このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

美術館 > 刊行物 > 学芸室だより > 新聞連載 > 「美の支援者たち」 中日新聞 2012.12.21(夕) 井上隆邦

 

美の支援者たち

井上隆邦

伊勢現代美術館の館長、服部修身さんは美大の卒展などに足繁く通い、これぞと思った作品と出会った時には、その作者に美術館の展示スペースを無料で提供している。既に可なりの数の新人作家がここで個展を開催している。その後、海外にわたり、修行を続けている人もいる。

同館に招かれ、過去に二回ほど個展を行った加藤涼子さんと過日雑談する機会があった。昼間は生活費をねん出するために病院で内視鏡の洗浄作業を行い、作品の制作は帰宅後、夜遅くまで行っているという。新人作家の生活は楽ではない。

昔日本には「旦那衆」と云われる人々が存在した。気に入れば若手作家の支援も行った。生活に困らないほどの財産があったから「お大尽ぶり」を発揮できたのであろうが、彼らの優れた点はその鑑識眼だった。多くの作品に接していたので、実に目が肥えていた。猫に小判では意味がない。

そういえば最近は「旦那衆」という言葉をあまり耳にしなくなった。こうした人たちはもはや存在しないのであろうか。そんなことを考えていたら、ベネッセホールディングスの会長、福武總一郎さんのことが頭に浮かんだ。

福武さんは二十年以上にわたって瀬戸内海に浮かぶ小さな島、直島で現代美術にかかわる様々な活動を精力的に展開している。島内の古民家を再利用し、そこで現代美術のインスタレーションを行う「家プロジェクト」など斬新な企画を相次いで打ち出し、注目を集めている。集大成ともいえる事業が「瀬戸内国際芸術祭」だ。瀬戸内海の島々を舞台に三年に一度開催される現代美術の祭典で、第一回目が二年前に開催された。仄聞するところでは福武さんは、この芸術祭を百年間支え続けると「豪語」したとか。その心意気たるや、まさに「旦那衆」を連想させる。

作家への支援で思い出すのは、1910から20年頃のパリ・モンパルナスのカフェ「ラ・ロトンド」だ。カフェの主、リビオン親爺は店に集まる無名の芸術家たちを積極的に支援した。食事やワインを提供したり、あるいは寝るところに困れば、カフェでの寝泊まりも許可したという。「ラ・ロトンド」に出入りしていて、その後有名になった芸術家も多い。モディリアニ、キースリング、パスキン、藤田嗣治など名前を挙げればきりがない。   

当時のパリには、目薬の開発で巨万の富を築いたアメリカ人実業家、バーンズも訪れていて、作品を買い漁っている。こうした作品が元となって有名なバーンズ・コレクションが形作られたことはご存じの通りだ。

バーンズは、「ラ・ロトンド」に出入りしていた無名の芸術家の一人、スーチンの絵も買い込んでいる。絵が売れる前のスーチンは襤褸を纏っていたが、絵が売れ、大金を手にした途端、一夜にして「変身」したという逸話が残る。

話は現代に戻る。若手芸術家への支援はどうあるべきか。無論、公的資金による支援は重要だが、庶民一人ひとりでも実践可能なことがある。できるだけ新人作家の作品を見て回り、これぞと思った作品に出合ったならばお小遣いをはたいて、購入することだ。駆け出しの新人であれば、作品はさほど高くはないし、自宅に飾れば目の保養にもなる。結果して若手作家の支援にもなるから一石二鳥だ。

そして購入者が「目利き」であれば、手に入れた作品が将来、「家宝」になるかもしれない。しかしそこまで考えてしまうと、選択に迷い、結局何も買えなくなってしまう。あまり欲張ってはいけない。

(中日新聞(夕刊) 2012年12月21日掲載)

ページID:000057765