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美術館 > 展覧会のご案内 > 企画展 > 2008 > 液晶絵画 会場ガイド

液晶絵画 Still / Motion
【会場ガイド】

2008年2月14日(木)~4月13日(日)

企画展示室
A
第1室
①森村泰昌
 Morimura Yasumasa
(1951年大阪生まれ、日本;大阪在住)
 森村は、美術史上のイメージにセルフ・ポートレートを滑りこませるという作風で知られる美術家です。《フェルメール研究(動く絵画)》(2005)と新作《フェルメール研究(振り向く絵画)》(2007)では、フェルメールのそれぞれ《画家のアトリエ(絵画芸術)》と《真珠の耳飾りの少女》を再現しつつ、モデルと画家、そして森村の視線が交錯しています。
②ミロスワフ・バウカ
 Miroslaw Balka
(1958年オトヴォック 生まれ、ポーランド; ワルシャワ在住)
 バウカはワルシャワ美術アカデミー彫刻科で学び、個々の記憶を呼びさますような立体作品を発表してきました。90年代の半ばすぎより、映像作品の制作も手がけるようになりました。《BlueGasEyes》(2004)は、床に置いた塩のスクリーンに向けて、天井から青いガスコンロの炎が二つ投影され、それがまるで青い目のように思えます。一方、《壁》(2006)では、壁に「壁」の映像が投影されます。いずれも観る者を瞑想へと誘うような、精神的な作品となっています。
B
第2室
③サム・テイラー=ウッド
 Sam Taylor-Wood
(1967年ロンドン生まれ、イギリス;ロンドン在住)
 1991年に作家活動を開始、97年には有望な若手作家に与えられるヴェネチア・ビエンナーレ奨励賞を受賞しました。彼女の作品は宗教的絵画や美術史上で著名な作品から想起され制作されたものが多く、映像と写真を通して物語性の高い世界を作り出しています。《ピエタ》(2001)はミケランジェロの有名な彫刻作品のように、十字架から降ろされたキリストを抱くマリアの姿を自らで表現しています。また《スティル・ライフ》(2001)と《リトル・デス》(2002)は、17世紀ヨーロッパの静物画を彷彿させます。これらの作品は虚しさ、嘆き、苦しみといった感情を主題に作品を制作し、生あるものの美しさとはかなさを表現しようとしているのです。
④やなぎみわ
 Yanagi Miwa
(1967年神戸生まれ、日本; 京都在住)
 やなぎは、若い女性が制服を着てエレベーターガールに扮し、商業施設の中で、マネキンのように佇む姿をデジタル加工した写真作品を1993年に発表し、注目を浴びました。《Fortunetelling》(2005)では映像の中に少女が4人(そのうちの2人は老女の仮面を付けている)おり、椅子に座ってタロット占いをしている2人少女達の後ろで、2人の少女がつかみ合いをしています。本作を含む「寓話」のシリーズでは、物語の中に登場する老女と少女の関係を通し、一方では対立する存在であることを、もう一方では人間誰もが老いていくものであることを暗示させ、表裏する存在であることを示しているのでしょう。
⑤イヴ・サスマン
 Eve Sussman
(1961年ロンドン生まれ、 イギリス;ニューヨーク在住)
 作家活動を開始した当初、鏡や水など、像を反射する素材からなる彫刻やインスタレーションを制作していたサスマンは、自らを「映画を撮影する彫刻家」と称し、90年代以降、主として映像作品を手がけるようになります。粉塵の立ちこめる中、闘いもつれ合う男女や子供の姿を映し出す《浮上するフェルガス》(2006)は、サスマンとルーファス・コーポレーションによる二番目の作品《サビニの女たちの略奪》(2006)の一部分を使用し制作されました。スロー再生によって過度なまでに時間が引き延ばされているため、集団によって織りなされる迫力のある運動の連続性よりも、むしろ、集団における個人的身体の動きが強調されています。
