日本語文献
1910(明43) | 上田敏「ポオル、ゴオガン」『美』(4月、1-10号) 高村光太郎(訳)「EXOTISCHの画家PAUL GAUGUIN(J.MEIER-GRAEFE)」『早稲田文学』(4-5月)(*『現代の美術』(大正2年8月)に転載) |
1911(明44) | 中井宗太郎「ポール・ゴーガン」『美』(1月、3-4号) 森鴎外「むく鳥通信」(*この号の「椋鳥通信」は「むく鳥通信」と表記)『スバル』(6月1日、6号) |
1912(明45) | 小泉鐵(訳)「ノア・ノア(ゴオガン)」『白樺』(1月、2月、4月、7月、8月、大正2年1月、10月、3-1,3-2,3-4,3-7,3-8,4-1,4-10号) 斎藤與里「PAUL GAUGUINの藝術」『白樺』(7月、3-7号) |
1913(大2) | 冠磊華「モーリス・ドニの壁画」『現代の洋画』(4月、2-1,第13号) 小泉鐵(訳)「絵画は」(ポール・ゴオガン)『白樺』(11月、4-11号) 小泉鐵(訳)『ノア・ノア』11月、洛陽堂 |
1914(大3) | 森鴎外「水のあなたより」『我等』(3月、3号) 田中喜作(訳)「モリス・ドニ論(ホール)C.-J.HOLL」『卓上』(6月、8月) |
1916(大5) | 児島喜久雄「モーリス・ドニ」『美術新報』(3月、15-5号) |
1917(大6) | 大隈為三「ポール・ゴーギァン」『美術新報』(3月5日、270(16-5)号) 田川生「モリス・ドニと其位置」『美術新報』(9月、16-11号) |
1920(大9) | 黒田重太郎「ゴオギャンの跡を訪ねて」『中央美術』(9月、6-9号) |
1921(大10) | 黒田重太郎『モオリス・ドニと象徴派』日本美術学院 |
1922(大11) | 重徳泗水「ゴーガンの新面目」『中央美術』(6月、8-6号) 税所篤二「仏国新興美術(三)続モリス・ドニ、ピェール・ボンナール」『みづゑ』(8月、210号) シャルル・モリス(翻訳)「ゴオガンとゴオグの争い」『中央美術』(12月、8-12号) 矢部友衛「モーリス・ドニに師事して」『中央美術』(12月、8-12号 岡田忠一(訳)「ゴーガンの風景画(ハインド著「芸術と私」中の一章」『みづゑ』(12月、214号) |
1923(大12) | 小泉鐵(訳)ポール・ゴーガン『ノア・ノア』白樺社 税所篤二(訳)ポール・ゴーガン『ゴーガンの手紙』日本美術学院 中村章太郎(訳)「ゴオガンの話(シャルル・モリス)」『みづゑ』(3月、217号) 中村章太郎(訳)「ゴオガンの臨終(シャルル・モリスより)」『みづゑ』(5月、219号) |
1924(大13) | 中村章太郎「ポンタバン派のグループ」『みづゑ』(2月、228号) 税所篤二(訳)「ゴオガンの手紙」『中央美術』(7月、10-7号) |
1925(大14) | 山崎省三『ゴーガン』アルス(*1928(昭和3)年に再版) |
1926(大15) | 前川堅市(訳)ポール・ゴーガン『ノア・ノア』アルス 北原義雄(編)『ゴーガン画集』アトリヱ社 岡田忠一「ゴーガンの見たるヴアン・ゴツホ(上)(下)」『みづゑ』(8~9月、258~259号) 岡田忠一(訳)「赤い小蝦(ゴーガン手記)」『アトリヱ』(11月、3-11号) |
1928(昭3) | 斎藤與里「モーリス・ドニ論」『美術新論』(2月、3-2号) 大久保作次郎「ドニ訪問記」『美術新論』(2月、3-2号) |
1929(昭4) | 森口多里「幻滅に悶ゆるゴーガン―未だ識られざる此の画家の半面」『中央美術』(3月、15-3号) 斎藤與里「ポール・ゴーガン」『美術新論』(5月、4-5号) |
