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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 藤島武二 《大王岬に打ち寄せる怒濤》 1932 解説

藤島武二 《大王岬に打ち寄せる怒濤》 1932年

 藤島武二(1867-1943)

大王岬に打ち寄せる怒濤

1932(昭和7)年 

油彩・キャンバス

73.3×100cm  

 

藤島武二《大王岬に打ち寄せる怒濤》 1932

 西洋の画材を使いながら、日本的なモチーフをいかに表現するかという課題は、明治以来の日本人画家が避けて通れない問題であった。
 特に、ヨーロッパへ留学する画家が増えた大正中期後期以降、帰国した画家たちは、西洋と日本とのギャップに悩みながら、日本的な洋画をつくり出すことに苦闘することになる。
 日本近代洋画の先駆者の一人藤島武二は、昭和初期にはすでに還暦を迎え、わが国美術界で確固たる地位を築いていた。
 その藤島も、大正年間割頃から「東洋とか西洋とかという観念を撤回し」「西洋臭味を離れたものを描く」ことに心をくだくようになっていた。
 そうした課題に対して、藤島が出した回答のひとつが、この「大王岬に打ち寄せる怒濤」であっった。
 この作品を完成するために、藤島は同じ構図の作品をいくつも詩作したと伝えられるが、この完成作には日本の近代文化がたどった成熟に過程が集約されているといっても誤りではない。   (毛利伊知郎・中日新聞1999年5月9日)

 

 


 

 油絵という技法は、たやすく塗り重ねや厚塗りすることができるがゆえに、かえって、物としての絵具が画面を重苦しくしてしまいがちだ。こうした事情は本家西欧の画家でも珍しくない。
 藤島にもそうした作品がないではないが、伸びやかな塗りや色彩の対比によって画面に軽快な生気を吹きこみえた、多くはない洋画家の一人と見なしてよいだろう。
 本画面でも両端の崖の部分は、緑や茶色、灰色が市松状をなして重さを緩和し、横にひろがる空の青や薄紫、波の緑、白など複数の色彩と響きあうことで、明暗法にも遠近法にもよらない空間を開いている。(石崎勝基) 中日新聞2009.6.18

 

作品鑑賞ワークシート;藤島武二《大王岬に打ち寄せる怒涛》

作家別記事一覧:藤島武二

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