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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1985 > 具象絵画の現在と未来 匠秀夫・陰里鐵郎  第1回具象絵画ビエンナーレ図録  1985

具象絵画の現在と未来

対談:匠 秀夫/陰里鉄郎

 

 
陰里

今回,72人の作家の方に出品をお願いしましたが,その中で,先日有元利夫さんが亡くなられました。有望な作家を失って本当に残念です。心から哀悼の意を表します。

 

今年から,具象絵画ビエンナーレが始まることになりましたが、これまでと,ここ10年間だけをみても具象絵画があらためて追及,検討されてきている訳です。振り返ってみてみると,1960年代に抽象絵画が世界的に非常な勢いで関心を集め,その抽象絵画の盛行が改めて具象絵画を見直すきっかけをつくったと言ってもいいと思います。

 

もともと,具象的なものを描くということは,不思議なことでも何でもなく,具象的なものを再現,それをとおして表現することが絵画であった訳です。20世紀美術がつくられてくる過程で,さまぎまな社会の変化の中から抽象絵画が生まれ,盛んになってきたことが,具象絵画の見直しということになり,日本においてもそうであったのだと思います。これまで,例えば安井賞展,昭和会賞展など,いくつかの展覧会が行われてきましたが、そういった意味あいを持つものでしょう。

戦後,美術の中心がニューヨークヘ移っていきましたね。抽象表現主義の仕掛人はニューヨークなんです。60年代は,このニューヨークからの嵐に日本も覆われていたわけです。すると,特に,具象といった意識を持たないで絵画をやっていた人たちが,とり残されたような危機感を持ち始め,具象絵画という意識が強まってくる。日本でも,安井賞展が昭和31年から始まったけれども,安井曽太郎が亡くなって,その功績を継承しようという一方で,抽象表現の嵐に対して,「何とかレーゾンデートルをもたないと」といった意識があったと思います。そして,安井賞展,国際形象展などが,抽象表現の全盛に対する具象絵画の自覚運動となり,それに沿って,明日への具象展なども開かれてきたというのが経過ですね。

 

また,国内的な問題として,戦前の美術を動かしていたのが公募団体だったけれども,戦後の公募団体は、意義も役割も違ってきているということがある。

陰里

公募団体のことで言うと,もともと主義主張をもった美術運動体という形で発生したものであったはずだけれども,発生時点ではそうであったけれど,そのことが戦後の多様化の中で意味を持たなくなってきてしまった。それでも,社会の中で,ある権威づけのような形で存続し続けてきたということでしょう。

 

ところが,公募団体に属していてもいなくても,本当に危機感を持った作家たちがいたわけで,そういう人たちが,国際形象展,その若い世代の人たちが明日への具象展へ結集してきたのではないでしょうか。また,安井賞,昭和会賞もそういったものですね。

 

恐らく,危機感をもった人たちの間には、様式とかいう枠を離れて大きな枠として具象絵画を再生し,新しい方向をみつけていこうという気運が,60年代にも一方ではあり続けていて,70年代に入って,改めて具象絵画を見直し,これからのものを考え始めたということでしょう。

具象絵画という意識が非常に強まったのは,ひとつには,国際的要因もあげられると思います。戦争で,パリは傷めつけられ経済力がなく,一方,アメリカは勝って経済力が強い。そのアメリカが経済的余力で,世界へのしていこうという芸術的な現れが,抽象表現主義の嵐となって全世界を席捲し,敗戦した日本にも押し寄せたのです。国内的要因では,陰里さんが言われたように,戦前の公募団体が,戦後自由な活動ができるようになって復活したけれども,結集時のイデオロギーはもうなくなっていた。そこへ一斉に抽象表現の嵐が吹きまくり,どの団体にも抽象表現が出てきて,それに対する危機感が若い画家たちの聞に出てきたのだと思います。それが明日への具象展,昭和会,安井賞といった形で,具象絵画を強く意識するようになってきたのでしょう。

陰里

抽象絵画といったものが盛んになってくるのには,必然性がありました。絵画の要素が純化されてきて,造形言語としての抽象形体,また,それの構成,それによるイメージの形成といったことがでてきた訳ですが,と言って,人類が具象的イメージを捨てたのではない。今の具象絵画は,例えばフォルムの純粋化された形としてのものだとかを追求した後の具象絵画なのです。

