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美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 「「司馬遼太郎」筆名の由来は」 カフェ日和第26回 井上隆邦 2013.2.16

 

「司馬遼太郎」筆名の由来は 

井上隆邦

三十年以上も前の話だが、我が家に最初の子供が誕生した折、司馬遼太郎のファンであった筆者は遼太郎と命名するつもりだった。ところが、とんだ誤解から断念した経緯がある。周囲から遼太郎の「遼」の字は中国の故事「遼東の豚」を連想してしまう、再考してはどうか、と助言があったのだ。

 「遼東の豚」は、白い豚の誕生にいたく感激した農夫の話だ。どうもこの農夫、それまで白い豚を見たことがないらしく、その物珍しさ故、ここは一つ、高貴なお方に献上せねばと、くだんの豚を引いて都に向う。その先が面白い。「遼東」の県境を越えるや、そこには白い豚が山ほどいたという笑い話である。「井の中の蛙大海を知らず」に似た故事であろう。

 さて問題はここからである。我が家での命名問題が決着した後、司馬遼太郎がそのペンネームを決めた本当の理由を知り、愕然とした。「自分は中国の史家、司馬遷には遼(はるか)に及ばない」との思いから、決めたという。自らの浅学非才さを恥じた事は云うまでもない。

命名は実に悩ましい作業だ。普段あまり手にしない漢和辞典を慌てて紐解くのもこの時だ。時間ばかりが過ぎてゆき、中々決まらないことも多い。ようやく目途が着いたとしても、画数の吉凶が芳しくなく、振出しに戻ることさえある。

最後に受け売りを一つ。同志社大学の創設者、新島譲の幼名は「七五三太」とか。これで「しめた」と読む。「七五三縄」(しめなわ)からヒントを得たのであろうか。待望の赤ちゃん誕生に「しめた!」と快哉を叫ぶ両親の顏が浮かぶ。幼名とはいえ、お見事な命名。星五つ!

(朝日新聞・三重版 2013年2月16日掲載)

 

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