⑥鷹野隆大
 Takano Ryudai
(1963年福井生まれ、日本;東京在住)
 鷹野は初期の作品では表現の素材の一つとしてヌードを使っていましたが、2000年頃からジェンダーを改めて問うような男性ヌードを中心とした作品を発表するようになりました。2006年に自室で撮ったポートレイトで構成された写真集『In My Room』で木村伊兵衛写真賞を受賞しています。《電動ぱらぱら》は上半身、下半身が分けられ、様々な人物が服を脱いでいく過程の写真作品を繋げた映像作品です。性や個人がばらばらに組みあわせられ、一般的な社会的性差とは何であるのかという、新たな問いかけをおこなっています。
C
第3室
⑦ジュリアン・オピー
 Julian Opie
(1958年ロンドン生まれ、イギリス;ロンドン在住)
 オピーは1983年以来その作風を変えてきながらも、超然とした軽快さをただよわせている点で初期以来一貫しています。コンピューター・アニメーションを用いたのは1993年以来で、いずれも仰々しさのない軽快さという点でやはり平面や立体に通じています。そのさりげなさゆえ作品は、別世界ではなくあくまで日常的な時間に属しているのです。
⑧ブライアン・イーノ
 Brian Eno
(1948年ウッドブリッジ生まれ、イギリス;ロンドン在住)
 1972年以来ロック・ミュージシャンとして、あるいはアンビエント・ミュージックの開拓者としてイーノはさまざまな音楽活動を展開してきました。ビデオを用いるようになったのは1970年代後半で、7部からなる《ミステイクン・メモリーズ・オヴ・ミディーヴァル・マンハッタン》は1980-81年ニューヨークで、イーノが住んでいたいくつかのアパートメントの窓から撮影されました。《サーズデイ・アフタヌーン》(1984)も7部構成で、いずれもアンビエント・ミュージック同様、「視聴者がじっと座り、画面が動く」のではなく、「視聴者はまるで絵画を見るようにしばらくそれを鑑賞し遠ざかる」ことを想定して制作されました。
D
第4室
⑨ドミニク・レイマン
 Dominik Lejman
(1969年グダニスク生まれ、ポーランド;グディニャ・オルウォヴィ在住)
 レイマンは絵画へ映像を投影するなど、多層的かつ微細な「動く絵画」の作家として世界の注目を集めました。また近年では時間差を利用した作品において、見る者-見られる対象という図式を反転させたり、美術館やギャラリーの内部だけではなく公共空間でのプロジェクションを行って、場の機能を変えるという試みを行ったりしています。《Yo Lo Vi》(2006)はゴヤの《異端審問裁判》に想を得たもので、また「Yo Lo Vi(=私はそれを見た)」と同タイトルのゴヤの銅版画作品のことも念頭に置かれています。ここでも少し時間をずらしながら作中に投影される鑑賞者自身の姿は、「まなざすこと」から逃れられないのです。
⑩ビル・ヴィオラ
 Bill Viola
(1951年ニューヨーク生まれ、アメリカ;カリフォルニア在住)
 72年以来のヴィオラの初期の作品は、ビデオの特質の可能性を探求する要素が大きいものでした。80年代より呼吸、鼓動といった生命が持つ時間へと意識を拡げ、90年代より、時間を極度に引き延ばした瞬間の拡大へと展開しています。初期作品のひとつ《プールの反映》(1977-79)は、当時最先端のビデオ技術を用いて、複数の時間層を映像として結合させたものです。この作品は「自然の世界への個人の出現-ある種の洗礼-に関わるものだ」とヴィオラは語っています。水という普遍的なモチーフと共に、死と再生という根源的なテーマへとその後のヴィオラを方向づけていった重要な作品です。
E
県民ギャラリー
⑪ドミニク・レイマン
 Dominik Lejman
(→⑨)
