アンフォルメル (Informel)
1950年代初頭にパリで起こった前衛的非具象絵画運動で,ほぼ同時期にアメリカで展開されたアクション・ペインティングと軌を一にしている。「アンフォルメル(非形式)」という名称は,批評家ミシェル・タピエの命名による。それは絵画から形式(フォルム)を排斥し,描く身振りと素材のマチエールを強調することにより,あらゆる絵画的伝統を否定し,描くという行為を根本から問い直そうとした試みで,そこには戦後の危機意識が反映されている。戦後間もなくパリで開かれたフォートリエ,デュビュッフェ,ヴォルスの個展が先駆けとなり,タピエが企画した「激情の対決」展(1951年)「アンフォルメルの意味するもの」展(1952年)で明確な形をとって現われた。
ミニ用語解説:アンフォルメル
「アンフォルメル」とは、フランス語で「非定形」を意味している。もともと非定形である生命感の緊張といったものを、目で見ただけでも分かるような画肌の感触(マティエール)や、現実には存在しないような形体によってつくられる空間構成によって表出しようと試みる芸術が「アンフォルメル芸術」と呼ばれる。
20世紀初頭に、ピカソやブラックらによって創始された立体派は、生命感の躍動を、抽象的な形に分解して画面に定着させたため、実際に描かれた作品は、冷たい感じを免れなかった。また立体派の芸術は、第二次大戦後に芸術様式として広く普及したため、場合によってはマンネリ化し「悪しき公式芸術」に陥いる危険すらあった。
そこで、フランスのシェルレアリスト画家で批評家でもあったミシェル・タピエ(1909-)は1951年に「激情の対決展」を組織し、アンフォルメルの名のもとに、冷たい「幾何学的抽象」に対抗して、「熱い抽象」のマニフェスト(宣言文)を発表した。
タピエは1957年に来日し、当時パリに滞在していた今井俊満(いまい・としみつ)や堂本尚郎(どうもと・ひさお)とともに、「具体」のグループを海外に紹介した。戦後の前衛芸術、とりわけ抽象表現主義を試みた画家は、1960年代に入り、なんらかの形で「アンフォルメル」を乗り越えてゆく試練に迫られたといえよう。
(荒屋鋪 透・学芸員)
友の会だよりno.12(1986.7.10)
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