伊東深水・略年譜
1898(明治31)年 2月4日、東京市深川区(現江東区森下一丁目)に生まれる(実際は明治29年2月の生まれという)。本名は一(はじめ)。
1908(明治41)年 東京印刷株式会社分工場で活字工として働く。この頃から水彩画を始め、後に日本画も始める。
1911(明治44)年 鏑木清方に入門。関根正二と知り合う。
1912(明治45)年 第12回巽画会に《のどか》が初入選。
1914(大正3)年 再興第1回院展に《桟敷の女》が入選。本所区林町に転居、挿絵制作を始め、東京印刷を退社。
1915(大正4)年 第9回文展に《十六の女》が入選。
1916(大正5)年 新版画運動に参加。また、婦人雑誌、新聞小説の挿絵や口絵を描く。
1918(大正7)年 この頃、池大雅に心酔する。
1919(大正8)年 2月、結婚し、小石川区雑司ケ谷町(現文京区目白台)に転居。後に東京府下大井町(現品川区南大井)に転居。
1920(大正9)年 2月、長男・正一誕生。10月、上野松坂屋呉服店で個展開催。
1921(大正10)年 次男・満(万耀)誕生。
1922(大正11)年 3月、東京府主催平和記念東京博覧会美術展に妻好子をモデルにした《指》を出品、好評を博す。8月、大井町南浜川に転居。10月、中国を旅行。
1924(大正13)年 3月、第9回郷土会展に妻・好子をモデルにした《湯気》を出品。
1927(昭和2)年 深水画塾設立。
1928(昭和3)年 大森区池上に画室を設ける。
1930(昭和5)年 大森区池上本町に画室新築、画塾を朗峯画塾と改名。
1932(昭和7)年 6月、広島晃甫、山口蓬春らと青々会結成。
1935(昭和10)年 日本橋高島屋で個展開催。
1939(昭和14)年 10月から11月にかけて中国を旅行。
1943(昭和18)年 4月から4ヶ月ほど海軍報道班員として東南アジアに派遣され、多くのスケッチを描く。
1945(昭和20)年 3月、長野県小諸に疎開。
1948(昭和23)年 日本芸術院賞を受賞。
1949(昭和24)年 鎌倉市に画室新築。
1957(昭和32)年 銀座松屋で伊東深水現代女性スケッチ展開催。
1958(昭和33)年 1月、神奈川県立近代美術館で伊東深水・中村琢二展開催。5月、日本芸術院会員となる。9月、次男の満(伊東万耀)とヨーロッパを旅行。
1962(昭和37)年 4月、日本橋三越で画道50年記念伊東深水展開催。8月、妻・好子死去。
1963(昭和38)年 次男の満(伊東万耀)と南米を旅行。
1964(昭和39)年 スカルノ大統領の招きでインドネシアを訪問。
1967(昭和42)年 東京上大崎の伊東家菩提寺隆崇院本堂天井画を制作。
1969(昭和44)年 神奈川県葉山町に別邸を新築。
1971(昭和46)年 11月、慶應義塾大学病院に入院。
1972(昭和47)年 師の鏑木清方が死去した2ヶ月後の5月8日、死去。