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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1998 > 4 さまざまな「写す」-写生と写実 土田真紀 コレクション万華鏡展図録

4 さまざまな「写す」-写生と写実

「リアル」に描かれた絵画は、常にその「本物そっくりであること」において人々の関心を引くが、岩崎教章の《鴨の静物》(cat.no.4-1)もそうした絵画のひとつとして、とりわけこれが描かれた明治初めの日本人にとっては大変な驚きであったと想像される。確かに日本や東洋でも対象を「写す」ということは広く行われており、ありのままの姿を描くことや、対象を眼前にして描くことは「写生」と呼ばれ、ときには重視されたが、しばしば指摘されるように、それは西洋絵画の「写実」とは別であった。したがって、リアルに事物を表現する能力の点で、西洋の絵画技法は既知の技法をはるかに凌ぐと感じられたはずである。

リアルな表現は、それが技術とみなされるかぎりにおてそれ自体価値をもつ。水彩や油絵の技法も、当初はむしろ実用的な技術として珍重された。しかし写真の登場と相まって、リアルさそのものが価値をもつ時代はすぐに過ぎ去り、「写実」は実用的技術から芸術の問題へと移行することになる。鹿子木孟郎、岡田三郎助らはいずれも明治半ばにヨーロッパに留学し、芸術の表現手段としての油彩技法による「写実」を学んだ画家であった。

技術としての「写実」の獲得という段階を経た後に問われるのは「写す」ことよりも写される「実」の方であろう。「写実」によって何を表現巣rか、つまり「写す」ことの先にあるものは何かということである。岸田劉生、坂本繁二郎、森芳雄らの作品はいずれも静物画である。モティーフがありふれたもので、また寡黙であればあるほど、際だたされるのは「写す」ことの意味である。彼らの絵画は、明らかに対象を「写す」ことに専念しつつ、しかし「リアル」」に見えること自体を目指してはいない。では何を彼らは写しているのか。三者三様であるにせよ、表面的な現実の奥に潜む何ものかであることはまちがいない。

「写実」は前田寛治にとっても重要な課題であった。彼は「写実」の要件を、説明的な要素をすべて取り除いたときに、対象が示す物としての実在感を得ることとしている。前田は裸婦をモティーフに自らの「写実」を実践した。中村不折らの西洋の「写実」の伝統に基づく裸婦を経て、安井曾太郎や小出楢重の日本的な裸婦、里美勝蔵のフォーヴィスムの裸婦が登場してくるなかで、前田寛治の裸婦は、最後まで西洋絵画の「写実」と対決し続けた点で特別な位置を占めている。

この前田と岸田劉生の方向は一見全く異なるが、絵画は単に表面的な現実を写すものではないと考え、眼に見える世界から何か本質的なものをつかみだそうとしている点で実は共通している。それが物質的な実在感であるにせよ、存在の不可思議な気配であるにせよ、彼らはともにそれによって、この世界の単なる「写し」以上の意味を絵画に見出そうとしたのである。このことは彫刻においても同様であった。橋本平八は、ある石に触発され、その石をそっくり木彫で再現した《石に就いて》(cat.no.4-27)に触れて、「仙を表現するもの」と自らが語ったが、彼のいう「仙」も恐らく存在の神秘に触れる言葉であろう。

さて、「リアル」とはほど遠い地点で、麻生三郎やジャコメッティはやはり「写す」ことを続けている。彼らにとっては、現実も写すことももはや自明ではない。現実とは何か、それを写すとはどういうことかを問いながら、彼らはなお現実と向き合って描き続けるのである。

(土田 真紀)

cat.no.4-1 岩崎教章の《鴨の静物》 cat.no.4-27 橋本平八《石に就いて》
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