横山操 《瀟湘八景》 1963年
横山操(1920-1973)
1963(昭和38)年
紙本墨画
各121×243cm
江天暮雪 |
洞庭秋月 |
漁村夕照 |
山市晴嵐 |
平沙落雁 |
遠浦帰帆 |
瀟湘夜雨 |
烟寺晩鐘 |
一九六〇年代に入ってしばらくすると、横山操は、それまでの彩色画から一転して、水墨画の世界に身を投じた。その最初の展覧会が東京のある画廊で開かれた個展であった。友人であった加山又造の指摘によると、横山がそれまで使用していた黒は、アイボリーブラック、岩黒、紫黒、などの絵の具であったが、この展覧会ではそれらを捨てて、墨を主張とする新しい様式を始めたのであった。
横山のこの転向が何に起因するものであったかは、横山自身の語るところからわかる。それは、洋画と区別のつかないような日本画の横行が、日本画自体の自立を阻むものでしかなく、こうした状況を打開するのは日本水墨画の再興にかかっている、という危機感に根ざしていた。
これは、晩年『芸術新潮』(1770年2月号)に寄稿した「独断する水墨画」と」題したエッセーで述べたことだが、同じエッセーでさらに「水墨は作家の精神をぎりぎりまで追い込んで、心的表現へと導く」とも述べており、横山の水墨画への転向が内面に深く根ざす契機もはらんでいたことがわかる。
ここにあげる「瀟湘八景」全八枚のなかの一点は、転機に立つ彼を象徴する作品でもある。 (山口泰弘 中日新聞 1992年5月22日掲載)
線を描くのではなく、色を塗る。日本画が次第にそういう傾向を強めてゆくのに、いちはやく危機感を募らせていたのが横山操だった。それでは、油絵とは材質が違うだけになる。
あくまで線にこだわりをみせた横山が不惑をすぎて水墨画のほうへ惹かれていったのはよく分かるし、それはまた性急に伝統を無視してきた自らの足跡を振り返っての反省と、水墨画の深く、広い可能性への目覚めでもあった。
危機意識から、水墨を始めた途端に故郷越後の風景をかき『瀟湘八景』をかいて、そのうえこの『瀟湘八景』は大作で、あいかわらずの精力的な制作に驚かされるが、彼にしてみれば、描いても描いてもまだ足りなかったのだろう。
中国に生まれたこの画題が朝鮮を経て日本に土着し、花鳥風月の色合いの濃い四季の絵とかわったのを、もう一度原点近くに戻したのは横山の新しさである。
原点というのは瀟湘の風景にということではなくて、紙に墨で描く最大の利点を使って、それでしか表現できないものを描くということである。
(東俊郎 中日新聞 1998年4月23日掲載)
瀟湘八景は、平沙落雁・遠浦帰帆・山市晴嵐・江天暮雪・洞庭秋月・瀟湘夜雨・烟(遠)寺晩鐘・漁村夕照という八つの主題からなっており、一説では北宋末の文人画家、宋迪がはじめてこの主題にもとづいて描いたといわれている。
しかし、場所の特定はむずかしい。というより、ある特定の場所を実際の風景に即して描写することが目的ではなく、この地方特有の湿潤な大気のなかで、四季の変化、朝夕など一日の変化、気象の変化など、さまざまな自然条件によって時々刻々変貌する山水の表情を八つの典型にまとめた、といったほうがよい。
この主題を描いた絵は、すでに鎌倉時代末には日本へ移入されており、水墨画が盛んに描かれた室町時代を中心に、むしろ本家中国のお株を奪うほどよく描かれた。おそらく、瀟湘八景の与えるイメージが日本の湿潤な風土に近いものを感じさせたことが、画家を引きつける要因になったのだろう。
横山操は、晩年のエッセーのなかで、水墨画というものについて「水墨画は作家の精神をギリギリまで追い込んで、心的表現へと導く」という見解を示している。たしかに、瀟湘八景が、一般に醸し出す湿潤で柔らかな雰囲気に比べると、はるかに厳しい内面表現がここにみられる。(山口泰弘)サンケイ新聞1992年6月7日掲載
自然の中の個物を描いても自然は自然だし、また個物をこえたあるエネルギーの働く場所という抽象的な表現でしか捕らえられない自然もある。いずれにせよ無数の顔を持っている自然を表現する仕方は限りない。そういう限界をみせない自然の姿を水墨画はかなりうまくすくうことができる。
横山操が自然を描こうとして水墨画を選んだのは、だから自然だった。というのも、彼が画面のうえに浮かびあがらせようとしたのは現実の風景でなく、まだどこにも存在しない、彼の想像の世界にだけある自然なのだから。水墨の約束でそれを胸中山水という。
「瀟湘八景」は、こういった横山の要請にしたがうのに格好の伝統的なテーマである。
ただし、それはテーマという衣装を借りただけで、ここに展開する風景は中国でも日本でもない一種の宇宙風景といえようか。自然の大きさが強調され、対照的に人間は無に近い非力の存在と横山にみなされているのだろう。全八枚の画面のうちで人の姿がかろうじてみえるのはわずか一枚にすぎない。 (東俊郎 中日新聞 1988年7月30日掲載)
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