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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > デュフィ 《黒い貨物船と虹》 1949年頃 解説

デュフィ《黒い貨物船と虹》 1949年頃 

 

ラウール・デュフィ(1877 フランス -1953)

黒い貨物船と虹
1949年頃
油彩・キャンバス
38.0×46.1cm
(財)岡田文化財団寄贈

 

デュフィ《黒い貨物船と虹》 1949頃

 

 デュフィといえば、水底で揺らめく海藻のように軽快な線描が響き合うリズミカルな画面と、南仏の光を彷彿(ほうふつ)とさせる明るい色彩によって知られ、油彩であってもまるで水彩のような軽さを持ち味としている。
 こうした印象からいえば、この一点は、デュフィにしてはかなり重い。画面の大半を覆う黒というよりは濃紺に近い色。港を襲ったにわか雨が去りつつあるのか、早くも空には虹が架かっている。貨物船は、重い船体を覆った黒い雨の中からぼんやりと姿を現し始めたところなのだろうか。太い軽快な線描と対比された貨物船の引っかいたような細い輪郭線が効果を上げている。
 ドイツ占領下のパリを逃れてきた南仏で、デュフィは「黒い貨物船」のシリーズを十数点描いているが、船は常に真っ黒の魂として、まるで亡霊のように明るい港のまん中に浮かんでいる。案外この一点も、単なるありふれた港町の光景ではないのかもしれない。 (土田真紀 中日新聞 1991年8月30日掲載)


  

 柔らかな線と鮮やかな色彩で人生の喜びを描いた画家デュフィは、フランス北部の貿易港ル・アーヴルに生まれた。一九〇五年のサロン・ドートンヌ展で画家マティスの描く鮮明な色彩の絵画に感動し、マティスを中心としたグループ「野獣派」のメンバーとして出発。また〇九年、友人のフリエスとミュンヘンの街で世紀末芸術とバイエルン地方の農民絵画に出合い、その線描表現と装飾性を自分の作品に採り入れた。
 デュフィは四六年から五三年にかけて十五点ほどの「黒い貨物船」を描いているが、いずれも故郷ル・アーヴルのサン=タドレス海岸に浮かぶ貨物船をモチーフにしている。黒い色の面の中に、白や緑の輪郭線で船が切り取られるという特異な技法が使われており、黒に対する画家の強い関心を示す作品となっている。 (荒屋鋪透 中日新聞 1991年12月13日掲載)


  

 北フランスの港町ル・アーヴルに生まれたデュフィは、こよなく海を愛した画家である。作品に見られる奔放な線描と鮮やかな色彩は、彼のスタイルに野獣派という呼び名を与えているが、詩情あふれる絵画からは、およそその名にふさわしくない繊細さが感じられる。
 第二次世界大戦後の一九四六年から五三年にかけて、繰り返し描かれたのがこの「黒い貨物船」のシリーズ。
 背景はサン・タドレスの港だが、かつてデュフィが制作したような、明るい陽光のなかで裸婦の登場する港ではもはやなく、まんなかに不気味な船体をさらした、影のような貨物船のいる海の情景である。
 この絵のなかに、晩年の画家の孤独をみる者もいるが、巧みな筆さばきで処理された画面を見るかぎり、老いとか孤独とかいう言葉よりも、生についてのデュフィの力強いメッセージが聞こえてくるようである。 (荒屋鋪透 中日新聞 1993年11月19日掲載)


  
 デュフィの絵は、豊かな色彩と軽やかな線で私たちを魅了する。これらは、音楽家の多い家庭で育った(彼自身モーツァルトがお気に入りであった)環境と、油絵具を水彩絵具のような軽やかなタッチでみずみずしくするため材料研究を重ねた彼の努力から生まれたものであろう。
 ところが、晩年近くに彼は、黒というもともと色彩のないものから光を生み出す試みを始めた。長年の研究で「青はその階調のいかんにかかわらず、それ独自の個性を保ち続けている唯一の色である」という結論に達していたデュフィが、彼の芸術の本質であった色彩を放棄したともとれるが、その答えは分からない。これは作品を見てわれわれが推測するしかない。
 この絵も、黒が大部分を支配している。だが、よく見ると、デュフィの黒は単純ではないことが徐々に分かってくる。黒の下地の一部には別の色彩を隠していたり、黒と他の色彩とを絶妙に混ぜるなどさまざまな工夫が廃らしてあるのだ。
 そして、黒はほかの色をひきたてる役目を果たしているだけでなく、黒自体がほかの色彩と等価に響いているように見えてくるから不思議である。 (田中善明 中日新聞 1999年4月8日掲載)


  
 黒という色は、文字どおりの意味では、確かに暗い。しかし比喩(ひゆ)的な意味で、たとえば感情として、暗いとはかぎらないはずだ。その見本がここにある。素早い筆致や、絵の具を削ったり下地を透かしたりといった絵肌の処理が、画面に軽快な風を吹きこんでいる。そしてこの軽快さは、単なる作家の感情や感覚だけに帰されるものではあるまい。黒によって光を表そうとしたのはマティスだが、デュフィのこの画面においても、ちょうどネガフイルムが反転した光をしめすように、目もくらまんばかりの光のひろがりが、逆説的に黒という形をとったのではないだろうか。そして、画面上のすべての色をふくむ右上の虹は、くすんでいることで逆に、光の遍在を物語っている。
(県立美術館学芸員・石崎勝基)中日新聞2006年3月26日掲載


  
 最近パリのフラマリオン社から出版された『デュフィ』という本は、この極めてフランス的な画家を実に魅力的に語っている。著者のドラ・プレ=ティビ女史は、従来、画家の油絵の副産物と見なされてきたテキスタイル・デザイン、舞台装飾や挿絵、陶芸、版画など多彩な創作活動をくまなく紹介することで、軽快な黒い線と鮮やかな色彩で人生の喜びを表現した画家デュフィの線描の成り立ちや、装飾的な色彩の秘密を明らかにしてみせた。
 プレ=ティビ女史によると、一九四六年から五三年にかけて制作された「黒い貨物船」シリーズは、いずれも画家の故郷ル・アーブルのサン=タドレス海岸に浮かぶ貨物船を描いたもので、その構図はすでに一九二五年の「海の貝殻のなかの浴女」と同じであるという。シリーズのなかには、黒い船が白く抜き取られているものや、緑の輪郭をもつものなどがあるが、いずれも黒い色の面のなかに船が表現され、それはあたかも天頂点にある太陽の眩暈(げんうん)によって生じたかのように、不気味でしかも絶対的な力をもっている。
 デュフィには、十五点ほど描いたこの「黒い貨物船」シリーズのほかにも、例えば音楽会や競馬場といったいくつかのシリーズがあるが、黒い貨物船は画家晩年の憂愁と自信とが混ざりあう不思議な魅力に満ちた作品である。(学芸員 荒屋舗透)サンケイ新聞1991年12月8日掲載

 

 

 

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