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美術館 > 刊行物 > 展覧会図録 > 2002 > 出品リスト・会場風景 秋岡美帆展図録

秋岡美帆展 出品リスト

List of exhibits on Akioka, Miho

  1. 『光の間 01-10-18-5』、2001年
  2. 『光の間 01-10-19-3』、2001年
  3. 『光の間 02-5-30-2』、2002年
  4. 『光の間 02-5-31-1』、2002年
  5. 『光の間 02-5-29-2』、2002年
  6. 『光の間 02-5-14-2』、2002年
  7. 『光の間 02-5-14-4』、2002年
  8. 『光の間 02-5-15-4』、2002年
  9. 『光の間 02-5-13-3』、2002年
  10. 『光の間 02-5-31-5』、2002年
  11. 『光の間 01-10-4-7』、2001年
  12. 『光の間 01-10-4-1』、2001年
  13. 『光の間 02-5-16-2』、2002年
  14. 『光の間 02-5-15-6』、2002年
  15. 『光の間 02-5-17-2』、2002年
  16. 『光の間 02-5-16-4』、2002年
  17. 『光の間 02-5-17-5』、2002年

all works titled as Inter Lucem with each date of printing

素材技法:NECOプリント・麻紙  寸法:c.220x275cm

     10   9   8   7   6   5   4   3

11                                2

12                                1

 13  14   15  ↓      16   17      ↑

            出口              入口


会場風景  撮影:森下忠夫







秋岡美帆の技法

秋岡美帆は、1979年大阪教育大学大学院に提出した修士論文で、「見ることの再確認」をテーマとして選んだ。その際手がかりになったのが、<周辺視>なる概念だったという。これは、焦点をあわせる<中心視>に対し、視野の隅あたりの、ぼやけた状態を指すもので、意識に対する無意識の領域への窓口に対応するとも考えられる。そうした問題を扱うため、1976年から写真が用いられるようになる。

蔦の葉やエスカレーターなどを被写体にした時期を経て、とりわけ1982年5月から94年2月までは、大阪府池田市にあった楠がモティーフとなった。1986年頃からは木漏れ陽や木の影がさす地面がテーマとなり、現在にいたっている。

それらはスローシャッター、アウトフォーカス、多重露光、流し撮りなどで撮影される。当初は6×9版の大型カメラを三脚に固定していたが、カメラの動きが制約されるため、1980年代終わり頃からは35mm用カメラを用いている。1995年以降、三重県青山町の自宅近くの山で撮影した写真を作品化することとなる。

このように撮影された写真は、NECO(New Enlarging Color Operation 拡大作画機)によって麻紙にプリントされる。これは、原稿となるポジフィルムをスキャナーに読みこみ、4色の電気信号に変換、ドラムへセットした支持体(秋岡の場合手漉き雲肌麻紙、時にカンヴァスも用いられた)に、4本のエアブラシからシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの水性インクを吹きつけるというもの。空気圧の違いやノズルのねじの調節などによってエアブラシから出る色の量を調整し、原稿を再現する。広告写真などで用いられるもので、秋岡は1979年春から用いてきた。

ただ、空気圧や絵具の濃度等の状態によって、支持体に吹きつけられた点の集積として成立する画像には、不確定な偶然の要素が必ず残る。さらに秋岡は、望む画像を得るためノズルと支持体の距離を最大限まで離すので、偶然性はさらに増すという。

「私の制作は、まず自然のもたらす偶然を受け入れ、次にカメラのつくり出す偶然を取り込み、さらに電子メディアの偶然を享受した上で最終的に画面上に小さなドットが位置付けられていきます」と秋岡は述べている(「NECOについて」、『絵画の教科書』、日本文教出版株式会社、2001、p.322)

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