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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1998 > 作品解説 佐藤美貴 曾我蕭白展図録

作品解説 佐藤美貴

14 雪山童子図
    明和元年(1764)頃
    署名:曾我飛鸞暉雄筆
    落款:「瀟白」(壺形描印)/花押/「蕭白」(朱文方印)/「曾我暉雄」(白文方印)
    紙本著色 一幅 169.8×124.8㎝
    文献:集英社全集四四/至文堂一/名宝五一/三重練馬七/異端小田急八/国華九五二
    三重県松阪市 継松寺

 雪山で修行中のバラモン(前世の釈迦)が、飢えた羅刹(バラモンを試すために姿をかえた帝釈天)に、偈を聞いたことの引き替えに自らの人肉を与えようとしている場面。

 バラモンが身にまとう衣や唇の深紅、そしてそれに相対するかのような羅刹の群青は毒々しく、墨と藍を基調とする穏やかな背景描写とは対照的である。画風、落款ともに「群仙図屏風」(第十二図)と類似することから明和元年(1764)頃の作と考えられる。


15 千方牛和尚図
    明和元年(1764)頃
    著名:蛇足軒蕭白居士画
    落款:「蕭白」(朱文方印)/ 「曾我暉雄」(白文方印)
    絹本著色 一幅 117.5×47.8㎝
    文献:三重練馬六/國華九五二/松阪市史
    三重県松阪市 菅相寺

 曲ろうに坐し、警策を手にする頂相(禅僧の肖像)の典型。徑山和尚による賛から、松阪の豪商藤田が、師千方牛和尚の像を蕭白に描かせたものであることがわかる。

 陰影が施された面貌表現、袈裟の黄色や曲ろうの赤といった原色をもちいた彩色は、黄檗画像と類似している。曲ろうには蕭白が好んで描いた、奇妙な顔の意匠がもちいられている。


16 松鷹図襖
    明和元年(1764)頃
    署名:曾我左近次郎暉雄筆
    印章‥「曾我暉雄」(白文方印)/「蕭白」(朱文方印)
    紙本墨画 襖五面 各171.5×86.0㎝
    文献:至文堂六五/水墨画の巨匠二二/三重練馬六三/その後五○/国華九五二
    三重県津市 三重県立美術館

 伊勢斎宮の旧家永島家に伝わった四四面の襖絵のうち五面。永島家に伝わった襖絵は、一カ所に残された蕭白作品としては最大規模で、「竹林七賢図」「波濤郡鶴図」「瀟湘八景図」「松鷹図」「牧牛図」「禽獣図」「波に水鳥図」「狼狢図」が描かれる。

 鷹は、蕭白が慕った曾我派のお家芸ともいえるモティーフ。本図では、硬質な筆致で緻密に描き込まれた鷹に対して、その鷹の止まる松が勢いよくダイナミックに描かれている。


27 関羽図
     明和4年(1767)頃
     署名:曾我左近次郎蕭白居士画
     印章:「虎道」(白文方印)/「蕭白」(朱文方印)/「曾我暉雄」(白文方印)
     紙本墨画 一幅 132.2×53.6㎝
     文献:名宝五九/その後九
     奈良県奈良市 奈良県立美術館

 関羽は、三国の蜀の武将。胸をはった関羽にはどっしりとした存在感がただよっている。墨で陰影を施した顔、風になびく髭や鋭い目、そして克明に描かれた衣紋線は、滲みを使った略筆の背景描写とは対照的である。髭とは反対の方向になびく布は画面の緊張感をより高めている。

 構図、人物の表現、人物と背景の関係などは、「伯顔図」(第二十八図)と類似している。


42 鳥獣人物図押絵貼屏風
     宝暦8、9年(1758~59)頃
     著名:曾我蕭白画/左近二郎暉雄画/曾我左近二郎暉雄画/蛇足軒蕭白面
     印章:「蕭白」(朱文万印)/「曾我暉雄」(白文方印)
     紙本墨画 六曲一双 各扇本紙 128.9×52.0㎝
     文献:三重練馬七九/三重県立美術館研究論集一/国華一一五一
     三重県上野市 西蓮寺