1931(昭6) | 税所篤二(訳)「ゴオガンの日記(一)~(五)」『美之国』(6月~9月、12月、7-6~9,12号) |
1932(昭7) | 前川堅市(訳)ポール・ゴーガン『ノア・ノア タヒチ紀行』(岩波文庫)岩波書店 |
1934(昭9) | 岡見富雄「タヒチ以前のゴーギャン」『美術』(3月、9-3号) |
1935(昭10) | 大森啓助「ゴーギャンのはなし」『みづゑ』(5月、363号) 大森啓助「続ゴーギャンのはなし 毒殺説」『みづゑ』(6月、364号) |
1936(昭11) | KI「エミール・ベルナールに就いて―「エミール・ベルナールの手紙より」」『中央美術』(4月、33号) KI訳「エミール・ベルナールに就て」『中央美術』(4月、33号) ポール・ジャモー(翻訳)「エミール・ベルナール」『みづゑ』(5月、375号) 森口多里「エミール・ベルナールと象徴主義」『アトリヱ』(13-5) 尾川多計「ベルナール展と欧州絵画展」『アトリヱ』(13-5) 石井柏亭「ベルナール展」『美術』(11-5) 佐波甫「エミール・ベルナール展評」『美之國』(12-5) |
1938(昭13) | 森口多里「エミール・ベルナールの反セザンヌ論(上)(下)」『みづゑ』(2月~3月、396~397号) 柳亮(訳)「ゴオギヤンの足跡を探ねて―タイチからマルキーズヘ(ルネ・アモン)」『みづゑ』(8月、402号) 森口多里「セザンヌの誤診―エミール・ベルナール氏所論」『みづゑ』(9月、403号) 荒城季夫「ポール・ゴーガン小論」『アトリヱ』(12月、15-17号) |
1939(昭14) | 佐波甫(特別記事)「ポール・ゴーガン」『みづゑ』(6月、414号) |
1940(昭15) | 成田重郎(訳)シャルル・モリス『ゴーガン』東京堂 柳亮「近代巨匠の古典研究(4)ゴーギャン篇」『みづゑ』(7月、428号) |
1941(昭16) | 島村三七雄「エミール・ベルナール師の追憶」『みづゑ』(7月、441号) |
1943(昭18) | 村上信彦(訳)べリル・ベツカー『ポール・ゴーガン―藝術と生涯』淡海堂 大森啓助「耳を切った男」『畫諭』(9月、24号) |
1948(昭23) | 土方定一「脱出の画家、ゴーガン ダニエル・ド・モンフレイヘの手紙を読みながら」『みづゑ』(3月、509与) 「コペンハーゲンでゴーガン百年記念展〈海外通信〉」『アトリヱ』(10月、262号) |
1949(昭24) | 大久保泰『ゴーギャン』(アルス美術文庫)東京アルス 関口俊吾(訳)モーリス・ドニ「新伝統主義の定義」『みづゑ』(7月、524号) 田近憲三「ゴーギャンへの回想―その生誕百年記念展に際して」『アトリヱ』(12月、275号) |
1950(昭25) | 林文雄「タヒチのゴーガン―その生活と芸術」『みづゑ』(2月、532号) 三雲祥之助(口絵解説)「ゴーギャン「白馬」」『美術手帖』(8月、33号) 関口俊吾「モーリス・ドニのセザンヌ論」『BBBB』(5) 土方定一「クーノ・アミエのこと」(読売新聞(夕刊)、3月1日(?)) |
1951(昭26) | 大久保泰『ゴーギャン』(美術文庫)アトリエ社 大森啓助(編・訳)「ゴーギャンの手紙―ダニエル・ド・モンフレイに宛てた」『藝術新潮』(6月、2-6号) 和田定夫(解説)「ノアノア」『藝術新潮』(6月、2-6号) 土方定一「ゴーガンの芸術とエジプト、ジャヴァ、古代ギリシャ」『アトリエ』(12月、301号) |
