永島家襖絵について
毛利伊知郎
三重県多気郡明和町斎宮(さいくう)の旧家永島家に伝えられた襖絵44面は,1か所に遺された蕭白画としては最も大規模であり,かつその出来栄えも数多い蕭白作品中,極めて高いレベルを示している。この襖絵については,既に辻惟雄氏によって詳しく紹介されているが(1),44面すべてが公開されるのは,今回の展観が初めてのことであり,またこの作品は,蕭白画の特質や技法などを考える上でも重要であると思われるので,現状紹介を兼ねて,その特質について検討を試みることとしたい。 この襖絵は,現在永島家に計29面が保管され,また戦前に,斎宮を離れて,掛幅に改装された15面分が,永島家の親戚に別途保管されている。それらの内訳を示すと,次の通りである。 |
(1)辻惟雄「伊勢の蕭白画」『国華』952号(特輯・伊勢に残る曾我蕭白の作品)昭和47年。 なお,この襖絵の制作年代は,辻氏による紹介が行われて以来,蕭白が2回目の伊勢旅行を行った明和元年(1764)頃とされてきた。本稿では制作年代について特に触れなかったが,現在のところ筆者もこの従来の説に従っておきたい。 |
永島家のある明和町斎宮は,松阪市と伊勢市の中間に位置する集落で,伊勢参宮街道沿いにあって,江戸時代には,参宮客相手の土産物店や旅籠などが立ち並んで賑わったという。永島家は,当地の大庄屋で,これらの襖がはめ込まれていた現在の同家の建物も,各所に改変は加えられているが,建てられたのは,江戸中期にさかのぼるという。 これらの襖絵の由来については,同家に簡単な口伝が遺されているが(2),残念なことに,現存する襖44面の当初の配置は,一部を除いて明らかでない。 (A)「竹林七賢図」8面は,同家北西の八畳間に描かれていたとされ・驍烽フである。襖8面を連続した画面とした大画面作品で,雪中の竹林七賢を水墨のみによって描いている。向かって右手3面には,茅屋内で酒を飲みつつ談笑に興じる5人の高士を生彩ある表情に表し,軒下には,笠を被った高士を一人後ろ向きに配している。 中央の襖3面には,雪の降り積もった庭の様子が描かれるが,薄墨の外隈を多用した柔らかな描法になる雪景や右方の茅屋軒下から伸びる雪のために大きくたわんだ竹の表現は,本図の画面構成に大きな役割を果たしている。 たわんだ竹の先には,竹の曲線に応じるかのように,ほうきで雪を払う童子を配し,左端には,笠を被り両手を口に当てた高士と琴を携えた侍従の童子一人を描いて,この長大な画面を終わっている。 この8面は,当初,4面ずつが直交して室内を荘厳していたと考えられるが,相対する両端に主要なモチーフを配し,その間に広い空間(本図にあっては,雪中の庭とたわんだ竹)を置くという,桃山期以来の伝統的な襖絵による室内荘厳の方式を用いている点,蕭白の襖絵制作の一つの在り方を考える上で興味深い。 |
2. 注1の辻氏論文にも引用されているが,永島家には次のような先々代からの口伝が保管されている。 (そ)先ヨリ口傳 また,蕭白の伊勢旅行に関する重要な文献とされる桃沢如水の「曾我蕭白」(別頁に掲載)には,「多芸郡斎宮に長嶋雪江といふ人がある此家の襖の両面には,梅の絵がある」と簡略に記されるのみである。 |
(B)「波濤群鶴図」8面は,同家南西の8畳間に描かれていたと伝えられるもの(3)。本図では,向かって右方4面に主要なモチーフが描かれる。左端の1面には,両足を揃えて左向きに立つ丹頂鶴が1羽が配され,波濤の描かれた1面を挟んで,この鶴と相対するように,親子とも思われる2羽の鶴が描かれる。その左隣の面には,反対方向に顔を向けた3羽の鶴が描かれて,左方にのびる波濤へと観る者の眼を導く。右側4面とは対照的に向かって左の4面は,画面下方に波の砕ける水面とその上を飛ぷ数羽の千鳥が淡墨で描かれるのみで,余白の多い空間を作っている。 鶴と波濤は,いずれも桃山期以来好んで描かれた主題である。波濤の表現には,水面に立っては砕ける波という捉らえどころのない自然現象に対する画家の個性的な視覚が最も敏感に現れることは,長谷川等伯,尾形光琳,長沢蘆雪,円山応挙らが遺した波濤図を見れば明らかで,本図に見られる先端が巻き込んだ独特の波の形態も,蕭白固有の表現である(4)。 また,本国に描かれた蕭白の鶴は,その姿,ポーズは,中世障屏画以来の伝統を踏襲していると思われるが(5),鶴の大きく開かれた眼の表現には,蕭白の描く人物の表情にも共通する,人を食ったようなユーモア漂う独特の表情を見ることができる。 |
