのでしょうか。また、現在の津駅とはまた違った形相なので比べてみても面白いかもしれません。D.K.
 
女性は作者鹿子木孟郎の妻、晴子です。
孟郎は、どのような意図で晴子をそこに立たせたのでしょうか。
晴子の表情は見えませんが、寂しそうな背中からかつての津駅周辺の風景を懐かしみつつも、時の流れに抗えずに変わる町並みと老いていく自分自身に虚しさを感じる一人の女性の姿が見受けられます。N.Y.
 
津の停車場は明治31年に描かれていて今、自分が毎日通学に利用している津駅とはかなり異なっています。奥には畑が広がっており現在の津駅からはイメージができません。少し調べてみると当時はまだ近鉄は開通しておらず国鉄(現JR)のみ開通していたようです。絵画から昔の様子について思いを馳せるのも面白いでしょう。F.K.
 
場所は当時の津駅付近、少し遠くに煙を立てて列車が走っています。それを見ている女性は作者の妻、春子です。その様子は右から差してくる淡い光も合わさってもの寂しげです。友達の見送りでしょうか、それとも旅行の帰りでしょうか。楽しかった一時を惜しんでいるように見えますね。Y.M.
 
夕日で画面全体が染まり、懐かく切ない雰囲気があり、作者の思い出の一瞬を覗いているようです。単一の色使いの中で中央の女性のみが鮮やかです。この人は、常に作者の思い出の中心にいた人なのかもしれません。女性の視線の先には走っている人の影があるようにも見えます。ただ眺めているだけの場面ではなさそうですね?I.R.

絵をひと目見て、まず目に入るのは髪を結い上げた女性ではないでしょうか。彼女は鹿子木の妻で、夕日に照らされた線路を見る姿が印象的です。二人は新婚で、愛する妻のことを絵に残したかったのでしょう。二人の思い出の土地・津での生活はどんなものだったのでしょうか。私は夕日の感じによって、哀愁を感じました。S.Y.
 
ここはかつての津駅付近。今のおもかげは感じられますか?女性の視線の先から、列車が来ます。さて、女性は何のためにそこに立っているのでしょう?どこかへ行くのか、はたまた誰かの帰りを待っているのか…。彼女には、津の風景がどのようにうつっているのか考えながら、今一度、この絵をみるのも良いかもしれませんね。T.Y.
 
作者の妻の女性らしい丸みのある体のラインと、この作品の中で最も鮮やかな色で描かれた着物の、まるで写真のような布の質感によって、自分も同じ場所にいるような気持ちになります。また、光と影の描写がとてもリアルで、右斜めからあたっている光が夕方を思わせ、後ろ姿と相まって少しの寂しさを感じます。T.H.
 
女性はどこを見つめているのでしょうか?私は線路近くにいる子供を見つめているように見えました。子供は一人で何をしているのかあなたも想像してみてください。景色が遠くにいくにつれてぼんやりしていくので、奥行きがあるように見えますね。女性が最も丁寧に目立つように描かれていることから作者の女性に対する愛情が表われています。M.Y.
 
背を向ける女性の目線の先には子供の姿があります。女性の後ろ姿は陰になっていて少し物悲しい雰囲気がある一方、子どもは手足を上げて元気な印象です。私は自立していく子どもとその母に見えました。母はとても心配そうに見つめていますが、子どもはそんなことは露知らず、未来への歩みを進めているような気がします。あなたは、どう感じますか。N.Y.
 
この絵で最初に目が向くのは、女性の後ろ姿でしょう。こちら側に背を向けていますが、少し丸い背や周辺の色味の少なさから、寂しい表情をしているのではないかと思いました。女性の目の先には煙を吐く塔のようなものがあります。彼女は、遠くにある塔から時の流れを感じて、哀愁に浸っているのではないでしょうか。M.R.
 
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古賀春江煙火
「煙火」は連作であり、そのうちの一つは小説家の川端康成が所蔵していたことでも知られています。どちらの煙火においても同じようなモチーフが描かれていますが、今作のほうが全体的に薄暗く、どこか儚い雰囲気や夢に焦がれるような切なさが感じられます。連作「煙火」として見比べてみるのも面白いでしょう。T.M.