 鳥獣を描く隻は、向かって右から鶏・馬・落雁・馬・猿猴・雁が、人物を描く隻には、拾得・蘇東坡・黄山谷・布袋・蜆子和尚・寒山が貼られている。

 濃墨で勢いよく描かれた人物の衣や馬の胴部分の描線は、観る者に強いインパクトを与える。濃淡おりまぜた略筆で仕上げられ、酒脱味溢れる本図は、松阪市朝田寺所蔵の「蘆雁布袋図」「雄鶏図」との類似が指摘されており、第一回目の伊勢遊歴時の作品と考えられる。


50 青砥藤綱・韓信図屏風
     明和年間後半(1768~1771)頃
     署名:右隻に 曾我蕭白暉雄図
         左隻に 蛇足軒蕭白道者筆
     印章:「暉雄」(白文方印)/「如鬼」(朱文方形円郭印)(各隻とも)
     紙本墨画 六曲一双 各172.3×364.2㎝
     文献:その後一一

 川に落とした十文を、天下の財の喪失を惜しむ気持ちから五十文を費やして探させたという青砥藤綱のエピソードと、町で無頼者に股をくぐらされるという辱めをうけながらも我慢強く耐え、後に大をなしたという韓信のエピソードを描く。どちらも訓戒的な主題であるが、人物の表情には蕭白らしさを伺うことができる。

 濃墨を用いてしっかりとひかれた衣紋線やにじみをいかした木の表現など、墨を巧みに使い分けている。


55 曳船図
     明和4年(1767)頃
     印章:「蕭白」(朱文方印)/「曾我暉雄」(白文方印)
     紙本墨画 横額 23.8×136.0㎝
     文献:三重練馬一八/古美術三九
     兵庫県高砂市 真浄寺

 横長の画面をいかして、船と土坡そして船を曳く三人の人物と柳を配する。

 構図、筆致、人物の姿態、そして振り返る人物の表情などすべてが軽妙に仕上げられている。画面の右端に描かれるにじみを利用した柳は、俳画風に仕上げられた横長の画面が間延びするのを防いでいる。


57 恵比寿図
     宝暦年間末(1762・3)頃
     署名:曾我蕭白画
     印章:「曾我暉雄」(白文方印)/「蕭白」(朱文方印)
     紙本墨画淡彩 一幅 119.6×48.8㎝
     文献:その後七

 狩衣と烏帽子を身につけ、鯛と釣竿を手にする姿で描かれる人物は、七福神のひとり恵比寿。商売繁盛の福の神として広く信仰されており、吉祥画の好画題としてしばしば描かれた。

 蕭白の描くこの恵比寿は、日の出の扇を手にしており、より吉祥性が高められているが、その面貌表現はやはり蕭白独特のものであるといえよう。


58 布袋図
     宝暦9年(1759)頃
     署名:暉雄
     紙本墨画 一幅 33.7×50.9㎝
     文献:異端小田急一二/三重練馬八/松阪市史
     三重県松阪市 朝田寺

 日本では、七福神のひとりとして信仰されている布袋が、トレードマークの袋からすべり落ちた瞬間がとらえられている。略筆で、愛嬌のある表情に描かれた布袋は、滑稽味あふれる作品に仕上がっている。

 戯画的要素の強いこの図は、「袋よりすへるや琴のつまはつれ」の自賛を伴う。


65 獏図杉戸
     明和初年(1764~65)頃
     署名:弾正宗暉入道蛇足軒十世曾我暉雄図
     印章:「鬼神斎」(朱文瓢形印)/「暉雄」(朱文方印)/「蕭白」(朱文壺形印)(各印とも描印)
     板地著色 二面 各169.3×92.3㎝
     文献:集英社全集七三/至文堂七三/三重練馬四七/国華九五二/松阪市史
     三重県松阪市 朝田寺