3. 注1記載の『国華』952号には,6面のみの図版が掲載されている。 4.辻氏の指摘にもあるように,同様の波濤表現は,松阪市・朝田寺の「虐獅子図(吽形)」・「獏図杉戸絵」に見られる他,『国華』1064号所載の「波濤群鶴図屏風」,本展出品の「鶴図屏風」(No.41)など幾つかの作品に見ることができる。 5. 蕭白の鶴は,表情に独特のものがあるけれども,本図右端に立つ鶴は.伝雪舟筆の「花鳥図屏風」中に見られる鶴と,それに続く狩野沢の鶴の表現につながるものと思われる。しかし,他の作品(たとえば上記,『国華』1064号所載の「波濤群鶴図屏風」)では,宗達風の鶴の表現が行われていることが指摘されている(同誌掲載の辻惟雄氏解説)。 |
襖8面からなる大画面作品には,この他に(C)の「瀟湘八景図」がある。当初描かれていた間も不明で,損傷が著しいために,全図の鑑賞や八景の比定に困難を伴う部分もあるが,湖辺の情景や山岳を配した面を左右両端と中央に置き,その間には湖水を大きく描いた余白の多い面を挟んで,広がりのあるパノラマ風の画面構成を形成している。 本図の画面構成には,取り立てて新機軸は見いだせず,構図法自体は,狩野派の障屏画などに見られるものと大きな差は無い。また描法は,濃墨と淡墨とを巧みに使い分けて,また山岳部分の描写には,(はつ)墨風の表現も交えながら,行体風の画体に仕上げているが,こうした画面構成や描法などから見て,本図は蕭白画としては,むしろ控え目で穏やかな作品ということができよう。 上記の3図は,永島家襖絵の中でも,最も大画面の作品であるが,これ以外で注目される図として,まずDの「松鷹図」5面について触れておこう。「松鷹図」は,前記の「竹林七賢図」と「波濤群鶴図」が描かれていた2つの八畳間の間の部屋に描かれていたとも伝えられるが,確証はない。本図は,向かって左に松の巨木が配され,この老松から右に伸びる太い枝の先には,眼光鋭い勇猛な鷹が止まっている。この鷹の視線は,画面右下の岩陰に描かれた2羽の白兎へと注がれるが,他方,画面左端の松樹の上では,1匹の猿が身をひそめるようにして鷹の様子を窺っている。 本図も,他の襖絵同様水墨を主体としながらも,松の葉や岩に絡まる蔦には彩色が施されている。また,松樹や岩皴には,各所にたらし込みの技法が見られる。本図は,あるいは制作当初は,彩色やたらし込み等の使用によって,他の図とはやや趣を異にしていたものと思われる。 この「松鷹図」で最も注目されるのは,やはり大きく曲線を描いて伸び立つ巨大な老松と,周囲を圧して立つ鷹の表現であろう。 |
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襖の上縁から更に上方へと伸びる松の巨木は,大きく反転する太い幹が速い筆致で描かれるが,それはあたかも狩野永徳による巨木表現の再現であるかのような印象を与える。蕭白の花鳥画には,しばしばこのような巨木表現を見ることができる。その源泉が既に指摘されているような彭城宮川の作品からの影響であるのか(6),あるいは粛白自身の発意なのか,桃山障壁画の世界が彼にとって親しい存在であったのか速断はしかねるが,いずれにしても蕭白の大画面作品を見る場合興味深い問題である。 一方,本図中央に立つ鷹は,松樹とはやや描法を異にしており,非常に硬質の描線によって細密に表される。鷹は,蕭白が追慕した曾我派お得意のモチーフであり,蕭白筆とされる鷹を描いた作品も数多いが(7),本図はそれらの中でも最も完成度の高い作といえよう。 本図も,上述の「竹林七賢図」・「瀟湘八景図」と同様,松に鷹という伝統的な主題の作品である。松鷹図という主題は,特に障壁画にあっては,室内に立ち入る者を圧倒する威圧的な側面と屋内笹厳に当たっての装飾的な性格とをあわせ持つが,本図では蕭白の堅牢な筆力が,画中に織り込まれた一種の物語性と相まって,観るものに力強い印象を与えることに成功している。 蕭白には,酒を飲み酔いながら描いた作品が幾つか見いだせる(8)。この永島家の襖絵にも,酔中に描いたとされる図が見られる。(E)の「牧牛図」がそれで,本図には向かって右端の画面上部に「蛇足軒蕭白酔指画」という落款があって,これによれば蕭白が酔いながら描いた指頭画ということになる(9)。 この図は4面からなり,右端には木の上に登って左下の牛の方に右腕を伸ばした牧童を,その左隣の面には,後ろ向きにうずくまった牛の姿を描く。また余白の多い1面を挟んだ左端には,牧童の方に顔を向けた1匹のつながれた犬を配している。 先の「竹林七賢図」にも後ろ姿の人物が登場したが,本図にも背中をこちらに向けた牛の姿が見られる。こうした表現を見ていると,蕭白は,画中の主要モチーフを敢えて後方から描くことが,正面や斜め側面から常套的に表すよりも,より強い印象を観る者に与え得るという,ある面では非常に醒めた機知を身に着けていたように思われる。 