作品名や、夜空に煙が上がっていることから、作者は花火が打ち上がった後の風景を描いたんだなと思いました。
また、この絵からはどことなく寂しさを感じたので、作者は花火が終わったことへの寂しさを伝えたかったのかなと思いました。
 
この作品は全体的に薄くぼんやりと描かれており、題名にある「煙火」が漂っているような印象を受けます。輪郭がぼやけ、なにを描いているのかが分かりにくい点からも、それを感じます。煙で見えにくくなった視界を表しているのでしょうか?R.S.
 
花火の観覧船が2隻と黒煙に隠れた月。そして、脇に大きな風車の生えた家。屋根には船がのっているようにも見えます。不思議な感覚になってきませんか?私は、この感覚と、題に「煙」が使われているのが気になりました。そこで2つをあわせてみると、花火の煙で不思議な家が現れ、花火の明るさで照らされている絵に見えてきました。あなたはどうですか?O.M.
 
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藤田嗣治猫のいる自画像》 
眼鏡をかけた作者と猫がこちらを見ています。何かを描こうとしているのか手に筆を持ち、机の上には硯や、墨、紙が置いてあります。背景にはうっすらと窓の様なものとキャンバスが見えます。ところで、作者と猫は何を思いながらこちらを見ているのでしょうか?もしかしたら、今この絵を見ている私達を描こうとしているのかもしれません。K.K.
 
この自画像は白と黒を絵の基調としているにも関わらず鮮やかさも持ち合わせており見るからに特徴的な作品である。整っている髪の毛、印象的なひげ、他の誰とも間違いようがないほどの完成度である。作者の白は私達見る人に意味のある余白のように考えさせられる。
ぜひ考えてみてください。H.Y.

この作品は油絵画ですが、水墨画のように描かれています。また、猫の毛の質感がとてもリアルに表現されています。あまり派手な感じでないですが、絵に写っている1つ1つの物と人物が細かく忠実に再現されていると思いました。N.S.
 
少し紙から目を離して筆を休めている男性がいます。この男性は、ぼーっとしているようにも、なにか考え事をしているようにも見えます。その肩に猫の顔。全く表情を変えないご主人様に何かを訴えているように見えます。ご飯がほしいのでしょうか?遊んでほしいのでしょうか?皆さんにはどのように見えますか?H.A.
 
私がまず注目したのは作者の肩に首をのせている猫。こちらを睨みつけ、何かを訴えているようだ。一方で作者に目を向けると、指の関節部分が濃くなっているのがわかる。より立体的に描くためだろうが、私は作者が書道に熱心であることを表しているのだと思う。そしてそこから、猫が作者に対して、「書道ではなく私にもかまって」と言っているようにも見える。R.I.
 
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佐伯祐三サンタンヌ教会
暗めの色を基調とした絵。ゆっくり眺めてみると、絵の真ん中下の水たまりに建物が写っているのがわかります。私は仄暗い夜の街に柔らかい光が灯っている描写が好きだなぁと思いました。夜の街の無機質さの中に、どこかにんげんの温かさを感じさせる一枚です。F.H.
 
この絵は、華やかなイメージの都市、花の都、パリを描いたものです。しかしこの絵に描かれている街は、黒く煤け、歪んでいます。信仰の中心のサンタンヌ教会からは影が広がっており、絵の中央の塀の影は、人影が立ち上がっているかのようです。佐伯さんは壮大な欧州の町並みに、二十世紀の狂気を見たのかもしれません。W.H.
 
曇った日でしょうか。中央奥の丸い屋根のサンタンヌ教会は、影に覆われているようです。一見誰もいないかに見えるパリの街ですが、道を進んだ先に見える黒い影は人のように見えます。その道を曲がった先で待っているのは何でしょうか。あなたはどう思いますか。N.M.
 