1952(昭27) | 有島生馬(訳)エミル・ベルナール『回想のセザンヌ』美術出版社 モーリス・マラング編『妻と友人に宛てたゴーガンの手紙』東珠樹訳 美術出版社 三雲祥之助「自己の天才にあうまで―ドガ、ゴーギャン、ゴッホ―〈巨匠の20代〉」『美術手帖』(1月、52号) 大森啓助(編・訳)「ゴーギャンの手紙」『藝術新潮』(3~7月、3-3~7号) 大森啓助「ゴーガンは毒殺された?」『アトリエ』(5月、306号) 式場隆三郎「ゴーガンの手紙―ベルナールヘの書簡」『アトリエ』(5月、306号) 清水将夫「ゴーガンに扮して」『アトリエ』(5月、306号) 柳亮「宿命への抵抗―ゴーギャンの生涯」『美術手帖』(10月、61号) |
1953(昭28) | ポール・ゴーガン『美わしき野性―ゴーガンの手記』式場隆三郎訳 新潮社 久保貞次郎(解説)「ポール・ゴーガン「タ・マテーテ(市場)」」『美術手帖』(5月、69号) 柳亮「ヒューマニズムの殉教者―ゴーギャンの生涯とその芸術」『みづゑ』(6月、574号) 和田定夫「ポール・ゴーガンの芸術と彼の逃避行」『みづゑ』(6月、574号) |
1954(昭29) | 玉生正信「ゴーガンの芸術」『美学』(10月、18(5-2)号) |
1955(昭30) | 福島繁太郎「ゴーギャンの作品について」『世界』(5月、113号) 瀧口修道「異色作家列傳・8 ゴーギャン」『藝術新潮』(8月、6-8号) |
1956(昭31) | 針生一郎『ゴーガン』(原色版美術ライブラリー)みすず書房 小林秀雄「近代絵画1 ゴーガン」『藝術新潮』(1月、7-1号) 中谷泰(解説)「ポール・ゴーガン「三匹の仔犬と静物」」『美術手帖』(2月、105号) 柳亮「解放者・ポール・ゴーギャン〈人と作品〉」『美術手帖』(7月、111号) |
1957(昭32) | W.メナアド「ゴーギャン・タヒチの秘密」『藝術新潮』(6月、8-6号) 中谷泰(解説)「ゴーギャン「タヒチ風景」」『美術手帖』(10月、131号) |
1958(昭33) | 岡谷公二「ポール・ゴーガン」『成城文芸』(6月、14号) |
1959(昭34) | ハーバート・リード『ゴーガン』久保貞次郎訳(フェーバー世界名画集)平凡社 Ch.ゴーラム『彼女らの肉体の黄金(小説ゴーガン)』浅田晃彦訳 白水社 中山公男「PAUL GAUGUINその生涯」『美術手帖』(4月、156号) 三雲祥之助「ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女」」『みづゑ』(8月、651号) |
1960(昭35) | 大河内信敬「ゴーガンと浮世絵(近代の巨匠達5)フランス画壇と東方趣味と日本趣味」『萌春』(2月、76号) 「シャルパンチエのゴーガン回顧展〈海外短信〉」『美術手帖』(4月、171号) |
1961(昭36) | 福永武彦『ゴーギャンの世界』新潮社 松谷彊『ゴーガン』〈現代美術〉みすず書房 ロバート・ゴールド・ウォーター『ゴーガン』嘉門安雄訳 美術出版社(*BSSギャラリー世界の巨匠1990(平成2)年再版) 中山公男「ゴーガン「天使と格闘するヤコブ」〈名画の秘密〉」『美術手帖』(3月、186号) 高階秀爾「ゴーガンとナビ派芸術の貢献(B.ドリヴァル)」『学燈』(10月、58-10号) 中山公男「ゴーガン・静物〈名画解説 フランス美術展より〉」『美術手帖』(12月、197号) |
1962(昭37) | ポール・ゴーガン『タヒチからの手紙』岡谷公二訳 昭森社 |
1963(昭38) | 高階秀爾『ゴッホ、ゴーガンとその周辺』(近代世界美術全集4)社会思想社 唐木順三「ゴーガンの私記、その他」『新潮』(9月、50-9) |
