あいさつ
ハンリィ・ヴァン・ド・ヴェルドは,その90年以上にわたる生涯を通じて,画家,工芸デザイナー,建築家,芸術思想家,教育者として,19世紀末から20世紀にかけてのヨーロッパに偉大な足跡を遺しました。本展は,その多方面にわたる活動の中から,特に工芸デザイナーとしてのヴァン・ド・ヴェルドに焦点をあて,家具,装身具,食器,装幀,染織,建築図面など,計約150点の作品を通じて,その活動を紹介する日本で初めての展覧会です。
1863年,ベルギーのアントワープに生まれたヴァン・ド・ヴェルドは,最初は画家を志し,ブリュッセルの前衛画家の拠点〈二十入会〉のメンバーとして,スーラやゴッホの影響下に絵画制作に励んでいましたが,やがて強い懐疑に陥り,当時イギリスで工芸運動を指導していたウィリアム・モリスの姿勢に触発され,芸術と社会との接点を求めて工芸の分野に転じることを決意します。そして,家具,インテリア,装身具,書物装飾などに,アール・ヌーヴォーを代表する,ダイナミックな曲線を駆使した優れたデザインを示しました。やがてドイツの展覧会に出品した作品が反響を呼び,1900年にはベルリン,1902年にはワイマールと活動の拠点を移します。ワイマールでは大公の芸術顧問,バウハウスの前身であるワイマール工芸学校の校長として社会的に重要な役割を果たすと同時に,建築家としても活動を開始し,彼の生涯の中でも最も豊かな成果を多方面に遺しました。その後が1914年にケルンで開かれたドイツ工作連盟の集会で,デザインの「規格化」を主張するヘルマン・ムテジウスらに対し,あくまで芸術家の個性を擁護したという事実は,近代デザイン史上の象徴的な事件です。その後,第一次世界大戦の困難な状況からスイスに逃れますが,そこでも,またクロラ=ミューラ一家に招かれたオランダ,四半世紀を経て帰国したベルギーでも,ヴァン・ド・ヴェルドは積極的に仕事を続けました。
今日,社会においてデザインが果たす役割はますます重要視され,デザインは生活の隅々にまで浸透しています。しかし,20世紀の建築・デザイン界における大きな潮流であった機能主義の優位に疑問が投げかけられるようになって以後,デザインの世界は混乱したまま,膨張を続けているような観さえあります。その中で,近代デザインが成立した過程そのものをもう一度検証する必要が生じてきています。この過程の様々な場面で,理論家として,デザイナーとして,極めて重要な役割を演じてきたヴァン・ド・ヴェルドの足跡を見つめ直すことは,大変重要な作業といえるでしょう。
本展開催にあたり,貴重な作品を快くご出品下さいました各美術館,所蔵家の方々をはじめ,本展実現のためにご協力を賜わりました関係各位に厚くお礼申し上げます。
1990年
主催者