中央奥の丸い屋根を持つ教会がパリにある「サンタンヌ教会」です。この絵はパリの美しい街並みと一際存在感のあるサンタンヌ教会が力強いタッチで描かれています。手前から奥へ道がだんだん細くなっていたり、奥の建物と手前の建物で明暗が異なっていたり本当にパリの道に迷い込んだ気がしませんか?K.N.
 
全体的に暗い色、荒いタッチで描かれたこの作品。建物の煙突から出る煙などによって街が汚れているようにも見えます。曲がった道やくすんで煤けた道路。道の横の建物を見てください。夜明けが近いのでしょうか。光があたっています。タッチが荒々しいながら線は細く、作者の丁寧な人柄が見えてくるようです。U.E.
 
少し不気味な雰囲気を醸し出していますが、独特な世界観のある古い街並みがしんみりとした気持ちにしてくれるので落ち着いて鑑賞できると思います。
また、あえて教会が奥に暗く描かれていることで自分が実際にこの通りにいるような臨場感を味わえると思います。O.K.
 
一見誰もいないような寂しい雰囲気を感じさせるこの絵ですが、正面路地の左奥には黒い服を着た人みたいなシルエットが描かれています。左右に色鮮やかな建物が描かれている中、一見わからないところにひっそりとシルエットを忍ばせる作者は案外おちゃめな人なのかもしれませんね。新庄 信吾
 
この絵を見たとき、初めは暗い印象を受けるでしょう。しかし力強いタッチで描かていてまた別の印象も受けられます。さらによく見てみると、レンガなどは細かく繊細さが感じられます。このような様々なタッチから佐伯祐三の性格や感情が読み取れる気がしませんか?Y.E.
 
この絵はパリのサンタンヌ教会を描いた絵なのですが、この絵を見ると夢のワンシーンのように感じます。全体的に暗い雰囲気で、建物の輪郭もはっきり描かれていません。さらに、かろうじて窓だとわかるように色んな物が曖昧に書かれています。もし、あなたがこの絵のようなシーンを夢でみたらそれはどんな夢なのでしょうか。Y.S.
 
中央奥に円いドーム型の屋根を持ったサンタンヌ教会がそびえ立っています。時が流れていくにつれて、教会はどんどん廃れ老いているように感じられました。私はこの絵の時間帯は日が沈んでから少し時間が経った頃ではないかと思いました。不気味さだけではないもっとくろいものが漂っているように思います。T.N.
 
中央奥の円い屋根の建物がサンタンヌ教会です。教会といえば明るいイメージがあるのに、この絵の教会は暗く、奥にひっそりとたたずんでいます。空の色、建物の色から暗い雰囲気が伝わってきます。いったいなぜ?もしかすると...作者自身の暗い未来を暗示しているのかもしれませんね。S.N.
 
この作品の中央奥の、円い屋根をもつ教会は、パリにある「サンタンヌ教会」です。落ち着いて、静まり返っているような気がします。空をみてみると、曇り空の中に青空がみえます。私はここから、作者は暗い中にある希望を伝えようとしているのだと思いました。あなたは何を感じましたか?K.A.
 
暗い色合いで重みのある雰囲気に仕上がっていて全体的に密集度も高い作品となっています。よく見るとレンガの壁の柄など、細かく描かれており、繊細なイメージも持っているように見えます。色の塗り方に勢いと複雑な変化を与えることによって、メリハリのある油絵作品になっていると思います。T.K.

暗い空と影が落ちた町。そして真っ黒な教会。この絵からは、題名の「サンタンヌ教会」が与える明るいイメージとは真逆のイメージを感じました。それに加えて道が折れ曲がり、教会の方向からそれています。つまりこの絵は、教会の目が届かない場所があることを訴えようとしているのではないでしょうか。K.M.
 
中央奥の教会を見てほしい。この絵の題名となっている教会だが、描かれているのはシルエットだけである。何を伝えようとしているのだろうか。よく見ると手前の道には誰もいない。教会では、救いは受けられないとでも言うかのようだ。これは私の勝手な解釈に過ぎない。ぜひあなた自身の解釈でこの絵を見てみてほしい。T.H.
 
