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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 1 頭像 柳原義達作品集

1 頭像

1946(昭和21)年、柳原は佐藤忠良とともに作品を預けていた家が火災にあって、それまでに制作した作品のほとんどすべてを失うこととなる。そのために、戦争前に制作された作品は美術学校後輩であった山本恪二(1915-2000)をモデルとした《山本恪二さんの首》(1940年)がほとんど唯一の現存作である。ここには青年の容貌が何ら演出や誇張が加えられることなく素直で的確な肉付けによって表現されている。

モデルとなった山本は柳原の初期の作品について、「氏の初期の作風は彼の友人達から"柳原のグロテスク"と呼ばれていた。・・・成程そういえば其の頃の氏の作品は、常識的な非礼を無視した異様さが感じられはするが、にも拘わらず其処から迫って来る重厚な彫刻的レアリティ(存在感)は否み得ないものだった。・・・もっとも私が彼の許に来る前には、既に此のグロテスクは殆ど影をひそめて新たにピカソの新古典主義を思わせる様式的実験が発表されていた」と回想している。この文によれば、1930年代後半から40年代にかけての柳原は、独自の表現を求めて模索を続けていたと思われる。

戦後制作された《高瀬さんの首》《アンヌ(杏奴)の首》などの頭像は、いずれも身近な人物をモデルとし、一作品に半年から一年近い期間をかけて制作された像で、作者によれば「戦後の虚脱時代の自分から立ち直ろうとする気分が確かにあった」時期の仕事であるという。

《高瀬さんの首》は、後年パリで高田博厚から批判されることになるが、柳原は残念と思いつつも量感豊かなフランスの彫刻と比較すれば、高田の指摘は当然だと思ったという逸話を書き記している。

いずれにしても、これらの作品はいずれも誇張のない端正な表現を示していて、戦後間もない時期におけるこの彫刻家の一つの時代の証言ともなっている。

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