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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1997 > ごあいさつ 柳宗悦展図録

ごあいさつ

1982年に開館いたしました三重県立美術館は、今秋開館15周年を迎えますが、これを記念して【「平常」の美・「日常」の神秘 柳宗悦展】を開催いたします。

柳宗悦(やなぎ・むねよし)は「民藝運動」の創始者、推進者としてつとに知られています。また民藝思想に限らず、藝術、宗教、社会等に関してきわめて独自の思想を展開した、日本近代を代表する思想家の一人としても高く評価されています。

津藩士であった柳楢悦を父として、1889(明治22)年に東京に生まれた柳宗悦は、若い頃から多彩な分野に関心を広げていました。学習院高等科在学中に、『白樺』の創刊に同人として加わると、専門の心理学の論文を発表すると同時にビアズリー、フォーゲラー、ロダンなど、西洋美術を紹介、1914(大正3)年にはわずか25歳で大著『ヰリアム・ブレーク』を著しています。同時にこの頃から柳の関心は西洋美術から泉洋美術へ、心理学から宗教哲学へ移っていきます。

なかでも浅川伯教、巧兄弟を通じての朝鮮の陶磁器との出会いは、その後の柳の活動を大きく方向付けることになり、東洋美術への関心を深めるとともに、当時の朝鮮に対する日本の政策、態度を批判し、やがて京城(現在のソウル)に朝鮮民族美術館を設立します。さらには、木喰仏や日常的な工藝品など、これまで顧みられることのなかった日本の造形にも次第に惹かれ、その後、民藝運動の実践として広く展開されました。そして戦後は、民藝と柳の宗教思想、すなわち「信と美」が浄土教研究を通してより深く結びついていきました。

本展には、韓国国立中央博物館所蔵の旧朝鮮民族美術館コレクション10点をはじめ、柳宗悦の蒐集品、著書、書簡、関連資料など、約500点が展示されます。明治末から昭和の初めにかけて、日本全体が大きな転換期を迎えるなかで、『白樺』から「民藝」へ、また神秘思想から浄土教へと大きな弧を描いて展開していった柳宗悦の目と思想は、美術の分野にかぎらず、日本の近代を考える上で非常に重要な意味を持っていると思われます。本展では、柳宗悦の目と思想の展開を、晩年に至るまで、年代を追ってできるかぎり忠実に辿り、その全体像を通して、「民藝」の意味、また柳における美と宗教のあり方を検証すると同時に、柳宗悦という傑出した存在を通して、日本の近代について再考することができればと考えています。

最後に、展覧会開催にあたり、貴重なご所蔵品をご出品いただきました各機関、所蔵家の皆様をはじめ、ご協力いただきました関係各位に厚くお礼申し上げます。

1997年9月館

三重県立美術館
中日新聞社

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