1965(昭40) | アンリ・ペリュショ『ゴーガンの生涯』窪田般彌訳 紀伊國屋書店 「ゴーガンの作品目録出版される〈海外の話題〉」『美術手帖』(3月、249号) |
1966(昭41) | 粟津則雄「モーリス・ドニ(連載/画家のこころ)」『みづゑ』(2月、732号、3月、733号) |
1967(昭42) | 池上忠治「ポール・ゴーガンと日本絵画―ゴーガンの所有せるジャポネズリー数種の紹介に関連して―」『美術史』(6月、65号) 岡谷公二(編)「ゴーガン―その言葉―」『美術手帖』(7月、285号) 高階秀爾「ゴーガン その生涯のエピソード」『美術手帖』(7月、285号) |
1969(昭44) | 『ゴーギャン展』京都国立近代美術館・読売新聞社・報知新聞社 乾由明「ポール・ゴーギャン―ゴルゴダの画家―日本初の作品展を機に」『美術手帖』(9月、317号) 「ゴーギャンの手紙より」『視る』(10月、29号) 中山公男「はじめてのゴーギャン われらいずこより来るか―運命におけるゴーギャン」『藝術新潮』(10月、238号) 松下明治「ゴーギャン」『視る』(11月、30号) 下村良之助「ミクロネシアにみたゴーギャン」『視る』(11月、30号) |
1970(昭45) | 二見史郎「内部表現と抽象」『抽象の形成』紀伊國屋書店 粟津則雄(解説)『ゴーギャン』(ヴァンタン版 現代世界美術全集7) ポール・ゴーガン『ゴーギャン・手記―アヴァン・エ・アプレ』前川堅市訳 美術出版社 酒井傅六「ゴーガンの残光」『藝術新潮』(12月、252号) |
1971(昭46) | 粟津則雄『ゴーギャン』〈現代世界美術全集・7〉集英社 R.ゴールドウォーター「ゴーガンとポンタヴァン派」『二十世紀美術におけるプリミティヴィズム』日向あき子訳 岩崎美術社(美術名著選書15) |
1974(昭49) | 池上忠治『セザンヌ/ゴッホ/ゴーギャン』〈グランド世界美術21〉講談社 宮川淳『ゴーギャン』〈新潮美術文庫30〉新潮社 中山公男『ゴーギャン』〈リッツォーリ版 世界美術全集18〉集英社 『ボナールとナビ派』(現代の絵画8)平凡社 |
1975(昭50) | ダニエル・ヴィルデンシュタイン、レイモン・コニア『ポール・ゴーガン』(ファブリ版 世界の美術9)渡辺康子訳 小学館 |
1976(昭51) | 高階秀爾「町のなかの修道院芸術―ナビ派の歴史と美学」『美術手帖』(1月、402号) 潮江宏三「共感覚・気分・象徴―モーリス・ドニと絵画」『美術手帖』(1月、402号) 海野弘「石に咲く花―ルヴュ・ブランシュの画家たち」『美術手帖』(1月、402号) 末永照和「ナビ派の画家たち」『美術手帖』(1月、402号) 徳田良仁「ポール・ゴーガン 文明からの遁走(狂気の軌跡9)」『みづゑ』(12月、861号) |
1977(昭52) | 岩崎吉一『ゴーガン』〈世界美術全集21〉小学館 丹尾安典『ゴーガン』〈世界の素描28〉講談社 シャルル・シャッセ『ゴーガンとその時代』島田紀夫、末木友和訳 造型社 |
1978(昭53) | 本江邦夫『ゴーギャン』(印象派の画家たち11)千趣会 深沢幸雄「ゴーギャンの版画」『週刊朝日百科 世界の美術13』(6月) 佐藤忠良「ゴーギャンの彫刻」『週刊朝日百科 世界の美術13』(6月) 福永武彦「ゴーギャン、私の1点」『週刊朝日百科 世界の美術13』(6月) 畑中幸子「ゴーギャンのタヒチ、今日のタヒチ」『週刊朝日百科 世界の美術13』(6月) 大岡信(解説)『ゴーギャン』〈カンヴァス版 世界の名画10〉中央公論社 高階秀爾「イエスとしての自画像(1~3)」『現代思想』(11月、12月、1979年2月) 丹尾安典「ゴーガン《我々は何処より来たのか......》と娘アリーヌ」『美学』(3月、112号) 吉田正俊「モームの『月と六ペンス』とゴーギャン〈美術余話13〉」『週刊朝日百科 世界の美術13』(6月) |