本図は,画面構成の点では散漫なところがあり,指頭画の技法も必ずしも成功しているようには思われない。一部には筆を用いたような痕跡があるけれども,蕭白の指頭画の大作としてこの作品は重要である。指頭画といえば,私達はすぐに池大雅のそれを思い浮かべるが,大雅と親交があったとも伝えられる蕭白に本図のような作品が見られることは,当時の京都を中心とした画家たちの絵画技法に対する,流派を越えて共通する造形思考の一端が窺えて興味深い(10)。 (F)の「禽獣図」4面と(G)の「波に水鳥図」4面,(H)の「狼洛図」3面は,やはり当初描かれていた部屋は明らかでないが,その作風はいずれも比較的似通った特徴を示している。 まず「禽獣囲」は,ふくろうが止まった枯木を画面中央に置き,向かって右には背中を見せた鹿の後ろ姿を描く。また,左の空にはこうもりが2羽飛び交い,ふくろうやこうもりと相対するかのように,口を大きくあけた鼓腹の狸が1匹下方に描かれている。 画中の鹿やこうもり,ふくろうは,いずれも没骨描法によって表され,特に後ろ姿の鹿の描写には,柔らかな鹿の体に対する蕭白の織細な感覚を見ることができる。 本国も,先の「松鷹図」同様,単なるモチーフが無機的に羅列されているのではなく,各モチーフが有機的な関係を保って画面に布置されていて,それによって観る者により深い観察を促すという効果が狙われているようである。 「波に水鳥図」も,多く余白を取った画面の向かって右端には,2羽の白い水鳥の円やかな姿が,外隈によって美しく表され,緩やかな水の流れを挟んだ左手の岩上にも1羽の鳥が配される。 最後の「狼洛図」も,余白の多い画面構成を示すが,そこには奇妙なモチーフが幾つか見られる。すなわち,右端には円い眼を大きく開いた狼の姿が大きく表され(11),その左手の画面中央にはかたつむりや蜘蛛のいる笹が下の方に小さく描かれる。また左端には,蟹と戯れる痩せた犬のような獣が描かれているが,何か寓意が込められていたのではないかとの詮索を誘うような不思議な雰囲気の作品である。 |
6. 注1の辻氏論文,及び佐藤康宏氏「松鷹図」「波濤群鶴図屏風」解説(『花鳥画の世界 第7巻 文雅の花・綺想の鳥』《昭和58年 学習研究社≫所収。 7. ポストン美術館所蔵および香雪美術館旧蔵の彩色のある鷹図が有名であるが,今回初公開の「鷹図押絵貼屏風」(No.39)も,水墨による鷹図の代表作。蛇足ながら,この「鷹図押絵貼屏風」には,ほとんど同図柄の贋作が他に4点ほど残っており,蕭白画の贋作制作の一端を私達に教えてくれる。 8. 本展出品作では,個人蔵の「達磨図」(No.19)に「曾我蕭白鎮酔画」の款記がある。また,朝田寺の「唐獅子図」も酔いながらの作とする意見がある。 9. 現在知られている蕭白の指頭画は多くないが,個人蔵「百合図」(No.54)は,小品ながら,可憐な百合の姿を指頭画で潤い豊かに描くことに成功した佳品。 10. 指頭画は,長沢蘆雪にも見られる。たとえば,蘆雪筆「酔汝陽図」(『特別展覧会 近世日本の絵画 京都画派の活躍』(京都国立博物館 昭和59年所収 目録No.34)。また,「松鷹図」に見られる,たらし込みの技法も,他流流の絵画技法摂取に対する蕭白の積極的な姿勢を窺わせるものであろう。 11. この狼の部分は,残念なことに,後脚と腰のあたりが,後補となっている。 |
この3図に共通する大きな特徴の一つは,没骨描法による写実的な鳥獣類の表現である。たとえば「禽獣図」の右端に表された後ろ姿の鹿を見ると,柔らかな毛に覆われた鹿の体の質感が巧みに描写され,「波に水鳥図」では,外隈を用いて白い水鳥の姿を情感豊かに浮き出させることに成功している。また「禽獣図」左端の狸や,「狼洛図」中の狼では,細かな線の多用によって硬い体毛をもつ獣の体をリアルに表現している。 以上が永島家に伝来した襖絵の現状である。現在では,これらの襖絵が果たしていた室内荘厳の様子を知ることができないのは残念であるが,各図それぞれが多彩な趣向と表現とを示し,全体としても変化に富んだ襖絵構成を見ることができる。 上述してきたように,この襖絵制作において蕭白は,伝統的な主題や画面構成,技法を彼流に解釈・活用し,また指頭画やたらし込みなど,他の流派のお家芸とも思われる手法も屈託なく用いつつ,蕭白独自の絵画を各所に織り込んで,全体として個性溢れる絵画世界を作り上げることに成功している。こうした点で,この永島家襖絵は,伊勢地方に残る蕭白画の中だけでなく,蕭白の大画面作品中でも重要な意義を持っていると考えられるのである。 (もうり・いちろう 三重県立美術館学芸員) |