生誕130年記念 菊池契月展 特集展示 宇田荻邨
2009年9月5日[土]-10月12日[月・祝]
企画展示室第4室
作家として制作に打ち込む一方で、菊池契月は、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で後進を指導、菊池塾においても多くの画家を育てました。その指導は、厳しいながらも個々人の個性や特色を理解し、特性を発揮させるものであったといわれています。
三重県松阪市出身の宇田荻邨(1896-1980)も、契月のもとで独自の画風を獲得し、京都画壇に確固たる地位を築いた日本画家です。大正期には退廃的な作品を多く描いていた荻邨ですが、1924(大正13)年、第5回帝展出品作の《巨椋の池》のころから、次第に日本、東洋の古い絵画の研究成果に基づく作品を描くようになっていきます。《巨椋の池》以降、第7回帝展で特選を得た《淀の水車》(大倉集古館所蔵)を経て、《■(えり:魚へんに入》(松阪市立第一小学校所蔵)、《簗》(松阪市立第一小学校所蔵)、《竹生島》など、大和絵研究の成果に基づいた作品を発表していきますが、この時期は、まさに、師・契月が、欧州視察を経て、日本の古典絵画研究を推し進め、《立女》《赤童子》《経政》《南波照間》《朱唇》《少女》など、のちに契月の代表作として位置づけられる清澄典雅な作品に取り組んでいた時期にあたります。以降、荻邨は、精進を重ね、琳派や土田麦僊(1887-1936)などの影響を受けつつ独自の平明で清澄な大和絵的世界を築いていきます。一方で、契月のもとで培った深い研究心、芸術に対する厳しい姿勢は、生涯変わることがありませんでした。
ここでは、《木陰》にはじまり、契月の影響を受けながら新たな画風を目指した《巨椋の池》から《簗》、《竹生島》までの画風確立期ともいえる時期の作品、そして戦後の代表作《祇園の雨》や《雪の嵐山》などを展観し、宇田荻邨の画業をご紹介します。
ともに地方に生まれ育ちながら、京都を舞台に活躍を繰り広げた師弟の共演をお楽しみください。
宇田荻邨略歴
1896年 | 松阪市魚町に生まれる。 | |
1913年 | 京都に行き、菊池芳文に師事。荻村(後に荻邨)と号する。 | |
1914年 | 京都市立絵画専門学校別科に入学。 | |
1918年 | 師芳文が歿し、菊池契月に師事。 | |
1919年 | 第1回帝展に《夜の一力》が入選。 | |
1926年 | 第7回帝展に《淀の水車》を出品、特選。 帝国美術院賞受賞。 |
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1928年 | 第9回帝展審査員をつとめる。 | |
1929年 | 京都市立絵画専門学校助教授となる(1936年から教授)。 | |
1935年 | 京都市展の委員、審査員となる。 | |
1946年 | 第2回日展審査員をつとめる。 | |
1954年 | 京都市立美術大学教授を退官。 | |
1956年 | 画塾白申社を創立。 | |
1967年 | 『宇田荻邨画集』刊行。 | |
1976年 | 京都市美術館で 「宇田荻邨回顧展」 開催。 | |
1977年 | 東京、大阪三越で「画業60年記念 宇田荻邨展」開催。 | |
1980年 | 1月28日、死去 |
出品作品リスト
作品名 | 制作年 | 技法・材質 | 所蔵 | 初出展覧会 | |
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1 | 木陰 | 1922(大正11)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第4回帝展 |
2 | 巨椋の池(おぐらのいけ) | 1924(大正13)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第5回帝展 |
3 | 山村 | 1925(昭和14)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第6回帝展 |
4 | 淀の水車 | 1926(昭和元)年 | 紙本彩色 | 三重県立美術館 | |
5 | 春の池 | 1931(昭和6)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第7回菊池塾展 |
6 | 竹生島(ちくぶしま) | 1932(昭和7)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第13回帝展 |
7 | 簗(やな) | 1933(昭和8)年 | 絹本彩色 | 松阪市立第一小学校 | 第14回帝展 |
8 | 林泉 | 1935(昭和10)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | |
9 | 寒汀宿雁(かんていしゅくがん) | 1939(昭和14)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第3回新文展 |
10 | 祇園の雨 | 1953(昭和28)年 | 絹本彩色 | 三重県立美術館 | 第9回日展 |
11 | 雪の嵐山 | 1961(昭和36)年 | 紙本彩色 | 三重県立美術館 | 第4回新日展 |
※都合により、展示作品が変更される場合があります。
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