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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 「聖ヨハネ黙示録」(イントロダクション) 中谷伸生

「聖ヨハネ黙示録」

中谷伸生

ルドンの「聖ヨハネ黙示録」は、それまでの20年間にわたる「黒」の時代の終焉を告げる最後の石版画集として、画家59歳の1899年に刊行された。この作品は、何よりも、純然たる聖書の主題を絵画化しようとした点で、彼の他の作品、たとえば最初の石版画集「夢のなかで」(1879年)やアメリカの小説家で詩人のポーへの献辞ともいうべき「エドガー・ポーに」(1882年)、あるいは同時代の文豪フローベールのテキストによる「聖アントワヌの誘惑」第1集(1888年)、「ギュスターヴ・フローベールに」(1889年)などとは微妙に区別される特異な位置を占めている。この時期と相前後してルドンはパステルや油彩による豊麗で眩い色彩の世界に転身した。この連作石版画集が制作された数年後、評論雑誌『西洋(ロクシダン)』の創刊者アドリアン・ミトゥアールが、ルドンの作品中でも特にこの「聖ヨハネ黙示録」を絶讃したと伝えられている。彼はパリ市会の主導的人物であると共に、詩人かつ批評家で、しかも熱烈なカトリック信者であった。一般にルドンの作品は、たとえキリスト教的主題を扱っている場合でも、キリスト教信仰、つまりカトリック教とは明確に一線を画しており、その意味では基本的に宗教芸術というべきものではなく、ルドン独自の神秘的かつ幻想的な無意識下の深層世界とその根源的生命を視覚化した芸術であると理解されている。こうした主張を「聖ヨハネ黙示録」にあてはめて考えれば、ルドンはキリスト教に帰依する心情から作品制作を遂行したのではなく、外界の自然の視覚化を狙った当代の自然主義や印象主義の画家たらと真向から対決する独創的な内的ヴィジョンを形象化するために、聖書の記述中でも、とりわけ読み手の想像力をいやが上にも刺激する幻覚の書『聖ヨハネ黙示録』を主題に選んだということになろう。この観点からすれば、もしもミトゥアールが、これら12の諸場面に画家のカトリック教への忠誠心を読みとっていたとするなら、彼は幸福な誤謬に陥っていたと見倣されて然るべきであろう。しかし事実は複雑かつ微妙である。というのもこの作品がカトリック信仰と密接な内面的連関を示していると断言する根拠は何ひとつ残されていないにしても、息を潜めて凝視すると、これらの画面にある種の信仰告白めいた性格が僅かながら見てとれるようにも思えるからである。

この連作石版画は『黙示録』の物語の順に選びとられた主題を扱う12点の画像からなる作品集で、厚手の台紙(縦約56cmX横約42cm)に、薄手の中国紙(平均縦30cmX横23cm)を糊貼りし、その上に画像を刷り込んでいる。12点の作品は二つ折にした「コロンビエ紙」(縦90cmX横63cm)に、綴じられることなく挟み込まれ、その書物型のアルバム全体の寸法は縦63cmX横約44cm、厚さ約1・5cmである。それぞれの画像の下の台紙部分には、19世紀末に流布されていた仏語版聖書から抜粋された『黙示録』のテキストが活字印刷されている。部数は100部で、パリの画商ヴォラールによって出版された。ルドンの石版画の特徴は、転写紙を用いていることであるが、この技法は石の上に油性クレヨンで直接描く一般の石版技法と違って、まず石版画用の特殊な紙に描いた画像を石に移し換えるため、ほとんど通常の素描と同様の即興的で自由な表現効果を得ることができた。彼はこうした転写紙の技法を、30歳代の中頃パリのド・レイサック夫人のサロンで知り合った画家ファンタン=ラトゥールに教えられ、最初は外的な理由、つまり素描作品の数を増やすという単純な目的のために採用したという。しかしルドンの鋭敏な視覚能力は、たちまちその表現効果を咀嚼して、独自の表現法を確立するに至る。版画工房の刷師職人たちに対するルドンの注文は語り草となるほどに厳しく、彼はしばしば職人たらの仕事ぶりに不満を洩らしている。もっとも「聖ヨハネ黙示録」の刷りについては、「非常に熟練した腕をもってはいるが、かなり風変りな」人物であるとルドン自身が語っている刷師ブランシャールに仕事を任せることになった。

古代ローマ帝国によるキリスト教徒迫害の歴史的大事件を踏まえて、弾圧者ローマ人に対する風刺を含みつつ、ユダヤ的な終末観を展開している『黙示録』は、中世以来、厖大な数にのぼる造形作品にその主題を提供し続けてきた。この晦渋かつ寓意的内容を骨子とする『黙示録』が絵画や彫刻を媒介としてヨーロッパ諸国に伝播される発端となったのは、8世紀後半北スペインの修道士ペアトゥスが著した『聖ヨハネ黙示録註釈書』である。この書がピレネー山脈を越えてフランスに伝えられ、南フランスの山岳地帯にあるサン・スヴェール修道院の院長グレゴワールの注文によって、11世紀中葉に画師ステファヌス・ガルシアが、有名な「サン・スヴエールの黙示録本」を制作した。以後『黙示録』は危機の時代における警世の主題として、中世ロマネスク及びゴシック美術において、ヨーロッパ全土を覆う数多くの彫刻並びに絵画作品群を産み出すことになる。さらにルネサンス時代に入って、ドイツ・ルネサンスの巨匠アルプレヒト・デューラーの卓越した「聖ヨハネ黙示録」連作木版画(1498年)が制作されている。

アメリカの美術史家リチャード・ホップスの言によれば、ルドンの「聖ヨハネ黙示録」連作石版画は、彼が敬愛の念を抱いていたデューラーの「聖ヨハネ黙示録」に触発されて制作されたということである。この主張は基本的に妥当なものと考えられるが、これら12枚の画面には、デューラーの作品以外に、ルドン自身のものも含めて、先行するさまざまな造形作品の影響がはっきりと見てとれる。しかも当然のことながら、ルドンは聖書の記述にできる限り忠実に従って作品制作を遂行したようである。そこでわれわれもまたルドンが行ったのと同様に、デューラーの木版画と『黙示録』のテキストを道案内として、以下〈表紙絵〉と12の情景を仔細に検討してゆくことにしたい。

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