模写・写生帖から
本展では、洋行中の模写十五点と、洋行中に描いたと思われるスケッチ数頁含む写生帖一冊が出品されている。欧州視察の成果が、十五点の模写と数ページの写生であるとは考、えられず、実際ははるかに多くの模写や写生が行われたであろうことは想像に難くない
(註15)。しかし、遺された模写がすべてではないにせよ、契月が目にし、関心をもった作品を写したものであることもまた事実であろう。以下では、滞欧期の模写から、契月の関心の在処を探りたい
(註16)。
まずはじめに、ウフィツィ美術館が所蔵しているジョット・ディ・ボンドーネ《栄光の聖母》とパドヴァにあるアレーナ礼拝堂の壁画《我に触れるな》(No.83/No.84,
85)の模写をみていきたい。いずれも、部分模写であり、前者は面貌表現や顔、首部分の立体感、後者は個々のモチーフの量感表現、人物と背景とのかかわり、色彩などへの関心をみることができよう。《模写6》(No.95)についても同じく、ジョットの《栄光の聖母》と考えられるが、先述のNo.83と異なり、興味は、全体的な量感の表現にある。また、《模写7》(No.96)、《模写8》(No.97)は、部分模写であり、なおかつ厳密な再現性を求めた模写でないことから、主題、作品の特定は難しいが、十四世紀初頭のジョット派の可能性が高い。
さらに、《受胎告知の大天使ガブリエル》(No.86)、《受胎告知の聖母マリア》(No.87)は、フィレンツェのアカデミア美術館が所蔵する「シュトラウスの聖母の画家」による《受胎告知》の部分模写。十四世紀後半から十五世紀初期にかけて、フィレンツェで活動したとされる「シユトラウスの聖母の画家」は、簡潔な形態把握、明瞭な輪郭線などジョット派を思わせる擬古典的様式と装飾性や繊細さなど十四世紀後半の国際ゴシック様式の特徴をあわせもったジョット復興運動の流れに位置づけられる
(註17)。色彩に関する指示等が記された聖母マリアと大天使ガブリエルのみを模写したこれらの作品から、契月の関心が装飾性や色彩、人物表現、そして量感の表出にあったことがうかがえる。
また、《模写1》(No.90)は、十四世紀中ごろに活躍したヤコポ・ディ・チョーネ《聖母の戴冠》の左下部分、アレクサンドリアの聖女カタリナ(左側)と守護者聖女レパラータ(右側)の部分模写。契月が模写のために通ったアカデミア芙術館の所蔵作品である。ヤコポは、繊細かつ華麗な色彩による装飾的で洗練された描写を特色とするフィレンツェの画家で、ジョット以前の様式に回帰したとされる。しかし、この模写からは、契月の関心が、ジョット風の面貌表現や華やかな色彩、装飾性に向いていることがわかる。作品の特定は難しいものの、《模写2》(No.91)も、華やかな色彩や衣装の表現などからフィレンツェの国際ゴシック様式の画家による受胎告知の大天使ガブリエルを、《模写3》(No.92)についても国際ゴシック期のフレスコ断片を模写した可能性が高い。
その他、《模写》(No.89)は、ロンドンナショナルギャラリー所蔵、フィリッピーノ・リッピ晩年の作で、レオナルド・ダ・ビンチの影響が色濃い《礼拝する天使》(断片 一四九五年頃)の模写。《模写 聖母マリア》(No.88)は、十三世紀末のローマ派、《模写4》(No.93)は、北方系の貴族肖像画ではないかと思われる。《模写5》(No.94)は、手にしている角から「豊饒」の擬人像を模写したものと思われるが、これらのオリジナル作品特定および契月の関心の所在についてはさらなる調査が必要である。
以上のように、契月は、ルネサンスへの先鞭をつけたとされるジョットやジョット復興運動の流れに位置づけうる画家たちによる作品、そして国際ゴシック様式の作品を多く模写している。ジョットの特徴ともいえる意志的な眼差しを持つ理性的な面貌表現や、優雅で装飾的とされる国際ゴシック様式の華やかな色彩と明瞭な輪郭線、日本画にはみられない量感の表現に契月の関心が向いている。典雅でありながら理知的、そして洗練された描線と装飾性は、まさに、契月が到達する至高の画風と相通ずるものであるといえよう
(註18)。
ところで、契月は、欧州出発前のインタビューで、欧州での活動予定について次のように述べている
(註19)。
「(略)ルーヴルなぞに近い便利なホテルに泊まりこむ考えで居ります ルーヴルやその他のミユゼエの見物が終るまでは此のホテルにゐまして、それからは何處か斯う気持ちのい、郊外の家にでも一室を借りて、静に制作をして見やうと思つてゐますっ(略)半製でもいゝから兎も角出来るだけ描いて見るつもりで絹と枕と唐紙とを持つてゆきます。日本畫家としては矢張従来の使ひ慣れた材料を使ふ方がい、と思ひますし、又周囲の強い色彩や強烈な刺戟のなかにあつて日本畫の材料がどれ丈け生かす事が出来、どんなに調和させる事が出来るかと云ふ事も根本的に解決する事ができるだろうと存じます。」
これらの言葉は、模索状態にあった契月の目的が、欧州美術に触れること同様に、新たな日本画の制作にあったことを教えてくれる。しかし、滞欧期に制作したと思われる本画は確認できず、晩年のインタビューにおいても、制作はおこなわず模写を数多くこなしたと述べている
(註20)。異国の地で、契月が間近にみた数々の欧州絵画は、契月に、欧州美術研究を中心に掘えた活動に方針変更させるほどに強い衝撃を与えた。そして、数ある欧州美術の中でも、ジヨットや国際ゴシック様式というルネサンス以前の作風が契月の心を捉えたことを、遺された模写は教えてくれる。 |