Ⅱ.自然への眼差し
伊東深水の写生対象は人物だけではありませんでした。自宅庭に植えられた植物、近くの公園や旅先で目にした樹木、病気見舞いに贈られた花々なども深水は数多く描いています。
これら草花や樹木が深水画の主人公になることは、一部の例外を除くとほとんどありませんでした。しかし、こうした植物は、深水画の中で欠くべからざる重要な役割を果たしていました。
例えば、初期の代表作《指》(1922年・大正11)で主人公の背後に咲く夕顔、《春宵》(1931年・昭和6)の女性が眺める夜桜、《露》(1931年・昭和6)の画中に咲き誇る秋の花々、大作《麗日》(1934年・昭和9)の画面一杯に広がる白梅の大樹、戦後の大作《桜(春酣)》(1946年・昭和21)の華麗な枝垂れ桜等々、花や樹木が登場人物と同等に大きな存在感を示している作品、あるいは作品の舞台を美しく演出している作品は枚挙にいとまありません。また、深水の女性たちが身にまとう和服を飾る花々も、深水美人画に大きな役割を果たしています。
1966年(昭和41)11月、深水は病に倒れて慶應病院に入院します。この病床でも、深水は病気見舞いに贈られた花々の写生を続けました。これら蘭や菊などの写生は、清潔な感覚が漂う美しい色彩とフォルムとを示していますが、これを深水最晩年の素顔と見れば、私たちの深水に対する見方も大きく変わるのではないでしょうか。
また、本展には出品されていませんが、花や樹木だけではなく昆虫や動物、魚なども深水は写生しています。深水にとっては目にするもの全てが写生の対象でした。