 

その間には,いろいろな媒体の発達,素材の発達があった。ですから,絵画はグラフィック・デザインや映像的なものを含んだ媒体になってきているし,さらに新しい素材も出現してきています。そういう中で改めて新しい時代の新しい造形としての具象絵画が追求されてきていると思います。

抽象絵画が伸びるだけの必然性についてですが,20世紀になってキュビスムがでてきて,たどりつくのは,どうしても抽象ということになります。現代生活が機械文明の中で抽象的な表現を迎え入れるだけのものをつくりだしているから,抽象絵画の活躍する余地がでてきた訳です。必然性があることは,それだけ強いです。

 

それを踏まえた上で,本来的な絵画=具象だったのだから,それに対抗できる具象の道を探さないと,ただ漫然と具象的なものを描いていたのでは,今日性が無くなってしまう。そういう危機感は確かにありますね。

 

特に,日本における状況ですが,抽象的なものはキュビスムなどから発していくんだけれども,日本人というのは,どうも知的・分析的な摂取が得意でないから,キュビスムをこなしていない。抽象をどれだけきっちり踏まえきっているかというと,大変危なっかしい。抽象全盛時代には,皆追随的に描いていただけで,殆どがエピゴーネンです。だから70年代に入って,逆に具象の風が吹いてくるようになると,抽象をやっていた人も変わってきて,今や展覧会を見るとまた地方に行けば行く程,抽象の姿が消えてきています。

 

だから,現象的に見ると,具象の新しい波が強まりつつあるように見えるけれども,これも警戒を要するべきであって,ただ具象の波が来ているというだけであってはならないんです。

陰里

抽象絵画,或いは抽象的傾向といったものは,造形上の或いはフォルムの問題,構成,そういうことの追求があり,一方には,先にも触れたけれども,造形美術に関わる領域に拡大があった訳です。ですから,従来の絵画や彫刻といった概念からは考えられないものまでが,次々とうまれてくる。そういったことで美術そのものが非常に拡散した面があった。また,芸術の根本まで疑うという傾向も出てきて,それがコンセプチュアルなものまでいきついてきている訳です。

 

そういう20世紀の経過は,単なる流行とは違う根深いものがあって,簡単に「抽象だ,具象だ,半具象だ」といった言い方で済まないものが出てきていたのです。そういうものが氾濫する中で,具象絵画としか言いようのないものもある訳で,その辺の問題もあるだろうと思います。素材の問題もそうです。

抽象的なものは,どうしてもコンセプチュアルなものに移っていかねばならない。そうなると,絵画が観念化していって,絵画=観念になる危険性が出てくる。その危険性が,70年代半ば以降に具象の波が巻き返している根底にあるもののひとつだと思います。

 

結局,絵画とは観念である,考えることであるということになりかねないところが,ひとつの袋小路なのだから,今度,絵画とは描くことなりということが呼びもどされてきているのだろうと思います。

 

その時,やっぱり本来的に絵画は具象であったのだというだけでは,何の意味もない。そこに意味あいを持たなければならないから,昭和会展,明日への具象展などがでてきたのでしょう。具象絵画ビエンナーレを始めるにあたって,漫然と具象絵画の巻き返しの波にのっていくのとは違った気構えがなければ,何も出てこないということです。それでは,何が気構えかということになりますが…。

 

戦後,抽象表現が盛んになってきた時に,具象はもう古い,新しくないということで,「新しい」ということに価値があった。「新しさ」が価値であるかどうかという問題がありますね。「新しくなければ」ということで具象にしても抽象にしても,いろいろなスタイルが出てくるけれども,スタイルが出てくるのであって,スタイルは出尽してきていると思います。それで,今までのような新しさだけでは意味がないんです。

陰里

19世紀から20世紀にかけて,産業・工業技術が発達して,それに伴って自然破壊が進められ,人間をつつむ環境は大きく変わった。最近になって,それに対する反省が非常に強まっていますが,具象絵画を改めて考えることと無関係ではないだろうと思われるんです。このことも,今までの話にひとつ付け加えてもいいのではないかと思います。

