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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 向井良吉 《発掘した言葉》 1958年 解説

向井良吉 《発掘した言葉》 1958年

 向井良吉(1918-2010)

発掘した言葉

1958(昭和33)年 

ブロンズ

H53.0×W32.0×D30.0cm 

 

 既にその戦争から長い年月が過ぎているが、第二次世界大戦を経験した世代は、というより世界は、それ以前の世界がもっていた秩序、理想といったものをすべて否定するところから、戦後出発している。パラフィン系の蝋(ろう)型原型による特殊技法で、従来ある彫刻とは全く異質な作品を創造した彫刻家、向井良吉の戦後はこの《発掘した言葉》に集約されている。構築されたというよりも、反対に崩壊した形態。ラバウルで敗戦を迎えた記憶が、作品にどのように投影されるのか。だれよりも果敢に彫刻が語っている。
 不思議なことに、作品は次第に一人歩きし始め、彫刻家の特殊な経験を超えて、新しい形態との空間の創造という、普遍的な作業を完成させる。口当たりのよい言葉では語りえない苦悩。腐食し崩壊する形は、第二次世界大戦を経験した世界に残された「現実」であった。 (荒屋鋪透 中日新聞 1992年4月7日)  


 これは彫刻にかぎらないけれど、具象的な作品ではその作品と題は一本の糸のようにつながっている。作品にかくされた意味を探す探偵役がいわばその題だといっていい。抽象芸術ではそういうわけにはいかなくなる。作品と題をつなげている糸はいったん切られてしまうから、題だけみて作品を想像するといった芸当ができなくなった。
 たとえば、向井の『発掘した言葉』と題された作品はその手ごろな見本だろう。不安定で、いまにも崩れてしまいそうな弱さが、そういう風化に対抗して立ちつくす気配をかえってつよめる。そのみえない意思の力のようななにかを作者とともに「発掘した言葉」という詩でとらえるとき、この作品は本当に完成する。つまりこの作品はみえる部分とみえない部分からできているのだ。 (東俊郎 中日新聞 1993年10月28日掲載) 


 題名を見てこの作品を眺めると、作者がこの作品にどんな意図を込めたのだろうかと考え込まされてしまう。
 「発掘した」というところから、長い間どこかに眠っていて掘り起こされたそれは、その形や表面の様子もあって、風化したり朽ちかけていて、脆(もろ)く儚(はかな)い印象と結びつく。しかし、確かな存在感もあり、こちらに何か声にならない思いを投げかけているようにも感じられる。
 「言葉」は、いったいどこから発掘したものなのだろうか。作者の敗戦の記憶が元になっているという説もあるが、それではどうしてこのような形となって現れたのであろうか。
 実は、美術館がこの作品を収蔵した時に、作者より寄贈されたこの時期のスケッチブックは、全ページ墨によるデカルコマニーで埋められている。デカルコマニーとは、絵の具などを紙に塗り、それを二つに折るなどして写し取り、偶然にできた不思議な形態を得ようとするものである。一般には、左右線対称の不思議な形で、心理テストなどに使われるものとして知られている。
 このスケッチブックには、粘土やロウなどにより汚れていて、明らかに制作時にそれを見ながらつくられたと思われるページがある。このページの形がこの作品の元となったものであるという保証はないのだが、実際の作品と見比べてみると、作品の中にデカルコマーニーによる形のバリエーションではないかと考えられる部分をいくつか見つけ・驍アとができる。
 作者がデカルコマニーを心理テストなどで使われるものとして意識していたと仮定したら、この作品の題名から作品の意図を推察することができるのではないだろうか。(近藤真純)

 

 

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