黒やグレーで単調に描くことで街のレトロな雰囲気を作っている。右側のブロックでできている道の細かな溝を鋭利なもので削って描いているところや、あえて全体をぼかして描いているところを、作者、佐伯祐三さんの重苦しい人生とともに照らし合わせて考えれば、我々の感性をくすぶるような、言葉では言い表せない、何か心に引っかかる葛藤を感じられるだろう。N.D.
 
この絵は洋風の建物と奥まで続く道が描かれています。道にレンガが一部映っていることから、水たまりができる程の雨が降っていると思いました。だからこの絵は夜の薄暗い時間帯ではなく、夜と思うほど暗く、気分が落ち込むような雨の日の昼を描いていると思います。きっと作者はこの場所に嫌な思い出があるのだと思います。M.R.
 
奥の円い屋根の建物がタイトルの「サンタンヌ教会」です。しかし、なぜ作者は主役であるはずのこの建物をもっと大きく、もっと明るく描かなかったのか?そこにはきっと作者の思いや、理由があると思います。私は、街並みを含めてこそのサンタンヌ教会だからだと感じましたが、皆様はどう考えるでしょうか。M.N.
 
この絵には作品名にあるように奥に教会があります。その右にはけむりが出ている建物もあります。私はこの建物が工場のように見えました。教会というのは神聖な場所にあると思っていましたがここに工場があることで当時のパリはよどんだ空気が流れているように見えました。当時から環境を問題にしているが今の私たちは意識していますか。I.S.
 
この絵には教会周辺の街が描かれています。遠くから見ると私は夜の美しい町並みに見えましたが、よく見ると大胆な画き方から街の荒廃さが伝わってきました。絵の手前だけ明るく、奥の背景に光がないのは街の行末を表しているのかもしれません。この街の未来は明るいのか、それとも暗いのかどう思いますか。T.I.
 
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藤島武二大王岬に打ち寄せる怒濤
崖の間から見える海。向こう側から波が押し寄せてきます。少し離れてみてください。押し寄せてくる波の高さ、速さ、水面の白い泡。海の動きすべてが伝わってきます。朝日の淡い暁色で全体があたたかい感じがするのもいいですね。見る距離を変えるだけで、見える世界が変わってきませんか?S.K.
 
絵の中央で目を引く海と、その上には空、左右には崖が描かれています。奥の海の「静寂」と、崖にぶつかった波の「荒々しさ」の対比が美しいです。見ていると、打ちつけられた波の荒々しい光景が思い出されるのにどこか寂しい印象を受ける、不思議な絵だと思いました。G.S.
 
怒濤とは激しく荒れ狂う波の意
その波の荒々しさを表現するように荒々しいタッチで描かれたこの絵は
自然の厳しさを表しています。
この作品が描かれた1932年は五・一五事件が起こった年でもあります。
それを念頭に置くと、この絵は当時の世相を表しているようにも思えます。S.H.
 
自分は以前志摩に船釣りをしに行ったことがあり、その日は海がまあまあ荒れていました。釣るポイントに向かう船からふと岸の方を見ると、絵のような激しく白く高い波が打ち付けているのが見え、とても印象に残っています。だから私はこの絵に親近感を持ち、懐かしさを感じました。K.Y.
 
これは明け方でしょうか?
海を一望できます。とんでもない高さから描いたようです。
波の動きが繊細に描かれ躍動感を感じるとともに雲の穏やかさ、静けさも感じられます。
この壮大で美しく誰もが息を呑む作品。
しかし、右上の木に注目すると…
この木に込められたメッセージ。
私が感じたのは孤独。
あなたは何を感じますか?W.H.
 
この作品の怒濤(どとう)は三重県志摩市の大王崎(だいおうざき)がモデルとなっています。怒濤とは激しく荒れ狂う大波です。波の偉大さも目を引きますが、手前に見えている崖も美しく描かれていて、より大波のかっこよさを引き立てています。この作品を見ていたら大王崎に行きたくなりませんか?K.M.
 
