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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 1994 > 夢みる三半規管 石崎勝基 エルミタージュ美術館展-フランス、バロック・ロココ絵画-図録 1994

夢みる三半規管

石崎勝基

Never turn your back on mother earth
Sparks

I.眩惑の玉乗り

平らな面,たとえば壁か塀を眺めるとする。視線はとりあえず,壁なり塀の表面にそって,上下左右に動くこともできようが,いずれは,目が位置する中空にはじきかえされざるをえまい。何かを包み保護したり,くぎるなど,壁や塀にはさまざまな機能が考えられるとして,視線にとってはまず,遮るものとしてはたらくのだ。次に,球体を思い浮かべてみよう。表面に接触した視線は,やがて離れていくことになるとしても,表面にそって滑りつづけ,ことによればひとまわりして最初の接点までもどってくる,さらには,終わりなく表面上を走りつづけたくなる,そんな勢いというか傾斜,あるいは誘惑を感じはしないだろうか。求心力と遠心力が統合された,自足した全体としての球には,視線をとらえる罠という性格が宿るのかもしれない。壁や塀が視線に対しつねにへだたりを保つのに対し,球は,そのへだたりをなくしてしまう。


シャルダンの「洗濯する女」(cat.no.40)でも,見るものの視線は,描きだされた空間のあちこちをさまよった後,最後には前景で子供がふくらませるシャボン玉にとらえられ,そこでくるくると周回することになるだろう。シャボン玉がになってきた,はかなさの寓意の伝統についてはふれない(1)。また,静物における硝子器,球体というなら〈世界の救世主〉の図像において世界を象徴する球に描きこまれた〈神秘の窓〉(2)などの場合同様,光を反射する透明な素材が,画家にとって,図像の意味以上に腕の見せどころと映ったのではないかという点に関してもおく。ここで確認しておきたいのは,シャルダンのシャボン玉が,天地左右前後をはっきり読みとれる,きわめて安定した空間の中に配されていることだ(3)。この空間を作りだすために,さまざまな工夫がこらされた。前景の女性と子供にスポットライトをあて,壁を暗く,そして扉の奥を,背を向けた女性の実体感が失なわれるまでに光でみたすといった,明/暗/明の三段構成。右で画面に対し斜めに配された猫と扉。空間全体に対する人物の大きさなど……これらがあいまって生まれた空間は,箱型をなすと見なせよう。


箱型の枠どりの中,さらに女性と子供が作る尖頭アーチに守られて,シャボン玉は画面の焦点として自転する。男の子が一心にシャボン玉をふくらませる様子は,ストローにそって,そのまま見るものをも巻きこむはずだ(4)。子供の没入するさまはほとんど,宇宙を創造する神を連想させる(5)。球が古来全体性と調和の象徴であり,ひいては宇宙のモデルであったことを思いだそう(6)。相対論的宇宙論における閉じた宇宙モデルでもそれは変わらない。もっとも,シャルダンのシャボン玉は,本出品作や同じ構図の先行するヴァージョンとされるストックホルム国立美術館の作品,シャボン玉をふくらませる少年をクローズアップした「シャボン玉」(ワシントン,ナショナル・ギャラリー)でも,完全な球をなしてはいない。ややいびつなのだが,それはかえって,生動感をもたらすだろう。他方逆に,シャボン玉がいったん画面の焦点となり,ついで視線を放散しうるのは(7),三次元的な空間の枠組みが確立されているからにほかならない。


1.cf.森洋子,「シャボン玉の図像学-Homo bullaの伝統をめぐって-」,『藝術論考』,no.1,1986(お茶の水女子大学藝術学会)。内シャルダンの作品についてはp.79-80。また,Norman Bryson,Word and image. French painting of the Ancient Regime, Cambridge,1981,P.112-115.

2.cf.Carla Gottlieb,‘The mystical window in paintings of the Salvator Mundi’,Gazette des Beaux-Arts,1960,Tome.56.

3.cf.Jonathan Crary,Techniques of the observer.On vision and modernitiy in the nineteenth century,Cambridge,1990,p.62-64.

4.cf.Michael Fried,Absorption and the artricaliyty. Painting and beholder in the age of Diderot, Chicago and London, 1980P.46-51.Bryson,ibid.,p.115-118.

5.cf.大友克洋,『AKIRA』Part6,講談社、1993,p.263-268,p.330以下。

6.cf.高知尾仁,『球体遊戯』,同文館,1991,とりわけ第Ⅱ-1章。マンフレート・ルルカー(竹内章訳),『象徴としての円』,法政大学出版局,1991, とりわけp.65-68。

7.cf.Bryson,ibid.,p.118-121.