 

我々を包む環境が,かつての牧歌的なものと非常に違ってきているということで,我々の外の世界を改めて見直すということだろうと思います。

具象絵画は,大体が自然と面と向かって発展してきたのだけれど,その自然が現代と19世紀までとでは非常に違ってきています。自然の意味あいが、19世紀と今とでは違うんだと思います。そこで違ってきた自然に対する対応の仕方は,従来の対応の仕方や問題とは自らに違うものがあるわけです。

 

しかし,根本的には,作家の意識が問題になってくるのではないか。

 

今,芸大や研究所もたくきんできて,具象を描く作家のテクニックはかなりうまくなって,技術的な描写力,細密描写を身につけている人は大勢いますが,それだけでは…という声があります。それはどうしてか,という問題がかなり大きいと思います。

陰里

先の話に続けて言うと,20世紀末にさしかかって,これまでの社会の変化のもたらしたものに対する見直し,反省の動きに無関係ではないだろうという訳だけれども,かと言って,過去の自然に対する自然主義的なものでいいということにはならない。それは,恐らく,外の自然や社会,環境と同時に人間の内部の問題も新しく見極められてきているところがあって,そういうところから,先に言った反省がなされている訳です。当然,過去の自然主義の絵画の再生ではあり得ない。

 

そうすると,どういうことになってくるかというのは,なかなか難しい。恐らく,さっき出た新しさを含めて,さまぎまなイメージが個々の作家によって追求されているのだろうと思いますが,最近のいわゆる具象絵画を見ていると,明らかに,20世紀絵画の経験の上にたっているというものでありますね。

 

今出された意識の問題は,内部を見つめた作家のそれぞれの個性の中からさまぎまなテクニック,素材の開発に応じて出されてくるだろうと思います。そういう中で,改めて,絵画というものがどういうものかということが問題になってくるんです。

そこが重要ですね。

陰里

その追求がひとつの焦点になるのではないでしょうか。

現代の具象絵画を描く人は、印象派,後期印象派,フォーヴといった従来の具象絵画を知り,さらにその人たちの知らなかった抽象画だって知っている。また,学校教育によってテクニックの摂取もできている。情報は十分,過多でさえある。その中で,自分は何をしようかという,己を見失わないようにする構えが一番必要になってくるのではないかという気がします。今の若い学生が,いろいろな情報を知っていて,「俺はどうなんだ」という時,「私はどうしたらいいんでしょう」というのが多くて,それではものはできない。

 

この間,中村彝展が開かれましたが,新しい,古いで言えば,古いですね。しかし何で人を惹きつけるかという問題が,根本的にあります。

 

新しい具象絵画と言うけれど,スタイルや技法が新しいのではなくて,何の道であっても「俺はこれだ」という非常に強情な感動が出るような具象絵画が新しいと僕は思います。今は余りにも情報過多で,作家の腰がふらついている。具象絵画がいろいろあってもあまり人を惹きつけないというのは,作家の感動がないからだと思うのです。中村彝がたくさんの人を惹きつけるのは,そういう感動があるからだと思うのです。

 

この時代に,たくさんの秀才がでてきていますが,そうではなくて,「俺はこれしかない」とまっしぐらに進む強情な鈍才がでてくれば,明日の具象絵画はおもしろくなると思います。

陰里

情報過多の時代に,作家に限らず誰しも自分の立場で選択する訳だけれども,その時己を見失うということが一番危険な問題ですね。これは,具象絵画に限ったことではありません。

 

例えば,ニュー・ペインティングは,歴史的に結びつけると新しい表現主義ということになりますが,表現衝動があれば,それに具体的な表現イメージを持つということは永遠にある訳で,具象絵画の未来は無い訳じゃない。あるんです。さっきの新しさという点で言えば,リアリティー,アクチュアリティー──それは,たぶん匠さんの言う感動でしょう──が,作家の創造の中にあるということが必要なのでしょう。

そう思いたい。作家は才子であっては駄目で,強情であって欲しい。

陰里

本来,作家というのはそういう人たちです。我々が期待するまでもなく,そういう自分をつくって,我々に示してくれるに違いないと思います。

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