 《平和の挨拶を交わしなさい》(2006)は、壁面いっぱいを覆う映像作品です。まるで色とりどりの丸い形が散らばった壁紙のようにも見えますが、よく見ればたくさんの人々の集合を斜め上から撮影した映像であることがわかります。人々はほとんど動かない-最後の数秒を除いては。1分半という短いサイクルで映像はリピート再生されます。その最後の方で、それまで静止していた人々がばらばらと動き、列が乱れます。前後左右の人々と「主の平和」と、挨拶を交わしているのです。すなわちこれは教会のミサに集まった人々の後姿なのです。
⑫邱黯雄(チウ・アンション)
 Qiu Anxiong
(1972年四川省生まれ、中国;上海在住)
 1998年から2003年までのドイツ留学中は、伝統的な中国の水墨画に着想を得て、油彩と墨で風景画を描いていました。2004年には出身地の四川から上海に移り住み、映像作品の制作を始めました。2006年の上海ビエンナーレでは、2世紀以前に成立され、中国最古の地理書と言われる『山海経』を現代の文脈で編み直した水墨画のような映像作品《新山海経》を発表し、注目を集めました。『山海経』は中国各地の産物や鉱物を示すものですが、人間の想像する自然の産物や、妖怪や怪物なども列挙されています。本展出品作《新山海経・二》も中国をはじめ世界各地において、現代文明がもたらす都市化や情報化、政治的な対立などを、ユーモアを交えた卓越した表現力によって、創作した寓話的な物語なのです。
⑬小島千雪
 Kojima Chiyuki
(1971年東京生まれ、日本;東京在住)
 小島は1993年8月、第3回国際TEL-IMAGE展(第5回ふくい国際ビデオ・ビエンナーレ、福井県立美術館)で動画部門優秀賞、2006年7月『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2006』(新潟県十日町市)などに出品しています。作者によれば「リズミカルムとは、rhythmical(律動的な)とcalm(静けさ)を合わせた造語である。ある瞬間が次の瞬間へ移行する際に発生する時間軸上の差異、および存在物そのものが内包する振動の可能性を指す」、また本作品《リズミカルム、砂の陸》(2007)については「…(前略)…常に姿を変えながらも、同時に不動の存在である砂丘をリズミカルムの象徴として扱い、『夢だった現実』をテーマに描く」と述べています。
⑭楊福東(ヤン・フードン)
 Yang Fudong
(1971年北京生まれ、中国;上海在住)
 写真や映像作品の制作で国際的に注目され、日本でも2001年横浜トリエンナーレ、2005年の福岡アジア美術トリエンナーレに参加しています。6面からなる《雀村往東》(2007)について作者は次のように述べています:「河北農村の冬の気候は非常に寒く乾燥していて、人々はこの一面の平原地帯のなかでとても安静で簡便な生活を送り、同時に自身の生活であわただしく過ごしている。どの家もほとんどが犬を飼い、犬たちは家を守りながら、人に依存して生きている。雀村は百ほどの家々があるそれほど大きくない村で、多くの犬もまたここに生活し、病気になり、死んでいき、売買されることも放棄される事もある。犬たちの主人から見れば、犬は所詮、犬なのだ。犬たちは結局知る事がない。雀村の東に、外界へと続く唯一の道がある事を」。
F
柳原義達記念館
展示室B
⑮千住博
 Senju Hiroshi
(1958年東京生まれ、日本;東京在住)
 1980年代半ばに出発した日本画家千住博は、その関心の対象を人工的な都市から自然や宇宙、時の流れなど人智を越えたものを描くことへと移してきました。2004年に羽田空港第二ターミナルに設置された《朝の湖畔》に描かれている水面や木々を揺るがせ、あるいは飛翔する鳥などをデジタル処理によって表現したのが、本展出品作《水の森》(2008)です。ここには「芸術というのは、その時代の科学の最先端と結びついている」と考え、「日本画といわれている表現にはこんなにもいろいろな可能性があるのだ、ということを伝えたい」という千住の芸術観が集約されているといえるでしょう。
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