Ⅱ.人生後ろ向きに

油絵にかぎっても,今回の出品作をざっと見渡して目にとまった点の一つは,背中を向けた人物を組みこんだ画面がずいぶん多いということだった;cat.no.1,3,4,6,7,10,12,14,15,21,26,27,28,29,30,31,36,37,39,40,44,46,47,50。コレクション形成の際にはたらいた偶然はあるにせよ,これだけ相似たモティーフが頻出するとすれば,この時期後ろ姿の人物は,構図づくりのための,ほとんど常套句と化していたと見なしてよいだろう。その点,デュゲの作品(cat.no.15)に登場する,身を反らせるようにして,驚きだか畏れを表わす人物と比較できる(cat.no.4にも登場)。このモティーフも,古代ローマはポンペイの壁画などから,十九世紀,アングルの「オイディプスとスフィンクス」(1808-25年,パリ,ルーヴル美術館)をへて,モローによって神学的な主題のもとに再組織されるまで,くりかえし用いられた。


もっとも後ろ姿の人物は,驚きないし畏れを表わす人物に比べても,何らかの意味を伝えるという機能を減じているようだ。元来は,大ブリューゲルの作品に関して宮川淳が指摘したごとく,寓意的という以上の表現構造上の意義を,それは有していたのかもしれない(8)。また,人体の背中を描写する際の手本の一つとなったであろう,ヘレニズム期の大理石像「ヘルマプロディトス」(ルーヴル美術館)以来の,両性具有的/同性愛的なエロティシズム(9)の名残りなら,ここに認めることもできよう。この点に関連して,シャボン玉の場合同様画家にとって,背中の滑らかな肌の起伏と輪郭を描きだすことは,それだけで腕試しとなったはずだ。背中を描くことはさらに,描かれないからだの前面をうまく暗示できるかという技術的な課題にもからんでくる(10)


しかし今回の出品作における一群の背面像では何よりも,観者の視線をそれらの人物の視線と連接させて画面の奥へ導くという,空間構成上の役割りが第一に重んじられていると見なすべきだろう。球面にそってひとまわりした視線が,手前にもどってきたのだ。この点では,やはりデュゲの作品の右端で,折れた木の交差が,画面の骨組みを入れ子状にくりかえす点と比較できる(11)。先に見たシャルダンともどもルメール(cat.no.12)やロベール(cat.no.47)における,手前を暗く,奥を明るくするという配分,プーシェ(cat.no.37)の土手なども,相似た役割りをはたしている。


ところでこれら背面像のモティーフが,ほとんど紋切り型に近づいていたとすれば,それは,背面像を一つの道具として成立する空間自体が,既成事実化してしまったからにほかなるまい。たとえば同じポーズの人物を,前向き後ろ向きくりかえして一画面に配したポッライウォーロ兄弟の「聖セバスティアヌスの殉教」(1475年,ロンドン,ナショナル・ギャラリー)が,遠近法的にはぎこちないにしても,むしろそれゆえにこそ,未定の空間を開いていく感覚を伝ええていたのに比べれば,これらの作品の背面像は多くが,あらかじめ設定された枠組みの中に,抵抗感なくおさまっている。シャルダンもふくめ,十八世紀ロココ様式における人物描写の特徴のひとつが,ちまちまと小づくりであることも想起されたい。盛期ルネサンスのイタリア絵画およびバロック期におけるごとく,人間が宇苗の座標軸として,充溢感をもって空間を支配することができなくなったのだ。ルネサンス以来の線遠近法的な空間の枠組みが,枠の内部をみたすものにかかわりなく自律したということ,いいかえて,たやすく文字どおりの空虚に陥る危険が足もとまで迫ってきたのである。十七~十八世紀の西欧絵画が,しばしば芝居じみた感触を残すのも,この点に無関係ではあるまい。遠近法という装置を用いることで,歴史画的な理念性を手放すことなく,画面の外と地つづきの現実性を絵に獲得させることができると考えたとして,しょせん絵がイリュージョンでしかない以上,やがてそこに虚偽の匂いがただようことになるのも,必然だったのかもしれない(よしあしを云々しているのではない)。現在の時点でいささか予定調和的に先どりしてしまえば,十九世紀絵画が平面化を進行させたのも,こうした事態に由来するのだろう。


他方,ほかならず背面像によって遠近法的空間の空洞化に対処したのは,ヴァトーだ(cat.no.28,29)。衣裳に隠されつつも,やはり繊細めく細身の人物をヴァトーが後ろ向きで描く時,しばしばまっすぐ背をのばし,垂直性が強調される。これは視線をなだらかに奥へ導くというより,むしろ,奥へのひろがりをいったん分断してしまう(12)。もって背面像は,まわりにひろがる空虚を空虚として,うけとめるのだ。ラジューの作品(cat.no.30)がしめすように,そうしたヴァトーの話法もただちに既成の語彙と化したにせよ。

8.宮川浮,「ブリューゲルあるいはうしろ姿の画家」および「うしろ姿の画家」『宮川淳著作集Ⅲ』所収,美術出版社,1981。

9.cf.ケネス・クラーク(高階秀爾・佐々木英也訳),『ザ・ヌード』,美術出版社,1971,p.194-195,p.491註65。James M.Saslow,Ganymede in the Renaissance. Homsexuality in art soceity, New Haven and London,1986,p.125-129,またp.77-83.