1979(昭54) | 阿部信雄「ナビ派」『週刊朝日百科 世界の美術65』 本江邦夫「差異を生きるゴーガンの木版画『ノア・ノア』連作」『みづゑ』(9月、894号) |
1980(昭55) | ダニエル・ゲラン『ゴーギャン オヴィリ、一野蛮人の記録』岡谷公二訳 みすず書房 本江邦夫(書評)「『ゴーギャン オヴィリ、一野蛮人の記録』芸術と生活における闘争」『みづゑ』(6月、903号) 丹尾安典(編)『ゴーガン』(現代世界美術全集 25人の画家12)講談社 |
1981(昭56) | 『モーリス・ドニ展』国立西洋美術館(ウルズラ・ペルッキ=ペトリ(有川治男訳)「モーリス・ドニの作品」、ドミニク・モーリス・ドニ(前川誠郎訳)「父モーリス・ドニとその友達の思い出」、八重樫春樹「モーリス・ドニとその時代―象徴主義の風土のさ中で―」、富山秀男「モーリス・ドニと日本」) 丹尾安典「ゴーガン《裸婦習作》試考」『美術史』(3月、110号) 八重樫春樹「”美しい聖像のナビ―モーリス・ドニ展」『美術手帖』(10月、487号) 村田宏「モーリス・ドニ、象徴の庭から」『美術手帖』(11月、488号) 高橋明也「モーリス・ドニの芸術」『視る』(173号) 黒崎彰「二度目の出会い―モーリス・ドニ」『視る』(174号) 三好郁朗「ドニ展と象徴主義のこと」『視る』(174号) 稲賀繁美「〈前衛から反動へ〉古典開眼からマティス批判へのモーリス・ドニの軌跡(上)(下)」『三彩』(409号)、(410号) |
1982(昭57) | 池辺一郎『未完のゴーガン―タヒチ以前の生活と思想』みすず書房 丹尾安典「ゴーガンの裸婦横臥像について『アガルマ―澤柳先生古稀記念美術史論文集』同朋舎 朝日新聞社編『ゴーギャンと大原美術館』朝日新聞社 稲賀繁美「画家に棲う美術史、モーリス・ドニにおける歴史記述の問題」『現代思想』(5月号、7月号) |
1983(昭58) | 吉田秀和「ゴーギャンからセザンヌへ」『海』(3月号) 靉嘔「ポール・ゴーギャンの「われわれはどこから来るか、われわれとは何か、われわれはどこへ行くか」〈私の好きな一点〉」『現代の眼』(3月、340号) 千足伸行「名作を語る・ポール・ゴーギャン「ヨセフとポテパルの妻」をめぐって」『三彩』(6月、429号) |
1984(昭59) | ベンダト・ダニエルソン『タヒチのゴーギャン』中村三郎訳 美術公論社 島田紀夫「寓意画から風俗画―1888年以前のゴーギャンの水浴図をめぐって」『実践女子大学文学部紀要』(3月) 辻邦生「ゴーギャン「ネヴァーモア」〈心に響いた一点〉」『藝術新潮』(3月、411号) 「印象派・後期印象派展=ロンドン大学コートールド・コレクションより」『美術手帖』(3月、523号) |
1986(昭61) | 本江邦夫、大岡信『ゴーギャン』(アート・ギャラリー現代世界の美術4)集英社 |