題名にある「怒涛(どとう)」とは「荒れ狂う大きな波」を意味する言葉です。中央に描かれた波だけでなく、右上に描かれた1本の孤独な木や明るい空と暗いがけの対比にも注目して見てみるとまたちがった見え方ができるかもしれません。M.H.
 
岬の岩場をV字型にして前景をつくり、その切目から海をのぞかせて、水平線と朝の空にひろがる雲を後景に配した構図はシンプルで、一気に荒波立つ海面へと視線を誘われます。「動」を波が、「静」を水平線が象徴し、明るい朝の海の静けさゆえの大きさを表しています。H.N.

私は作者がこの絵を天空から描いていると思いました。右側から川の水が流れ、下まで続いているようにみえ中国の山が思い浮かびました。絵全体の雰囲気が日本的でこの絵をみると心が落ち着くような気がします。私はこの絵を人に例えると寛容で落ち着いた心を持つ人なんだろうなと思いました。T.R.
 
この絵の中央には大きな、激しい波が描かれています。大きく水しぶきを上げていて、今にも飛び出してきそうで少し怖い感じがします。上の方を見ると、手前は雲が少ないのに対して遠くは雲が多いので、これから嵐になり、より波も激しくなっていくのではないかなと想像できます。I.S.

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森芳雄大根など》   
一見無機質な絵にも見えますが手前のかばんの布の柔らかさや奥の大根の表面が緻密に描かれていてよく見ると優しい色の中に温かみすら感じられてきます。見れば見るほど見方が変わってとても不思議な絵ですが、手前のかばんに注目してみてください。大根を入れるには小さすぎませんか?かばんの正体が私はこの絵の最大の謎でと思うのです。R.K.
 
大根。絵の真ん中に描かれているでもなく、濃い青で塗られたかばんでもなく、目につくのは大根。 かばんや真ん中付近の切られた大根のようなものには、影があるのに、大根には影がありません。この1つだけ影のない、浮いている状態が大根を目立たせているのではないでしょうか?H.T.
 
今、この絵を見ているあなたは思いませんでしたか?
  なぜこの絵の主題が大根なのだろうかと。
私が思うに、作者はこの平凡な大根を一つの主人公と
見立てて、大根とは根菜の王様ということを世間に伝えたい
と感じました。ただこの絵は色々な見方があると思いました。  
    あなたはどのように捉えましたか?H.S.
 
まず描かれた年に目が行きました。戦時中とあっては、描かれているものに華が無いことにも納得がいきます。作者は何を伝えたかったのでしょう...大根、林檎、鞄。戦時下で、すぐ無くなってしまうものを描き残しておきたかったのか?あるいは...皆様はこの薄い色調から何を読み取るでしょうか。M.T.
 
大根、じゃがいも、バッグのようなものが描かれています。なぜこのような絵を描いたのでしょうか?これは、いつ頃描かれ、このときの作者の周りの環境はどんなものかを知るとわかるようになるかもしれません。また、なぜ大根なのか、サツマイモじゃだめだったのか?そんなことを考えると面白いかもしれません。 M.R.

私が注目してほしい、この絵のポイントは奥にある大根のまっすぐさです。大根は大きな根ではなく、大きな茎なので真っ直ぐなりやすいのですが、このまっすぐさは、人の本来あるべき心構えをうつしだしているのだと思いました。天晴。M.Y.
 
絵の下方には立派な大根、下方にはトートバックが見えます。夕方の薄暗い雰囲気が伝わってきますが、もしかしたら森さんの子どもが初めておつかいに行って帰りが遅くなってしまったのかもしれません。この絵は子どもの成長を森さんが得意な絵で記録して書いたのではないでしょうか?あなたはどんな物語があると思いますか?S.A.
 
絵には2つの野菜と買い物のかばんが見えます。このことに注目すると、母親に買い物を頼まれた幼い男の子が大きな大根とりんごをかばんにつめて急いで家に帰る様子がまず浮かびます。そして、買い物を母親に見てもらいたいという気持ちで買った物を張り切ってかばんから出している様子が私には想像できました。M.N.

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最終更新:2021年1月29日 ※1月29日に2クラス分の原稿を追加しました。
ページID:000245961