10.cf. E.H.ゴンブリッチ(滞戸慶久訳),『芸術と幻影』,岩崎美術社,1979,p.201-203。

11.cf.拙稿「バッサーノの兎」,『ひる・ういんど(三重県立美術館ニュース)』,no.22,1988.3,no.29,1989.12。

12.cf.Bryson,ibid.,p.81.

Ⅲ.一歩前に,あるいは海賊の掟

「盗まれた接吻」(cat.no.45)がどの程度までマルグリット・ジェラール,あるいはフラゴナールの手になるものなのかは,ここでは問わない(13)。この作品の見せ場は,中央に立つ女性が身につけたドレスおよびショールの,やや冷たく,光沢を帯びた質感の描出にあると見てよいだろう。それにしても画面は,たとえば今回の出品作における背面像の多くが全体の空間の中でぴったりおさまっているのとはちがって,何か落ちつかない表情を帯びてはいないだろうか。これはまず,女性が,左でくちづけを盗む男,右でテーブルにかかったショールと椅子に残る上着の,双方から引っぱられて,安定できない姿勢でとらえられていることによる。光沢を発するシルヴァー・グレーというドレスの色も,視線を吸いこむのではなくはじきかえし,不安定感を補強する。腰をしぽったドレスのデザインもあいまって,不安定に引き裂かれるのが若く綺麗な女性である点には,グルーズの「甘やかされた子供」(cat.no.43,68)ほど露骨にポルノグラフィックではないにせよ,幾分かエロティックな意図を読みとることができるかもしれない。


不安定さはまた,作品に,高尚たるべき歴史画に要求される不動の持続,ひいては永遠なる理念の反映ではなく,瞬間的な性格をも与えている。エティエンヌ・ジョレによると,十八世紀,人体やその運動の描写において,〈平衡/重さないし重力をはかることponderation〉の問題が議論されていたという(14)。そして「十八世紀の風俗画には,人物の均衡がぐらついているため,彼らの未来のふるまいがある意味で,決定できないままにとどめられているような作品が少なからず見出される」(15)。ジョレがあげるヴァトーの「つまずき」(ルーヴル美術館)やフラゴナールの「ベレツトとミルク壺」(パリ,コニャック=ジェイ美術館)とはことなる形で,この作品でもponderationが乱されているのだ。


重力に根ざす安定感,すなわち天と地が厳然と区別された箱型の空間という前提の攪乱は,もうひとつの帰結を導きだす。球面をくるりとひとまわりした視線が背面像の位置にあるとして,さらに半回転すれば,「盗まれた接吻」の女性とともに,画面からこちらを見ることになる。しかし彼女は奥にいるのではなく.ずいぶん手前にせりだしている。左右両側からの引きも,あくまで画面に平行したものだ。この作品では,光と陰の強い対比ではなく,画面全体に光が散らされているというキュザンの指摘も,この点に関わってくるだろう(16)。もとより奥行きが完全に排除されているわけではなく,左の床の斜線や男が出てきた部屋,シャルダンの場合同様右奥に覗くもうひとつの部屋は,奥行きを構成するためのしかけだ。左上から右下へ下るポーズの斜線と交差して,それらは,左下から右奥へ後退する流れを作るにしても,むしろ,その瞬間中央でとらえられた女性のイメージをこそ,不安定さのままに,強調することになる。時間の流れの中で,流れとは別のヴェクトルをもって浮動する何か。


こうした構図の性格を,空洞化した遠近法的空間に対する平面化のきざしと見なし,たとえば,元来空間の拡張のために,しばしば背面像と組みあわせて用いられてきた鏡のモティーフがプーシェの「マダム・ド・ポンパドゥール」(1756年,ミュンヘン,パイエリッシュ・ヒポテーケン&ヴェクセル銀行)をへて,アングルの女性肖像画三点,メアリー・キャサットの劇場の桟敷席にすわる女性を描いた幾つかの作品やマネの「フォリー・ベルジュールのバー」(1881-82年,ロンドン,コートルド・コレクション)などにおいて,人物は前向き,像と背中あわせの平面的な配置に変容していった過程と比較することもできよう。とまれ,サディスティックな視線にさらされ,光沢を放つドレスに押しこまれつつ,正面にひきだされた女性のイメージは,不安定さゆえ,重力にのっとって秩序づけ.られたヒエラルキア状の構造に回収されない,説明しきれぬ異形のものとして滞留している。


(三重県立美術館学芸員)

13.cf.Pierre Rosenberg,Catalogue del’exposition Frangonad ,Paris,Grand Palais,1987-88,p.577.Jean-Pierre Cuzin,Jean-Honore Fragonard et oeuvre, Feribourg, 1987 p.224-225.

14.Etiennne Jollet,‘Gravity in painting:Fragonard’s Perette and the depiction of the innocense’,Art History, vol.16 no.2,June1993,p.274-278.

15.id.,p.275.

16.Cuzin,ibid.,p.224.
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