 朝田寺本堂の書院にある杉戸絵は、表裏あわせて八面で、各二面ずつに「杉に旭図」「萩に兎図」「桐に鳳凰図」そしてこの「獏図」が描かれている。

 柳の間からのぞく満月を仰ぎみる獏の目は大きくみひらかれ、渦巻く体毛や、身体のまわりの火焔と相まって、悪夢を食べるという想像上の動物を奇妙な風貌に仕上げている。


67-1 松に孔雀図襖
     明和4年(1767)頃
     署名:平安独夷蛇足軒曾我左近次郎暉雄蕭白筆
     印章:「曾我暉雄」(白文方印)/「蕭白」(朱文方印)/「虎道」(白文方印)/「曾我」(朱文方印)/「如鬼」(朱文方形円郭印)
     紙本墨画 襖四面 各 171.5×86.0㎝
     文献:その後五四/兵庫県の歴史二六
     三重県津市 三重県立美術館

 老松と二羽の孔雀を描くこの襖は、もとは「許由巣父図」(図67-2)と表裏を成していた。第二回播州高砂滞在中に制作されたと考えられる作品である。

 勢いよく枝を伸ばす老松は濃墨で、ゆったりとした羽をもつ孔雀は淡い墨を基調として描かれている。墨の濃淡と筆致を使いわけることで、老松、孔雀各々の質感が巧みに表現されている。


67-2 許由巣父図襖
     明和4年(1767)頃
     著名:曾我蕭白筆
     印章:「虎道」(白文方印)/「鬼申」(朱文方印)/「如鬼」(朱文方形円郭印)/「鸞山」(白文方印)
     紙本墨画 襖四面 各 171.5×86.0㎝
     文献:その後五五/兵庫県の歴史二六
     三重県津市 三重県立美術館

 帝尭が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて、耳が汚れたと穎川で耳を洗う許由と、そんな汚れた耳を洗った川の水を自分の牛に飲ませることはできないといって牛を引いて帰ったという巣父は、理想の高士として好まれ、しばしば絵画化された。

 伝統的な画題の内容とは裏腹に、蕭白の描く牛の目はいたずらっぽく輝き、高士は卑俗に描かれている。


71 唐人観瀑図屏風
    宝暦9年(1759)頃
    署名:平安曾我蕭白暉雄画
    印章:「虎道」(白文方印)/「曾我氏」(朱文方印)/「如鬼」(朱文方形円郭印)
    紙本墨画 六曲一双 各 170.0×360.0㎝

 しばしば滝を観る姿で絵画化される唐の詩人李白は、一説には酒に酔い、水に映る月をつかまえようとして溺死したといわれている。とすると滝と月が描かれるこの作品に描かれる人物は泥酔した李白であろうか。

 流れ落ちる滝、水の流れにそって歩く童子と動きのある右隻に比べて、嵐の前の静けさなのか左隻ではただ月が寝ころんだ人物を照らしている。


75 奥田龍渓『存心』挿絵
     明和元年(1764)
     木版 一冊
     文献:その後五六/国華一一六一/三重県史談会会誌二-一一、三-一~三

 教訓歌に挿絵を添える形式の三卷本。蕭白は下巻に俳画風の挿絵を描いている。明和元年(1764)版と嘉永7年(1854)版があり、明和元年は蕭白の二度目の伊勢滞在時にあたる。

 著者の奥田龍渓は、松阪の南に位置する櫛田の生まれ。蕭白筆「関羽図」(三重県個人蔵)の賛中にもその名が記されており、蕭白の伊勢滞在中に交流のあった人物であることがわかる。


78 蕭月「人馬図」
     著名:蛇足軒曾我蕭月画
     印章:「尚義之印」朱文方印/「曾我」白文方印/「蕭月」朱文方印/「ロロ山人」の白文方印
     紙本墨画 一幅 125.0×45.6㎝
     文献:その後五九/古美術40
     兵庫県高砂市 荒井神社

 蕭月は蕭白の弟子と考えられる高砂の絵師。おどけた馬の表情や人物の面貌表現に蕭白に倣ったあとが認められる。

 「蕭」あるいは「白」の一字を画名にもち、なおかつ画風に蕭白に学んだ跡がうかがえる絵師は、蕭月以外に蕭亭・蕭湖・白如などをあげることができる。


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