1987(昭62) | 『ゴーギャン展―楽園を求めて』・{江邦夫「序論」、高橋幸次「表層の楽園」、ロナルド・ピックヴァンス、本江邦夫(カタログ)東京国立近代美術館、東京新聞 『ボン・タヴェン派とナビ派』展朝日新聞社 R.L.ユイグ、東珠樹(解説)『ゴーギャン手稿 タヒチノート』美術公論社 本江邦夫「ポール・ゴーギャン《ナヴェ・ナヴェ・モエ(甘き水)》(表紙解説)」『現代の眼』(3月、388号)島田紀夫「『印象主義と総合主義者の展覧会』(1889年)をめぐって―あるいは、ゴーギャンの象徴主義の誕生」『現代の眼』(3月、388号) 丹尾安典(編・解説特集)「悪役ゴーギャンの魅力」『藝術新潮』(3月、447号) 島田紀夫「ゴーギャン、風俗画から象徴主義へ」『三彩』(3月、474号) よしかわつねこ「タヒチのゴーギャン」『三彩』(3月、474号) 本江邦夫「ゴーギャン、象徴と差異の間に」『三彩』(4月、475号) よしかわつねこ「タヒチのゴーギャン」『三彩』(4月、475号) 二見史郎「ゴーギャンの変貌」『アトリエ』(4月、722号) 「TECHNIQUE OF WORLD ARTISTS ゴーギャン」『アトリエ』(4月、722号) 高橋幸次「ポール・ゴーギャンの木彫立像《淫乱》について(表紙解説)」『現代の眼』(4月、389号) 丹尾安典「ゴーギャンとドビュッシー」『現代の眼』(4月、389号) 岡谷公二「手紙の中のゴーギャン」『現代の眼』(4月、389号) 近森正「ポリネシアの三角形 タヒチをとりまく文化と社会」『美術手帖』(5月、579号) 大森達次「イヴのなかの生と死」『美術手帖』(5月、579号) 山梨俊夫「不在としてのタヒチ」『美術手帖』(5月、579号) 村田宏「ポン・タヴェン派とナビ派展」『美術手帖』(5月、579号) |
1988(昭63) | L.ボウルトン『巨匠の絵画技法 ゴーギャン』倉田一夫訳 エルテ出版 福永武彦『ゴーギャンの世界(随筆・評論6)』(福永武彦全集19)新潮社 東珠樹(編・訳)『ゴーギャンの手紙』美術公論社 |
1990(平成2) | 『ゴーギャンとナビ派の仲間たち』展(中山公男「混沌のなかの清溢―序に代えて」、ジャン=マリー・キュザンベルシュ「ナビ派の誕生と活動」)(東京、新潟、大阪、下関を巡回) 中山公男(編)『ポール・ゴーギャン』(週刊グレート・アーティスト9)同朋舎出版 本江邦夫(編)『ゴーギャン』(アサヒグラフ別冊美術特集 西洋編14)朝日新聞社 ハンス・H.ホーフシュテッター、種村季弘・池田香代子訳『ユーゲントシュティール絵画史』河出書房新社 丹尾安典「キツネ目の僧侶(ボンズ)―ゴーギャンの中のゴッホ」『ユリイカ』(22-13) |
1991(平成3) | レイチェル・バーンズ(編)『ゴーギャン』(日経ポケット・ギャラリー)池上忠治監修 石崎勝基訳 日本経済新聞社 |
1992(平成4) | 『ゴーギャンとブルターニュの画家たち』展(アンドレ・カリュー(山本敦子訳)「ブルターニュの画家たち」京都、佐賀、倉敷、山形、岐阜を巡回 『ゴーギャンとル・プルデュの画家たち』展(マルセル・ラウル「画家たちのル・プルデュ」、ジャン=マリ・キュザンベルシュ(坂上桂子・龍野有子訳)「ゴーギャンのブルターニュ滞在記」、リネア・S・ディートリッヒ(中山久美子訳)「自分自身の中の一隅―ゴーギャンの手紙、思想とル・プルデュの宿屋」、村田宏「ポール・ゴーギャン―神と悪魔の間で」)毎日新聞社他 |
1993(平成5) | 『フランス絵画20世紀への旅立ち―1880年代後半から1890年代の芸術思潮とその表現』展(山本敦子「絵画が変わるとき―1880年代後半から1890年代の芸術思潮」、中山公男「新印象派主義の時代」、山本敦子「アトリエ・コルモンの若者たち―1880年代後半」、山本敦子「ナビ派の形成―1890年前後」、上村清雄「世紀末の画家=版画家」)岐阜県美術館、中日新聞社 『後期印象派時代』(世界美術大全集23)池上忠治(責任編集)(池上忠治「後期印象派の諸相」、丹尾安典「ゴーガン エデンの幻想」、丹尾安典「ポン=タヴェン派の絵描きたち(テーマ特集)」)小学館 |
三重県立美術館編